文化祭の準備と並行して、音楽の授業も合唱コンクールに向けた練習へと変わっていく。相変わらず声の出せない私も、人数の関係でソプラノと決められパート分けがされた。
同じソプラノには誉田さんもいて、何の因果か隣り合って並ぶこととなった。
練習の合間、誉田さんは舌打ちをするとその場に座り込んだ。私はみんなの視線から隠れるように音楽室の隅へと向かう。息を殺して存在を隠すけれど、教室の真ん中でまるでみんなの注目を浴びようとするかのように話す誉田さんの声は私を隠れさせてはくれなかった。
誉田さんに同調するように、周りにいた女子達も口々に私への不満を吐き出し始める。私が悪いのだから仕方がない。そうわかってはいても、目の前で自分に対する不平不満を言われて平気でいられるわけではない。
俯いて唇を噛みしめると、泣くのを必死に堪えた。
自分の言葉を肯定する声に誉田さんの声量はヒートアップしていく。
クスクスと笑う声。
もう、ダメだった。限界だった。
気づけば私は音楽室を飛び出していた。けれどそんな私を呼び止める声は、一つも聞こえてこなかった。
向かった先は旧校舎の音楽室。いつものように錆び付いた鍵を差し込み回すと、勢いよく扉を開けた。
暁斗君は座っていたピアノの椅子から立ち上がると、驚いたように私の元までやってきた。気遣うような暁斗君の表情に、普段なら気持ちも落ち着いたかもしれない。けれど今だけはどうしても無理だった。
殴り書いた黒板の言葉に、一瞬目を見開いたあと悲しそうな表情を浮かべて暁斗君は首を振った。
声を出したくないわけじゃない。歌を歌いたくないわけじゃない。なのに誰もそれをわかってくれない。わかってくれようとしないんだ。
知ってた、わかってた。全部私が悪いんだって。私を庇ったことがきっかけであの子が虐められるようになったのに、私は何もできなかった。
本当はあの子のことを親友なんて呼ぶ資格は私にはない。でも、あの子のことを名前で呼ぶ資格は、きっともっとない。だから呼ばない。ううん、呼べない。
これ以上言ってはいけないと頭の中で警告音がする。でも一度吐き出し始めた想いは止まらない。
こんなの八つ当たりだってわかってる。暁斗君は何一つ悪くない。悪いのは全部私で、無茶苦茶なことを言っているのもわかっている。
それでも言わずにはいられなかった。溢れだした感情を止めることができなかった。
でもそれが間違いだったと気づくまで、そう時間はかからなかった。肩で息をしながら顔を上げると、そこには傷付いたような表情を浮かべる暁斗君の姿があった。
私が、傷つけた。
ごめんなさいと黒板に書こうと思ってチョークを持つ手に力を込める。力を入れすぎたのか、チョークが真っ二つに折れてしまった。慌てて別のチョークを取ろうとするけれど、それよりも早く暁斗君は口を開いた。
その言葉とともに――暁斗君は、姿を消した。
黒板に名前を書くけれど何の反応もない。当たり前だ。ここにいたから、私が言葉を発しなくても名前を書けばなに?と笑ってくれた。姿が見えなければ、この場所にいなければ、どれだけ黒板に名前を書いたところで意味がない。暁斗君には届かない。
さっきまで暁斗君が立っていた場所に恐る恐る立つ。けれど、そこには何の痕跡もなくて、誰もいなかったよと言われたらそうだったのかもしれないと思ってしまうほどだ。
けれど私は知っている。ほんの少し前までここに暁斗君がいて私と話していた。確かにここに彼はいた。幽霊だけど優しくてピアノが上手で私のことを想ってくれた暁斗君は確かにここにいたのだ。
名前を呼びたい。もう呼んでも届かないかもしれない。それでも、彼の名前を呼びたかった。
出ない声で、必死に暁斗君の名前を呼んだ。何度も何度も彼の名前を叫んだ。掠れたような空気が喉を震わせる。狭まった喉は無理矢理声を出そうとしたせいか、苦しくて思わず咳き込んでしまう。
それでも私は彼の名前を呼び続けた。もう一度暁斗君に会いたい。それでさっきのことを謝りたい。あんなこと思ってない。彼の存在がどれだけ私にとって支えになっていたか、安らぎになっていたかを伝えたい。
だから、どうかお願い。
一度だけでいい。彼の名前を呼ばせて。
大切な、彼の名前を――。
その瞬間、音楽室に私の声が響き渡った。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。