第7話

押絵と旅する男 7
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2022/04/12 23:00
老人
それはもう、一生涯の大事件ですから、よく記憶して居りますが、明治二十八年の四月の、兄があんなに(と云って彼は押絵の老人を指さした)なりましたのが、二十七日の夕方のことでござりました。

当時、私も兄も、まだ部屋住みで、住居すまい日本橋通にほんばしとおり三丁目でして、親爺おやじが呉服商を営んで居りましたがね。

何でも浅草の十二階が出来て、間もなくのことでございましたよ。

だもんですから、兄なんぞは、毎日の様にあの凌雲閣りょううんかくへ昇って喜んでいたものです。

と申しますのが、兄は妙に異国物が好きで、新しがり屋でござんしたからね。

この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持物だったという奴を、横浜よこはまの支那人町の、変てこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。

当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ
 老人は
老人
兄が
と云うたびに、まるでそこにその人が坐ってでもいる様に、押絵の老人の方に目をやったり、指さしたりした。老人は彼の記憶にある本当の兄と、その押絵の白髪の老人とを、混同して、押絵が生きて彼の話を聞いてでもいる様な、すぐそばに第三者を意識した様な話し方をした。だが、不思議なことに、私はそれを少しもおかしいとは感じなかった。私達はその瞬間、自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っているところの、別の世界に住んでいたらしいのである。
老人
あなたは、十二階へ御昇りなすったことがおありですか。

アア、おありなさらない。

それは残念ですね。

あれは一体どこの魔法使が建てましたものか、実に途方もない、変てこれんな代物でございましたよ。

表面は伊太利イタリーの技師のバルトンと申すものが設計したことになっていましたがね。

まあ考えて御覧なさい。

その頃の浅草公園と云えば、名物が先ず蜘蛛男くもおとこ見世物みせもの、娘剣舞に、玉乗り、源水の独楽廻こままわしに、覗きからくりなどで、せいぜい変った所が、お富士さまの作り物に、メーズと云って、八陣隠れ杉の見世物位でございましたからね。

そこへあなた、ニョキニョキと、まあ飛んでもない高い煉瓦造れんがづくりの塔が出来ちまったんですから、驚くじゃござんせんか。

高さが四十六間と申しますから、半丁の余で、八角型の頂上が、唐人とうじんの帽子みたいに、とんがっていて、ちょっと高台へ昇りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化が見られたものです。
老人
今も申す通り、明治二十八年の春、兄がこの遠眼鏡を手に入れて間もない頃でした。

兄の身に妙なことが起って参りました。

親爺なんぞ、兄め気でも違うのじゃないかって、ひどく心配して居りましたが、私もね、お察しでしょうが、馬鹿に兄思いでしてね、兄の変てこれんなそぶりが、心配で心配でたまらなかったものです。

どんな風かと申しますと、兄はご飯もろくろくたべないで、家内の者とも口を利かず、うちにいる時は一間にとじこもって考え事ばかりしている。

身体はせてしまい、顔は肺病やみの様に土気色つちけいろで、目ばかりギョロギョロさせている。

もっと平常ふだんから顔色のいい方じゃあござんせんでしたがね。

それが一倍青ざめて、沈んでいるのですから、本当に気の毒な様でした。

そのくせね、そんなでいて、毎日欠かさず、まるで勤めにでも出る様に、おひるッから、日暮れ時分まで、フラフラとどっかへ出掛けるんです。

どこへ行くのかって、聞いて見ても、ちっとも云いません。

母親が心配して、兄のふさいでいる訳を、手を変え品を変え尋ねても、少しも打開うちあけません。そんなことが一月程も続いたのですよ。

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