[あなた視点]
–過去–
私はとしみつが大好きだ。
普段は怒りっぽくてすぐに顔に出るタイプのくせに私の前では素直で優しくてずっと笑ってて、
私のことが好きなんだって、毎日伝わってきた。
そんな日々が続いていたけど、とある日些細なことで喧嘩になった。
一緒に過ごすはずだったクリスマスに外国に行くことになってしまって、私が「寂しい。」と言ってしまったことでだった。
きっと、としみつもさみしくて、言い出せなくてここまで言えなかったんだと思う。
それなのに私は素直に「大丈夫。」って、言えなかった。
「元カノならそれくらい我慢してくれたけどね。」
そう言ったとしみつの顔は切なそうな悲しそうな申し訳なさそうな顔だった。
胸が痛くなった。
大好きな人にこんな顔をさせてしまった。
苦しくて私はすぐに家を出た。
何を言ったかは覚えていない。
泣きながら歩いていて目の前が見えなかった。
次々と流れる涙でモヤがかかったような視界には頼れなくて、ポツンポツンとあるだけの街灯を頼りに歩いた。
眩しい光と衝突音だけが頭に響いた。
–現在–
気がつくと私は病院のベットの上だった。
無数の管に繋がれて腕はジンジンと痛かった。
この状況も私の名前も顔も分からない。
不安で押しつぶされそうな胸を抑えるはずの手も持ち上げられない。
ふと目線をずらすと私を見て泣いている人がいた。
精一杯声を振り絞って、「誰…?」と言うと口元を押さえてまた泣き出した。
そこから、一時的な記憶喪失だと説明を受けた。
筋肉が落ちてしまってうまく歩けなくてリハビリもした。
誰だか分からない人の住む家で暮らすよりはずっと楽だ。
少しでも思い出せるようにと、渡された日記やiPhone、好きだった本、アルバムで必死に自分を探した。
…としみつ。
そうか、この人と付き合っていたのか。
でも事故の日から返信はない。
トーク履歴を見返しても特に喧嘩した様子は無いのにこうも返信がないと言うことはきっと遊ばれてたんだろう、そう冷静に考える自分がいた。
そもそも、こんなに大きな傷がついた女を愛せるわけがない。
無駄に傷つく必要はない。触れないでおこう。
その人を抜かしてひとりずつ、トーク履歴を読み返した。仲の良さそうな友達には事故で記憶をなくしたことを伝えた。
心配して泣きながら来てくれた時は嬉しかった。
敬語を使ったら笑われてしまった。
お母さんはいつもフルーツを持ってきた。
私が好きだったらしいフルーツは当たり前なのだろうが美味しいと感じた。
自然に顔がほころぶとお母さんはいつも泣いてしまう。
私は食べることが大好きだったようだ。
退院してからは両親に気を使うことなく過ごせた。
でも記憶が戻ることはなかった。
ただ、生活は楽しかった、彼氏も出来た。
それがてつやさんだ。
面白くて優しくてタバコの匂いは嫌だけど、一緒にいるのは楽しかった。
これが恋愛としての好きなのかは分からなかったけど、今はただ隣に人がいるって状態に心が安らいだ。
付き合って数ヶ月が過ぎた頃、
てつやさんがお友達を紹介してくれると言った。
事故のせいで疎遠になってしまった友達もいたので単純に知り合いができるってことが嬉しくてついていった。
「初めましてー…。」
そう言って顔を上げると「としみつ」が居た。
何度も写真を見たのに思い出せなかった。
「としみつ」だった。
顔を見て、声を聞いた瞬間、眉間のあたりがツンとした。
私はこの人が好きだったんだ。
…好きなんだ。
お揃いのネックレスのない首元はやけに寂しくて、
少しだけ伸びたとしみつの前髪、
すっかり変わってしまった私の髪型、
隣にいる、彼氏。
何もかも変わってしまったのに、私を見る優しい目は何1つ変わっていなかった。
あの日の記憶もずっとずっと前の記憶も鮮明に浮かんだ。
…もう遅いことはわかりきっている。
目の前の優しい笑顔のとしみつが好きだ。
横で照れくさそうに笑うてつやさんには嘘をつき続けることはできない。
泣きそうになるのを堪えながらとしみつとてつやさんに最初で最後の嘘をついた。
彼らの中で、「記憶のない私」だけが残るように。
さよなら、愛する人。さよなら、愛した人。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。