桜華はそう言っていた。梅雨の日に傘を差さないで帰ってきて、ずぶ濡れのまま部屋の前で泣いていた。夏がはしまったばかりなのに桜華は酷く震えていた。そんな話しで始まる、あの夏の日の記憶。
そんな桜華に私はいった。
戸惑う桜華を無視して私は準備を始めた。財布、ナイフ、携帯ゲームも鞄に詰めた。ふと、あたりを見渡すと集合写真が目に入った。隣に置いてある日記も。日記は破き、写真は投げ捨てた。他にも要らない物は壊していこう。人殺しとダメ人間の私と桜華の旅だ。
そして私達は逃げ出した。狭い、狭いこの世界から。家族もクラスの友達も全て捨てて桜華とふたりで、もうこの世界に価値などないよ。人殺しなんてそこら中わいてるじゃんか。桜華は何も悪くないよ。そう、桜華は何も悪くない。
けっけょく私達は家族にすら、誰にも愛されたことなんて無かった。そんな嫌な共通点で簡単に信じ合っていた。
桜華の手を握ったときかすかな震えは既(すで)になくなっていて、誰にも縛られることなく、二人で線路の上を歩いた。金を盗んで、二人で逃げて、何処(どこ)にでも行けそうな気がした。私達に今更怖い物なんてなかった。
額の汗も、落ちた眼鏡も、
当てもなく彷徨う蝉(せみ)の群れに。
水もなくなり揺れ出す視界に。
迫り来る鬼達の怒号に。
馬鹿みたいにはしゃぎ合っていた。そしたら、桜華はナイフを持った。
そして、桜華は…─首を切った。─
まるで、何かの映画のワンシーンみたい。
白昼夢(はくちゅうむ)を見ている気がした。
気づいたらたら私は捕まって、
桜華が何処にも見当たらなくて、桜華だけがどこにも居なくて。
───次の月───
そして時は過ぎた。ただ暑い暑い日が過ぎていった。家族もクラスの友達も居るのになぜか桜華だけがどこにも居ない。
………………、あの夏の日を思い出す。私は今でも、今でも歌ってる。桜華をずっと探してる。桜華にいいたいことがある。
9月の終わりにクシャミをして、
6月の匂いを繰り返す。
桜華の笑顔は、
桜華の無邪気さは、
頭の中を飽和している。
誰も何も悪くないよ。
桜華は何も悪くないから。
「もういいよ、投げ出しちゃおう」
そう言って欲しかったんでしょ?
ねぇ、桜華。
あの夏の日の記憶が私の頭の中を飽和している。
───────────────────────
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!