額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、幾つもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳と格子天井が遙か向うの方まで続いている様な光景が、藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。左手の前方には、墨黒々と不細工な書院風の窓が描かれ、同じ色の文机が、その傍に角度を無視した描き方で、据えてあった。それらの背景は、あの絵馬札の絵の独特な画風に似ていたと云えば、一番よく分るであろうか。
その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。黒天鵞絨の古風な洋服を着た白髪の老人が、窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿の子の振袖に、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿の美少女が、何とも云えぬ嬌羞を含んで、その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、謂わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
背景の粗雑に引かえて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。顔の部分は、白絹は凹凸を作って、細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植えつけて、人間の髪を結う様に結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、丹念に植えたものに相違なかった。洋服には正しい縫い目があり、適当な場所に粟粒程の釦までつけてあるし、娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりの艶めいた曲線と云い、こぼれた緋縮緬、チラと見える肌の色、指には貝殻の様な爪が生えていた。虫眼鏡で覗いて見たら、毛穴や産毛まで、ちゃんと拵えてあるのではないかと思われた程である。
私は押絵と云えば、羽子板の役者の似顔の細工しか見たことがなかったが、そして、羽子板の細工にも、随分精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬ程、巧緻を極めていたのである。恐らくその道の名人の手に成ったものであろうか。だが、それが私の所謂「奇妙」な点ではなかった。
額全体が余程古いものらしく、背景の泥絵具は所々はげ落ていたし、娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨も、見る影もなく色あせていたけれど、はげ落ち色あせたなりに、名状し難き毒々しさを保ち、ギラギラと、見る者の眼底に焼つく様な生気を持っていたことも、不思議と云えば不思議であった。だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。
それは、若し強て云うならば、押絵の人物が二つとも、生きていたことである。
文楽の人形芝居で、一日の演技の内に、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹をかけられでもした様に、本当に生きていることがあるものだが、この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げ出す隙を与えず、咄嗟の間に、そのまま板にはりつけたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。