第4話

押絵と旅する男 4
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2022/03/22 23:00
 額には歌舞伎かぶき芝居の御殿の背景みたいに、いくつもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳あおだたみ格子天井こうしてんじょうが遙か向うの方まで続いている様な光景が、あいを主とした泥絵具どろえのぐで毒々しく塗りつけてあった。左手の前方には、墨黒々と不細工ぶさいくな書院風の窓が描かれ、同じ色の文机ふづくえが、そのそばに角度を無視した描き方で、据えてあった。それらの背景は、あの絵馬札えまふだの絵の独特な画風に似ていたと云えば、一番よく分るであろうか。
 その背景の中に、一尺位のたけの二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。黒天鵞絨くろびろうどの古風な洋服を着た白髪しらがの老人が、窮屈きゅうくつそうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿ひか振袖ふりそでに、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿ゆいわたの美少女が、何とも云えぬ嬌羞きょうしゅうを含んで、その老人の洋服のひざにしなだれかかっている、わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
 洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
 背景の粗雑に引かえて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。顔の部分は、白絹は凹凸おうとつを作って、細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植えつけて、人間の髪を結う様に結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、丹念に植えたものに相違なかった。洋服には正しい縫い目があり、適当な場所に粟粒あわつぶ程のぼたんまでつけてあるし、娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりのなまめいた曲線と云い、こぼれた緋縮緬ひぢりめん、チラと見える肌の色、指には貝殻かいがらの様な爪が生えていた。虫眼鏡むしめがねで覗いて見たら、毛穴や産毛まで、ちゃんとこしらえてあるのではないかと思われた程である。
 私は押絵と云えば、羽子板はごいたの役者の似顔の細工しか見たことがなかったが、そして、羽子板の細工にも、随分ずいぶん精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬ程、巧緻こうちを極めていたのである。恐らくその道の名人の手に成ったものであろうか。だが、それが私の所謂いわゆる「奇妙」な点ではなかった。
 額全体が余程よほど古いものらしく、背景の泥絵具は所々はげおちていたし、娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨も、見る影もなく色あせていたけれど、はげ落ち色あせたなりに、名状めいじょうがたき毒々しさを保ち、ギラギラと、見る者の眼底にやきつく様な生気を持っていたことも、不思議と云えば不思議であった。だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。
 それは、若ししいて云うならば、押絵の人物が二つとも、生きていたことである。
 文楽ぶんらくの人形芝居で、一日の演技の内に、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹いぶきをかけられでもした様に、本当に生きていることがあるものだが、この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げ出すすきを与えず、咄嗟とっさの間に、そのまま板にはりつけたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。