その日の放課後、乗りつぎのために私は駅のホームのベンチに座っていた。
深くため息を吐きながら、手元に視線を落とす。膝の上に広げた見覚えのない譜面をみつめ、もう一度ため息をこぼした。
ノートの隙間に一枚だけ、見覚えのない譜面が交ざっているのを見つけたのは、音楽の授業が始まってからだった。
顔をあげて電光掲示板のデジタル時計に目をやる。あと三分だと確認してから再び手元の譜面に視線を戻した。
上級生の階に行くのにはとても勇気がいる。しかも自分から先輩に話しかけるなんて、想像しただけでも足が震える。けど、
とりあえず明日、昼間に同じ場所へ行ってみようと決めた時、ゴオという音のあとに風が通過した。あわてて譜面が飛ばないように上から手で押さえる。顔をあげて、ホームに入ってきた電車に目を向けた。
思わず声が出た。それと同時に胸が、とくんと跳ね上がった。目を大きく見開く。
昼間の上級生が、到着したばかりの電車から降りてきた。
改札口に一番近い車両にいた彼は、そのまま私に気づかずホームから立ち去ろうとした。
悩むひまはなかった。立ち上がると、乗るべき電車に背を向けて私は駆けだした。人混みをぬうように進み駅を抜け出す。
駅前のロータリーに、ぽつぽつと色とりどりの傘が咲く。彼の背は目の前の横断歩道を渡った道の向こうにあった。
信号は赤で、私は傘をさし、背伸びして見失わないように目で追ったけれど、人混みがその背を隠してしまう。
やっと信号が青になると私は猛ダッシュで追いかけた。東西にまっすぐ延びる路沿いの歩道を突っ走る。見失った付近まで来ると、きょろきょろと辺りを見回した。
ふとそばに建つ、古びたビルが目に留まった。ゆっくり近づき、五、六階建てのビルを見上げた。フロア案内板を見つけ、傘をたたみながら覗きこんだ。
上から順に見ていく。六階は美容系のクリニック。次が英会話と法律事務所、ダンススタジオ。そして地下一階はスタジオ『SOUND』。
エントランスはそんなに広くはなく、奥にエレベーターとそばには地下と二階へとつながる階段が見えた。
突然後ろから声をかけられて、肩が跳ね上がった。ぱっと振り返る。
そこには探していた彼がメガネを外し、無表情のまま私を見下ろしていた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!