トレーナーが集まり、『それでは始めたいと思いまーす!』の一声で俺達は水しぶきを浴びた。イルカライブが始まった。俺達の席は最前列だった。織姫さんは『最前列が一番面白いのよ』と言うのでそんなことじゃないかと思った。イルカは三頭いた。一頭ずつ飛んだかと思えば、三頭同時に息の合ったジャンプを見せた。イルカは一定の場所に決まって飛ばないので織姫さんはあたふたとカメラを合わせていた。
「イルカはね、トレーナーさんの合図でジャンプしたり水しぶきを観客にかけたりするけど、あれは教えているわけではないの。イルカが人と一緒に遊んでいるのよ。気分が乗らないときはイルカはパフォーマンスをしないのよ」
もちろん餌をあげてパフォーマンスさせてるのよと一言添えた。
「イルカは自由気ままなのよ、そんな風に私もなってみたいわ」
まるでそれは織姫さんの力のことを言ってるのではないかと思えた。
織姫さんは自分の力を自由には感じていないのだろうか。
あくまで人の願いを叶えるものであって、自分の願いは叶えられない。
でも、俺達が織姫さんのために願えば話は別だ。
「織姫さんは、自分の力は失いたくない?」
「正直わからないわ、いざという時のために使うかもしれない」
俺達はまたイルカの水しぶきがかかり、織姫さんは微笑んでいた。
かぐやは『晴れなのに雨に濡れたようね』とおしとやかにはしゃいでいた。
イルカはステージにあがってエサを貰っていた。日光浴をしてるように思えた。
「春彦君は彦星の力を知らないうちに失って、怒ってない?」
「俺は意識を失うほど、力を使いすぎたから、もう使うべきではないのかもしれない。だから怒ってないよ」
かぐやを人間にすることは願い事の力が大きすぎたのかもしれない。
俺の体を心配して皆が決断してくれたことだ。それを後悔することはなかった。
「もう力を持っているのは私だけになっちゃったね。少し寂しいかな」
イルカを見ずに織姫さんは俯いていた。
遠方から新幹線の走る音が聞こえた
「俺達だって力はあるんだぜ?」
「え?」
「それじゃぁ、俺達から織姫さんに一つ願いを叶えてあげるよ」
「えっ!私、何もお願いしてないわよ。春彦君、もしかしてまだ、彦星の力を持ってるの?」
「力を使わなくても願い事が叶うことはあるんだよ」
「さぁ、では、ここで観客の皆さんにキララちゃんの頭を触って貰おうかな!触りたい人は手を挙げてー!」
トレーナーがマイク越しに大きな声を張り上げた
そして俺達は待ってましたと言わんばかりに、俺は織姫さんの右手を、夏樹は左手を掴んで素早く挙げた。
「えっ!何?」
織姫さんはバンザイをした状態で慌てふためいた。俺と夏樹を交互におどおどしながら見ていた。
「はい、素早く両手を挙げた女性の方と、そばにいる髪が凄く長い女性の方、ステージまで来てくださーい!」
俺とかぐやと夏樹はこの水族館のスタッフにイルカを触らせて欲しいと頭を下げて頼み込んだ。
そう、織姫さんのために俺達ができることをしたかった。最初はやはり断られたが、俺達がずっと居座って、織姫さんがこの水族館が大好きで何回も足を運んでいることや、イルカとの触れ合いをいつかできることを楽しみにしていると熱弁を振るった。やがて、俺達の懇願は了承してくれた。ただ、意外だったのは、俺達が頼んだのは織姫さんだけであって、かぐやまで一緒にイルカに触れることになるとは思ってなかった。かぐやは飛び跳ねて手を挙げたからだろうか。
俺は撮影係となって織姫さんが、イルカにエサをあげたり頭を撫でたりするところを撮った。
織姫さんがキャーと言いながら喜んでいた。一方かぐやはトレーナーと何やら話し合い。ポーズをとった。するとイルカが水面からジャンプした。かぐやは俺に向かって『その内、イルカにまたがって泳げるかもしれないわ』と大きな声で叫んでいた。『乗ってみますか?』とトレーナーさんからノリの良い一言を貰った。
二人が戻ってきた時に織姫さんは満面の笑みだった。
「みんな、本当にありがとう」
「お礼なら夏樹に言ってくれ。言い出したのは夏樹なんだから」
「夏樹君ありがとう」
「織姫さん、いつでも良いから、困ったことがあったら俺達を頼ってよ。俺達に力はないけど、織姫さんのためならなんでも叶えられるからさ」
そう言った夏樹は俺よりも彦星らしいと思えた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!