第8話

8話
2,022
2023/02/11 04:00
 文化祭の準備と並行して、音楽の授業も合唱コンクールに向けた練習へと変わっていく。相変わらず声の出せない私も、人数の関係でソプラノと決められパート分けがされた。
 同じソプラノには誉田さんもいて、何の因果か隣り合って並ぶこととなった。
誉田蝶羽
誉田蝶羽
あー、もう! ホント最悪!
 練習の合間、誉田さんは舌打ちをするとその場に座り込んだ。私はみんなの視線から隠れるように音楽室の隅へと向かう。息を殺して存在を隠すけれど、教室の真ん中でまるでみんなの注目を浴びようとするかのように話す誉田さんの声は私を隠れさせてはくれなかった。
誉田蝶羽
誉田蝶羽
なんなの、なんで歌わないの!? 隣で黙ったまま突っ立たれててホント腹立つ! せめて口パクぐらいしろよってんの
クラスメイト
ホントだよね
クラスメイト
マジで最悪
 誉田さんに同調するように、周りにいた女子達も口々に私への不満を吐き出し始める。私が悪いのだから仕方がない。そうわかってはいても、目の前で自分に対する不平不満を言われて平気でいられるわけではない。
 俯いて唇を噛みしめると、泣くのを必死に堪えた。
時岡和花
時岡和花
(もう少しで休憩時間が終わる。そしたらもう一回練習してそれで音楽の時間は終わりだ。それまでの我慢……我慢……)
誉田蝶羽
誉田蝶羽
はああ、なんでうちのクラスにあんな子がいるんだろ。違うクラスだったらよかったのに
クラスメイト
だよねえ
 自分の言葉を肯定する声に誉田さんの声量はヒートアップしていく。
誉田蝶羽
誉田蝶羽
今からでもいいからいなくなってくれないかな。同じクラスにいるだけで鬱陶しい。違うクラスに行くのが無理なら転校でもして消えてくれたらいいのに
時岡和花
時岡和花
……っ
誉田蝶羽
誉田蝶羽
ていうかさ、親友が虐められて転校してよくのうのうと自分一人学校に来られるよね。私なら無理だわ。そういうところ神経図太いよね
 クスクスと笑う声。
 もう、ダメだった。限界だった。
 気づけば私は音楽室を飛び出していた。けれどそんな私を呼び止める声は、一つも聞こえてこなかった。
 
 
 向かった先は旧校舎の音楽室。いつものように錆び付いた鍵を差し込み回すと、勢いよく扉を開けた。
杉早暁斗
杉早暁斗
和花!? どうしたの?
 暁斗君は座っていたピアノの椅子から立ち上がると、驚いたように私の元までやってきた。気遣うような暁斗君の表情に、普段なら気持ちも落ち着いたかもしれない。けれど今だけはどうしても無理だった。
時岡和花
時岡和花
『私なんかいなくなればいいんだ!』
 殴り書いた黒板の言葉に、一瞬目を見開いたあと悲しそうな表情を浮かべて暁斗君は首を振った。
杉早暁斗
杉早暁斗
そんなこといわないで
時岡和花
時岡和花
『もう嫌だ。全部、全部いらない!』
 声を出したくないわけじゃない。歌を歌いたくないわけじゃない。なのに誰もそれをわかってくれない。わかってくれようとしないんだ。
時岡和花
時岡和花
『転校したのがあの子じゃなくて私だったらよかった。虐められたのが私ならよかった』
杉早暁斗
杉早暁斗
和花……
時岡和花
時岡和花
『いらないのはあの子じゃなくて、私なんだ……』
 知ってた、わかってた。全部私が悪いんだって。私を庇ったことがきっかけであの子が虐められるようになったのに、私は何もできなかった。
 本当はあの子のことを親友なんて呼ぶ資格は私にはない。でも、あの子のことを名前で呼ぶ資格は、きっともっとない。だから呼ばない。ううん、呼べない。
杉早暁斗
杉早暁斗
自分のことをいらないなんて言わないで。少なくとも僕にとっては君が今ここにいてくれることはとっても嬉しいことだよ
時岡和花
時岡和花
『そんなの私が暁斗君のことを見ることができるからでしょ!』
 これ以上言ってはいけないと頭の中で警告音がする。でも一度吐き出し始めた想いは止まらない。
時岡和花
時岡和花
『そんなの暁斗君のことが見えたら私じゃなくてもいいじゃん! もうやだ! 消えてよ! 暁斗君なんか嫌い! 一人にして!』
 こんなの八つ当たりだってわかってる。暁斗君は何一つ悪くない。悪いのは全部私で、無茶苦茶なことを言っているのもわかっている。
 それでも言わずにはいられなかった。溢れだした感情を止めることができなかった。
 でもそれが間違いだったと気づくまで、そう時間はかからなかった。肩で息をしながら顔を上げると、そこには傷付いたような表情を浮かべる暁斗君の姿があった。
時岡和花
時岡和花
(あ……)
 私が、傷つけた。
時岡和花
時岡和花
(謝らなきゃ)
 ごめんなさいと黒板に書こうと思ってチョークを持つ手に力を込める。力を入れすぎたのか、チョークが真っ二つに折れてしまった。慌てて別のチョークを取ろうとするけれど、それよりも早く暁斗君は口を開いた。
杉早暁斗
杉早暁斗
ごめんね
 その言葉とともに――暁斗君は、姿を消した。
時岡和花
時岡和花
(う、そ……)
時岡和花
時岡和花
『暁斗君!』
 黒板に名前を書くけれど何の反応もない。当たり前だ。ここにいたから、私が言葉を発しなくても名前を書けばなに?と笑ってくれた。姿が見えなければ、この場所にいなければ、どれだけ黒板に名前を書いたところで意味がない。暁斗君には届かない。
時岡和花
時岡和花
(暁斗君……)
 さっきまで暁斗君が立っていた場所に恐る恐る立つ。けれど、そこには何の痕跡もなくて、誰もいなかったよと言われたらそうだったのかもしれないと思ってしまうほどだ。
 けれど私は知っている。ほんの少し前までここに暁斗君がいて私と話していた。確かにここに彼はいた。幽霊だけど優しくてピアノが上手で私のことを想ってくれた暁斗君は確かにここにいたのだ。
時岡和花
時岡和花
……っ
 名前を呼びたい。もう呼んでも届かないかもしれない。それでも、彼の名前を呼びたかった。
時岡和花
時岡和花
……っ
時岡和花
時岡和花
(暁斗君……!)
 出ない声で、必死に暁斗君の名前を呼んだ。何度も何度も彼の名前を叫んだ。掠れたような空気が喉を震わせる。狭まった喉は無理矢理声を出そうとしたせいか、苦しくて思わず咳き込んでしまう。
 それでも私は彼の名前を呼び続けた。もう一度暁斗君に会いたい。それでさっきのことを謝りたい。あんなこと思ってない。彼の存在がどれだけ私にとって支えになっていたか、安らぎになっていたかを伝えたい。
時岡和花
時岡和花
っ……ぁ……
 だから、どうかお願い。
時岡和花
時岡和花
ぁ……っ……ん
 一度だけでいい。彼の名前を呼ばせて。
時岡和花
時岡和花
ぁ……と、く……
 大切な、彼の名前を――。
時岡和花
時岡和花
暁斗君!
 その瞬間、音楽室に私の声が響き渡った。

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