喋れるようになった私を、好意的に見てくれる子だけではないことはわかっていた。
未冬ちゃんたちと話していた私の背中に、思いっきり誰かがぶつかってきたのがわかった。振り返ると、そこには誉田さんの姿があった。睨みつけるようにして立ち去っていく誉田さんの後ろ姿に、心臓が嫌な音を立てて鳴り響く。
みんながみんな受け入れてくれるわけではない。わかってはいても、あからさまな態度を取られると辛くなる。それでも、今まで自分がしてきたことを思えば当然かもしれないとそう思う。
けれど誉田さんからの嫌がらせはこれだけに終わらなかった。
その日の音楽の授業で合唱コンクールの練習をした。教室以外でもようやく声が出せるようになってきた私は、ポケットに入れた黒鍵を握りしめながら、小さな声ではあるけれど課題曲を歌うことができた。そんな私にクラスがざわめいたのがわかった。
男子達を中心に盛り上がりを見せる中、本番まで残り一か月ということもあり課題曲の中のソロパートを誰が歌うのか決めることになった。
音楽教師が言うけれど誰も手を上げることはない。もちろん私もだ。
そんな中、誉田さんが手を上げた。
そう言って誉田さんが私の方を見て笑った。嫌な、予感がする。
先日まで私が声を出せなかったことを知っている音楽教師もどうしたものかと戸惑っている。けれど、そんな誉田さんの意見に――。
口々に女子達が賛成し始める。みんな誉田さんと仲のいい子達だった。
音楽教師は気の毒そうな視線を私に向けた。
その問いかけに「はい」以外の答えなど、言えるはずもなかった。
放課後、私は久しぶりに重い気持ちを引きずるようにして旧校舎の音楽室へと向かっていた。
結局、誉田さんたちの勢いに飲まれて引き受けてしまったけれど、本当にあれでよかったのだろうか。私のせいで優勝できなくなってしまったらどうしよう。
胸の奥が重くしんどい。どうしてこんなことに……。
無意識のうちに旧校舎の音楽室の扉を開けていたようで、気づけば心配そうに私を見る暁斗君の姿があった。「なんでもないよ」と笑おうとしたけれど、上手く笑顔を作ることができない。
暁斗君の言葉は優しくて、あたたかい。まるであたたかいココアを飲んだときのように胸の奥にぬくもりが染み渡る。
暁斗君は何も言わずに私のそばを離れる。ネガティブなことばかり言う私に呆れてしまったのかもしれない。愛想を尽かしてしまったのかもしれない。
俯き、ギュッと手を握りしめる。手のひらに爪が食い込んで、僅かに痛みが走った。でも、そんなの心の痛みに比べればどうってことなかった。
泣きそうになるのを必死に我慢する私の耳に、ピアノの音色が聞こえて来た。まるで私の心に寄り添うような、優しい優しい音色だった。
確かに、言われてみればそうだ。今も、そして音楽室でも声が再び出なくなることはなかった。
変われて、いるのだろうか。
微笑む暁斗君に頷くと、私は躊躇いがちに口を開いた。
私の言葉に、暁斗君は満面の笑みを浮かべる。
その答えにホッと胸をなで下ろしながら思う。以前なら、こんなふうに頼むこともできなかっただろう。そう思うと、ほんの少しだけ変わることができたのかもしれないと自分でも思える。
でも、それはきっと。
今はまだ恥ずかしくて伝えることができないけれど、きっといつか伝えたい。暁斗君のおかげでどれだけ私が救われたか。どれだけ強くなれたか、を。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。
登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。