第6話

6話
3,446
2023/01/28 04:00
「さあ、歌え」と無理強いするわけでもなく、暁斗君の奏でるメロディは寄り添うように鳴り響く。一通り弾き終わると、暁斗君は苦笑いを浮かべた。
杉早暁斗
杉早暁斗
久しぶりだとやっぱり下手になってるや
時岡和花
時岡和花
『そんなことない! とっても上手だった!』
 勢いよく黒板に書いた私の文字に、暁斗君は少し驚いたような表情を浮かべ、そしてはにかむように笑った。
杉早暁斗
杉早暁斗
ありがと
 そして再び、最初から弾き始める。どうしたらいいかわからず立ち尽くす私に視線を向けると、優しく微笑んだ。
杉早暁斗
杉早暁斗
歌いたくなったら歌えばいい。歌いたくなければ聞いていればいい。好きにしていいんだよ。僕も弾きたいから弾いているだけなんだから
時岡和花
時岡和花
(好きにして、いい……)
 その言葉通り、暁斗君は私に何かを求めることなく自由に弾き続ける。時折、転調させて同じ曲なのに楽しいメロディにしたり暗いメロディに変えたりする。ポップな曲調に変わったときは、思わず――。
杉早暁斗
杉早暁斗
楽しい?
時岡和花
時岡和花
(え?)
杉早暁斗
杉早暁斗
笑ってるから
時岡和花
時岡和花
(嘘……)
 暁斗君の言葉に、私は驚きを隠せなかった。おずおずと自分の頬に触れてみると、確かに口角が上がり笑っていることに気づいた。
 親友が虐めに遭い転校してしまってから、学校で声が出なくなったのと同じように笑うことなんて一度もなかった。能面みたいに貼り付けた表情を浮かべているだけだった。
時岡和花
時岡和花
(それなのに……)
 自分の変化に自分自身でも戸惑ってしまう。目の前にいる人は、今日初めて会った、それも生きているわけじゃない、幽霊なのに。
時岡和花
時岡和花
『暁斗君って、不思議だね』
 何度目かの演奏のあと、私は黒板に書いた。暁斗君は小首を傾げてこちらを見た。
杉早暁斗
杉早暁斗
不思議? そうかな?
時岡和花
時岡和花
『幽霊なのに生きてる人間より温かく感じる』
杉早暁斗
杉早暁斗
……それは幽霊だから、かもしれないよ
時岡和花
時岡和花
『どういうこと?』
 暁斗君は課題曲とは違う、少しもの悲しいメロディを奏で始めた。聞き覚えのあるような、けれどどうしてもタイトルが出てこないその曲は、私の胸の奥の深い深いところに染み込むようにして入ってくる。
杉早暁斗
杉早暁斗
生きていないからこそ、しがらみに縛られないこともあるってことだよ
時岡和花
時岡和花
『生きていないからこそ……』
杉早暁斗
杉早暁斗
でも……誰かと衝突して揉めて悩んで苦しんで……。それもまた生きている人間の特権ではあるんだけどね
 暁斗君の言葉の意味が私には理解できなかった。揉めて悩んで苦しむことが生きている人間の特権? そんな特権に何の必要があるのか教えてほしい。悩むことも苦しむこともない方がいいに決まっている。辛い思いをしてまで頑張ることに何の意味があるのだろう。
杉早暁斗
杉早暁斗
和花? 気を悪くした?
 黙ったままの私に、暁斗君は心配そうに尋ねる。私は黙ったまま首を振った。
時岡和花
時岡和花
『暁斗君はどうしてここにいるの?』
杉早暁斗
杉早暁斗
……わからない。どうしてだろうね
時岡和花
時岡和花
『一人で寂しくない?』
杉早暁斗
杉早暁斗
……和花は一人で寂しいの?
時岡和花
時岡和花
(寂しい……?)
 質問を質問で返され、私は言葉に詰まる。寂しいかどうかなんて今まで考えてもみなかった。
時岡和花
時岡和花
(ううん、嘘だ……)
 本当は、親友がいなくなって、クラスでもひとりぼっちで気にしていないフリをするけれど、ずっと寂しかった。でも、親友を助けることができなかった私が寂しいなんて思っちゃいけないんだと、あの子は知り合いが誰もいない場所に行ったんだからと、そう自分に言い聞かせていた。
杉早暁斗
杉早暁斗
寂しいときは寂しいって言っていいんだよ。自分の気持ちを押し殺す必要なんてないんだ。誰が敵になっても、和花だけは自分の味方でいてあげなくちゃ和花が可哀想だ
時岡和花
時岡和花
『可哀想……』
 暁斗君のような考え方は、私の中にはない。……ううん、なかった。
 このままずっと喋れなくてもいいと思っているわけじゃない。本当はいつかどこかで自分自身と向き合わなければいけないと、そう思っていた。ただきっかけがなかっただけで。きっかけがないことを言い訳に、逃げていただけで。
時岡和花
時岡和花
『明日も来てもいいですか?』
 躊躇いながらも黒板に書いた文字。暁斗君はそれを見て頷きながら笑った。
杉早暁斗
杉早暁斗
もちろんだよ。いつでもおいで
 その言葉に胸の奥があたたかくなるのを感じながら、私は音楽室をあとにした。
 あんなにも怖くて不気味だった旧校舎の中なのに、差し込む夕日のせいだろうか。少しだけ明るくあたたかく感じた。

プリ小説オーディオドラマ