そうだ。
彼女の苗字はポストで知った。それはまちがいない。
あの、ドルチェ部屋をあたえられたはじめての日、廊下でこの子にあった。
握手会の日だ。
でも、あった瞬間に思ったのは、『握手会にきてたファンの子だ』ではなく、『あのオーディションのときの子』だった。
風真ばっかり見て、沙良をまったく目にうつさなかった子。
沙良がトスしたブーケをはじき落とした子。
なんだか腹がたって、さらに腹をたてさせる相手の名前を知っておきたくて。
帰りぎわ、ポストの苗字をちらっとだけ見た。
でも、それだけだ。
覚えていようと思ったわけじゃない。
なのにいま、自然と口からその名前が出ていた。
ちら、と相手の顔を見る。
平凡な顔だ。身長も平均的。
着ている服も、おしゃれとは言えない。
平凡なTシャツに、スポーツメーカーのハーフパンツ。
クツもいかにも運動しやすそうな、ランニングシューズだ。
沙良は自他ともにみとめる面食いだ。
ギリシャからは「もっと内面をみろ」とか言われたが、外見がよくて内面もよければ、それにこしたことはないと思う。
ちなみにギリシャのタイプをきいたところ、「やっぱ胸がデカイ子だろ!!」と力説してたので、もうあいつの話はいっさいマトモに相手しなくていいと思う。
ぎょっとしたように彼女は飛びのいた。
うらめしそうにそんなことを言うが、実際彼女の目の下はかなりひどいことになっている。
コンシーラーでごまかしてはいるが、そうとうな寝不足に見えた。
顔色だって悪い。
彼女はハムスターのように頬をふくらませているが、沙良としてはしっかり気をつかったつもりだった。
寝不足は肌も荒れるし、太りやすくなる。
ダイエットなら、くまをつくって走るよりも寝たほうがいい。
沙良が口をつぐむと、彼女はふぅっと息をはいた。
彼女はちょっとだけ恥ずかしそうに、けれどもしっかりと沙良の目を見て、にっこりと笑って答えた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!