第19話

Haechan × Mark
15,825
2023/04/17 06:26
!流血表現有り
!濡れ場無し
!一般的(?)に知られている吸血鬼とは少し設定が違う場合があります。
一年以上前に書いて眠っていた吸血鬼パロです。
四話ほど書いていたものを無理矢理二話に纏めたので読みにくい部分もしばしばあります。因みに完結してません。

反響が良かったなら続きもあげようとか、思っていたりいなかったり、です(笑)








「ねぇ、ジェミナ」



ふ、と意識が覚醒した。

傾いていた身体を起こせば、今の今まで背を暖めていた春の陽射しが机上に置かれた折れ曲がったルーズリーフを照らす。必死に抗っていた睡魔にもとうとう敗れ、眠りに落ちようとしていたところだった。


「吸血鬼ってほんとにいると思う?」


広くも狭くもない講義室の一角。死角ではないとは言え、教壇からは比較的目に付きにくい場所で、それなのに陽当たりはいい。授業時間の殆どを寝て過ごすヘチャンにとっては、打って付けの場所だった。

マイクの存在も忘れぼそぼそと持論混じりに講じる教授は、目前にある資料から目を離さない。室内中を見渡せるこの場所からは、寝坊したことを嘆いていた女子がブラシ片手に鏡を覗き込む姿も、肥満体型の眼鏡男子が大量の菓子パンを貪る姿も、全て丸見えである。

ぐるり、と周囲を見回して。それから、己の意識を覚醒させる起因となった、前に座る腐れ縁の友人たちの会話へと耳を傾ける。ジェノとジェミンがひそひそ、と。後ろの席に座るヘチャンが辛うじて聞き取れるくらいの声量。それでも、彼の気を引き付けるには十分な内容だった。



JM「何言ってんのジェノヤ、昨日そんなオカルト番組あってたっけ」

JN「違うよ。ほら、最近多いじゃん…道端で人が亡くなったってニュース」

JM「……あー、あの奇妙な話」



また一段階、声を潜めたジェノが、それでも声色明るく言った。少しだけ声に弾みがあるのは、きっとこの話がしたくて堪らないからだ。人間にあまり関心を持つことがないジェノは、関わりのない他人の死に同情し哀れだと悲しむような人間ではない。かと言って、それを嬉々として語るような心無い薄情な人間かと聞かれれば、そうでもない。語りたくなるだけの、何か“吸血鬼”と関連性のある面白い話題を手に入れたのだろう。

いや、ジェノに限ってそんな面白いわけがないか。


それと吸血鬼の何が関係あるのさ、と気怠げに呟いたジェミンに、またしてもジェノが楽しそうに笑った。



JN「原因がね、皆貧血なんだって」

JM「……吸血鬼が血を吸ったって?」

JN「だって、全員等間隔の二つの刺傷があるんだって。噛み跡みたいな…!」

JM「偶然だよ」



あっけらかんと言ってのけたジェミンの反応はあまり期待したものではなかったらしい。拗ねたように声色を曇らせたジェノを最後に少しだけ沈黙が訪れる。

しかし、それも一瞬だった。気を取り直したように小さく笑みを漏らしたジェノが、今度は後席に座るヘチャンを振り返る。少しだけブラウンがかった黒髪がふわりと揺れた。


JN「ね、ヘチャナ」


聞いてたよ。そう言おうとしたところで、ヘチャンは少しだけ思考を巡らせた。ジェノは思いの外、拗ねやすい人間だ。ただでさえ、大親友だと謳うジェミンに冷たくあしらわれて気を落としているのだ。ここでジェノの話を自分が遮ってしまったのなら…。

期待を孕んだ眼差しがヘチャンを射抜く。口元がにっこりと弧を描いて、陽に照らされた白い肌が透き通り、血の通う血管が顔を覗かせた。



ああ、_____……、





JN「ヘチャナー?目開けたまま寝てるの?」



不思議に目を瞬かせるジェノがひらり、とヘチャンの顔の前に手を翳す。はっ、と慌てたような素振りを見せたヘチャンは、飛んでしまっていた意識を引き戻すよう彼を見た。
それから思考を一巡りさせて。

ここはひとつ。ジェノのご機嫌取りに身を投じてやろう。



HC「なーに?」

JM「………聞いてたんじゃないの?」

HC「寝かぶってたよ」

JN「目ぎらぎらしてたよ」



ジェノの言葉に愛想笑いを零したヘチャンは、じとり、としたジェミンの視線を受けつつも、まるで今までの会話を何一つ聞いていなかったかのようにジェノの瞳を覗き込む。そんな彼を疑う様子もなく、ジェノの瞳は三日月型に可愛らしく細められていた。



JN「凄く面白い話があって」

HC「どんな話?」



態とらしく首を傾げるヘチャンに、楽しそうに笑ったジェノが、ぐ、と耳元へと唇を寄せてはジェミンへと投げ掛けた同じ質問を囁いた。
どうして、どんな…。そう質問を繰り返す度に、幼い子供のように喜んで話を聞かせてくれるジェノに逐一相槌を打ってやる。それだけで満足気なのだから、本当に話を聞いて共感して欲しかっただけなのだろう。それに気付いていても尚、有り得ない、と一刀両断するジェミンは本当に興味が湧かなかったのか。ジェノが拗ねるのを面白がっているのか。それとも…………。



JN「ね、ヘチャナはどう思う?」

HC「まあでも、人間が想像し得ることは実現できる、なんて言うんだし、生命体にも言えることかもよ」



言ったヘチャンに、自慢気に笑ったジェノがジェミンを見遣る。考え方は人それぞれだよ、とジェノの襟足を撫でつけたジェミンが溜息混じりにそっぽを向いたところで、校内のチャイムが彼らに授業の終わりを知らせた。

不自然に途切れた教授の声。何か喋るわけでもなく、小さく腰を折って挨拶をした彼はそそくさと教室を去った。途端にざわつき始める室内の、先程まで充満していた心地の良い空気は一気に霧散してしまい、今じゃ小さな物音さえ誰の耳にも止まらない。

席を立ち、友達の元へ小走りに駆け寄る者。仮眠を取ろうと机に突っ伏す者。帰宅するために机上に広がる私物たちを片付ける者。

俺も今日はこれで終わりだったっけ。

記憶の中に埋め込まれた手帳を開き、予定を確認するヘチャンは、未だに机の前へ気怠げに腰を掛けたままだ。頭は冴えきっているものの、まだ眠気を取り去りきれていない身体は少しの身動ぎさえも拒み、それに逆らうことなく背凭れへと身を委ねていた。



JM「あれ、ジェノヤ。もう帰るの?」

JN「今日はロンジュニとバイトだよ」



ジェミンの声に頭だけを動かせば、荷物を纏めたジェノが丁度椅子から立ち上がるところだった。重たげなリュックを右肩に引っ掛け、丁寧に椅子をしまう。ポケットへ両手を雑に突っ込みながら、座ったままの二人を見下ろした。



JM「そのまま行くの?」

JN「うん、そうした方が近いし」



言って、人当たりの良い笑みを浮かべたジェノは「じゃあね」と一言告げて入口まで歩いていく。すれ違う同期達とも挨拶を交わし、やがて扉の外へと見えなくなってしまった彼を合図に。今度はジェミンの視線がヘチャンを射抜いた。

少しだけ機嫌悪そうに此方を凝視する彼に、へチャンは訝しげに片眉を上げる。何か、彼を怒らせてしまうようなことをしただろうか。そう考えて記憶を掘り起こそうとしたところで、やめた。

どうせ大したことではないのだろう。ジェミンが本気で腹を立てているならば、きっと顔すら合わせてはくれない。もうこれまでに何度も彼を怒らせているヘチャンからするならば、それを理解することは容易い。昔から、お前と俺とでは性格が合わないから気に食わない、と真っ向から言われていた程だ。それでも離れることなく共にいるのだから、本当に嫌っているわけではないのだろうが。

いや、理由はまた別か。



HC「なーに、ジェミナ」

JM「俺にその喋り方しないで」

HC「はぁ?お前だって俺にそうやって言うじゃん」

JM「へチャニがするとウザさが二倍なんだよ」

HC「…………ひっでぇ、」



特別、怒らせたと言うわけではないらしい。それでも少しだけ尖らせた唇は拗ねているようにも見える。何が彼の顔をこうさせているのだろう。如何せん、彼らは互いの機嫌の浮き沈みに己が関係していたとて、性格が正反対である故に、何が彼をそうさせているのか皆目見当もつかないのだ。じとりとしたジェミンの瞳と、視線を絡ませたまま、ヘチャンは小さく首を傾げた。



HC「何?」

JM「………どうして否定しなかったの」

HC「…………ああ、」



ジェミンの言葉に思考をぐるりと回した後で、一つだけ思い当たることがあった、と相槌を打つ。



HC「別に、肯定したところで俺たちの正体がバレるわけじゃないでしょ」

JM「……バレたらどうなるか分かってんの?」

HC「間違いなく銃殺でしょうね、死なないけど」

JM「…………声がでかい、」








ジェミンもまた、ヘチャンと同類であった。




__________
_____




その昔。後にヴァンパイアと称されることになる、奇妙な男がいた。
ナイフで首の動脈を斬られようと、銃で心臓を撃ち抜かれようと、まるで何事もなく生き続ける不死身の存在。人間の血を啜り、その血液は栄養として蓄えられる。

彼は何度も殺された。

水の中へ沈められ、毒ガスを吸わされ、火に炙られることもあった。

それでも彼は生きていた。

人類は彼を恐れ、牢の中へと閉じ込めてしまったそうだ。やがて、血を吸うことができなくなってしまった彼は滋養を失い死んでしまったと言う。

安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。またしても現れた“奇妙な”彼らは見覚えのある顔ぶれだった。

血を吸い取られて死んでしまったはずの母親、恋人、親友。

人外へと姿を変えてしまった彼らに、人間はそれはもう絶望の淵に立ったような気分だっただろう。いや、実際にその町は地獄と化していた。

そして、人間たちは彼らを殺すことはできなかったのだ。町の住人は全滅し、人外としての新しい生命を手に入れる。

彼らはヴァンパイア、またの名を吸血鬼。
生と死を超越した存在。





そんな馬鹿げた伝説が実録であることを、ヘチャンは知っていた。



道に転がる石を蹴り転がしながら、日の沈んだ空を見上げて歩く。
立ち並ぶ住宅の、塀の隙間から顔を覗かせた猫が、身体を大きく跳ねさせては尻尾を巻いて逃げていく。

道を照らすのは等間隔に立ち並ぶ小さめの街灯だけ。
放電の不具合が原因で点滅を繰り返す街灯の周りには虫が飛び交っていて、チカチカと道を照らすそれが設置目的とは反対に不気味さを漂わせていた。

今日は少しだけ風が強い。
春とはいえ、まだ夜には少しだけ冷たい風が樹葉をざわめかせ、己の足音さえも葉の揺れる音に紛らわされる。

こんな日こそ、ヘチャンにとっては絶好の日和だというのに。今日はひと一人、通りはしない。
足元で遊ばせていた小石を水路の穴へ落とし、人知れず溜息を吐く。



HC「もう三日も吸ってないけど」



そう独りごちて、左手にあった路地へと入り込んだ。壁に凭れながらしゃがみこんでは、また一つ息を零す。

近頃はあまり上手くいかないものだ。

ジェノの言う、奇妙な死体が発見される毎日。それが世間を騒がせているせいで、夜間に外出する人間がめっきり減ってしまっていた。単に人目がないという状況を避けたがっているのか、それとも、伝説上にしか存在するはずのない吸血鬼の仕業だと噂立っていることが恐怖を煽っているのか。

吸血鬼が日の光に弱いというのは有名な話である。それが実は虚言である、と言うならばどうなってしまうのだろう。

人類やその他生物が進化を遂げていくように、吸血鬼とて形変わっていくものである。ニンニクが苦手であることは変わりないが、口にして死ぬわけでもないし香りに鼻をやられるわけでもなくなった。日光が弱点だという説に関しては、全くの勘違いだ。気味悪がられ、殺そうと追いかけ回されることを知っておいて、態々人目の多い場所で本性を晒すわけがないだろう。

その伝説を信じられている限り、自分が捕えられることは一生ないだろう、とヘチャンは一人ほくそ笑む。人間というのはあまりに愚かで、滑稽だ。そこがまた愛おしい。

そう考えるなら、ヘチャンも幾分か機嫌を立ち直せた。


もう少しだけ、顔も知らない誰かを待っていよう。







そして暫く。

頭を後ろに傾け、壁に後頭部を預けていたヘチャンは、不意に聞こえた地面を擦る音に耳を澄ますよう頭を起こした。

己の歩いてきた方向から聞こえるヒールの甲高い音。じゃら、と音を立てる金属。鍵の擦れる音だろうか。自宅がもう近いのかもしれない。

やっとだ。ヘチャンは口角を上げた。

数秒して、佇む路地を通り過ぎて行った彼女に、ヘチャンはゆらりと立ち上がる。ヘチャンよりか幾分も細く白い手首を引っ掴み、悲鳴を上げる隙も作らず引き寄せた。恐怖に立ち竦む彼女の身体を背後から包み込むようにして腕を回し、口元を右手で塞ぐ。身体を密着させて首筋に顔を寄せれば、ひくりと引き攣る喉。長く伸びる艶やかな髪を、歯を使って雑に掻き分ける。ふう、と息を吹きかけられ、熱い舌にねっとりと舐め上げられれば、途端に粟立つ肌。


HC「いただきます」


唇をひと舐め。
妖しく片唇を吊り上げたヘチャンが華奢なその首に顔を埋めた。ぷつり、と皮膚の破れた音がしたと同時。勢いよく啜られていく血液。噛み付いた瞬間に飛んだ血滴がヘチャンの頬を汚した。口を押さえ込まれている状態では悲鳴を上げることも敵わない。抵抗しようと暴れ回っていた肢体も、暫くすれば動きを鈍らせ、だらり、と力無く下に垂れ落ちてしまった。

まだ、まだ足りない。

本能を顕にしたヘチャンの瞳は獰猛さを孕み、何者をも寄せ付けはしない。啜りそびれた赤い液体達が彼女の腕を伝って、路面に染みを作っていく。ごくり、と口の中に溜め込んだ大量の血を嚥下した。血が喉を通る快感に喉を鳴らしたヘチャンは、またしても首筋へとかぶりつく。

腕に抱かれた女性は既に息をしていない。







ざり、と。地面を踏み締める音が聞こえた。壁に飛び散った血液達が乾き始めた頃。路地裏中に充満した鉄の匂い。蟻一匹寄り付かない場所に、小さな物音がするならば、どんなに吸血に夢中だとしても気付いてしまうだろう。ゆっくりと顔を上げたヘチャンの見詰める先には、恐怖に唇を戦慄かせている男の姿。


HC「……………何か用?」


冷え切ったヘチャンの声に、びくり、と肩を震わせた。
怯えるくらいなら見なかったふりでもして逃げればよかったのに。ヘチャンからするならば、漸く手にした至福のひととき。それを邪魔されてしまうのは許せるものではなかった。

光を宿さない三白眼。口元にべっとりと付着した血液。唇から少しだけ覗く鋭い牙。

恐ろしさに慄く男は、一歩、また一歩と後退りながら、けれども頭の中は冷静だった。きっとこれが吸血鬼だ。逃げなければ、自分とて直ぐに捕食されてしまう。
そうは思っても、ここで吸血鬼に血を吸われる女を見捨てることは、己の正義感が許してはくれなかった。無意識に足を止めてしまった数分前の自分を否定しようとは思わない。小さく、数センチずつ後ろへと引き摺っていた両足に力を入れて、ぐっと踏み止まる。

瞬き一つせず、男を眺めていたヘチャンは、電柱の真下で立ち止まった彼を不思議に思って、小さく首を傾げた。吸血鬼の本性を呈したヘチャンを前に、逃げようともしない人間を見たのは初めてだったのだ。腰を抜かして滑稽に走り去っていく者か、許しを乞うように地面に這い蹲る者か。彼もそのどちらかだと勝手に想像していたから。

俄然、彼に興味が湧いてしまったヘチャンは目を凝らして、彼を凝視する。
自分よりも少しだけ高い背丈。キャップを被っていて顔はよく見えないけれど、点滅する街灯に一瞬だけ照らされた顔立ちは自分好みに綺麗だった。形のいい鼻と薄めの唇。首元と手首にはシルバーの大きなアクセサリーを身に付けているのに耳には穴が空いていないのか、ピアス一つぶら下がっていない。

痛いのが苦手とか…。

そんな風に想像しては更に楽しくなってしまったヘチャンは目を爛々と輝かせ、不敵に笑う。

あの男が欲しい。



HC「……………逃げないの?」

「っ………、」

HC「……ふふ、怖い?」

「……、その人………っ、離せよ、」



恐怖にガタガタと震えながら、彼はヘチャンへ手を伸ばした。もう片方の身体横へと残された左腕は、耐えるように力一杯握り締められている。

ああ、愛らしい。

腕に抱えていた女を手放せば、どさりと横たわる身体。まさか、とでも言うように表情を強ばらせた彼に、ヘチャンはその顔に笑顔を浮かべたまま、彼女の死体を跨いだ。血溜まりをべしゃり、と踏み越えて、立ち竦む彼へと歩みを進める。



HC「血、吸いすぎちゃった」

MK「………死んだ、の、」

HC「そうだね」

MK「なんで………、」

HC「ん?」

MK「………なんで、そんなことが………っ、できるんだよ、」

HC「こうしてないと俺は生きてられないから」



至極当然であるように言ってのけたヘチャンに、彼は口を噤む。知らぬ間に、二人の距離は、人ひとり分までに近付いていた。慌てたように後退ろうとした彼よりも先に、手を伸ばしたのはヘチャンの方だった。ひやりとした体温の殆どない掌が彼の頬へと這わされる。触れたそれは冷たいのに、優しく撫でられる肌に、ぞわりと悪寒が走った。


HC「名前は?」

「っ……ひ、」

HC「食べちゃうよ?」

「……………ま、マーク、」


ヘチャンの脅迫に分かりやすく、恐怖に染まりきってしまった瞳が揺れる。筋肉が強ばったせいで動かない口を必死に動かして名前を告げたマークに、ヘチャンは満足げに口角を上げた。頬を撫ぜていた手を身体のラインをなぞるように滑らせて、指同士を絡ませる。ばち、と大きな音を立てて光の点った街灯が、点滅することなく二人を照らした。マークを愛おしそうに見詰める真っ黒な瞳が細められて、それから一言。



HC「ウチ、おいでよ」




__________
_____




MK「……………お邪魔します」

HC「あはは、マクヒョン、吸血鬼にも礼儀がなってるね?」



路地から歩いて十数分。

恐ろしい人外だと思っていたヘチャンは存外、明るく元気な子で、マークは、あの場で見たものは幻覚だったのではないかと疑いたくなる程だった。問題があるとするならば、ヘチャンが歳上であるマークに対し、敬語を使わず生意気な態度をとることくらい。

繋がれた手はそのまま。マークへ妙に懐いてしまったヘチャンは、彼を“マクヒョン”と呼び、マークにも“ヘチャン”と呼ぶよう強制させた。マーク本人こそ自覚は無いが、先程までの恐怖からの震えは既になりを潜めていて、自らヘチャンの手を握り返し、笑うことこそないものの、その顔は幾分か和らいでいる。

これが、ヘチャン持ち前の人懐っこさ故なのか、計算づくされた罠なのか、旗またマークのガードが緩すぎただけなのか。

音を立てて開いた扉の先に広がる部屋の内装に、マークは目を瞬かせた。ヘチャンの行先は、寂れた屋敷でもなく、森を掻き分けた先にある蔦に覆われた小さな一軒家でもなく。自分が住むマンションと何ら変わりのない、白いタワマン。ならば部屋の中は、と覚悟していれば、マークの予想に外れてシンプルに統一された内装。セミダブルのベッドと、隣に置かれたデスク。それから、小さめのテレビが壁に沿って置かれている。木目調のデスクの上には、友達と撮ったのであろう、ヘチャンを含め四人で写った写真が飾られていた。


HC「もっと怖いものが置いてあると思った?」


例えば頭蓋骨とか。
言って、ケラケラと笑ったヘチャンがマークを覗き込む。座りなよ、と手を引かれるままにベッドへと腰かけ、その隣に半人分の隙間を空けてヘチャンも腰を下ろした。それから、ベッドの上に投げ置いてあった飲みかけのペットボトルを手にする。透き通った水を喉に流し込んでいくヘチャンの様子を隣で眺めていたマークがこくん、と喉を鳴らした。疲労やら恐怖やらで乾ききってしまっていた喉が水分を求めて唾を飲む。口元を少しだけ動かして、けれど「喉が渇いた」とは決して言い出さない。そんなマークに気が付いたヘチャンが顔をくしゃりと歪めて笑った。
まるで、お強請りの仕方が分からない子供が困ったように周りを羨んでいるみたいだ。

可愛い。愛おしい。

何か飲む?と首を傾げられ、マークは頷きそうになるのをすんでのところで踏み止まり、首を振った。本能には逆らえないが、ヘチャンは吸血鬼だ。そう簡単に身を委ねられるものではない。そんな感情が、表情を通して分かりやすくヘチャンに伝わっていく。そっか、と小さく笑ったヘチャンの寂しそうな表情にマークは眉を顰めた。

そんなマークに少しだけ驚いたような表情を見せたヘチャンだけれど、直ぐにおどけたように笑ってはデスクの上に置かれた写真立てへと手を伸ばす。


HC「これ、俺の友達だよ」

MK「全員、ヘチャナと一緒なの?」

HC「いや?こいつ、ジェミンだけ」


残りの二人はマクヒョンと同じ、人間だよ。俺たちが吸血鬼だってことも知らない。

言ったヘチャンに、バツが悪そうに顔を俯かせれば、「気にしないで」と笑った。

悩んだところで、どうしようもないことなんだから。

そう、傍から見れば冷たく、寂しく聞こえるような言葉も、ヘチャンは平気な顔で告げる。


HC「マクヒョンはこいつらと気が合いそうだよ」

MK「………そう?」

HC「うん、皆良い奴なの」


それから暫く、ヘチャンは嬉々とした表情で三人の友人について、マークへ話して聞かせた。
ジェノやジェミンとは幼い頃からの腐れ縁で、ジェノがジェミンに片思いしていること。本当はジェノの気持ちに気付いているのに、敢えて気付かないふりをしているジェミンのこと。中国からやって来たロンジュンが可愛くて仕方がないこと。

楽しそうに話す姿は人間と何一つ、変わらないのに。



MK「ジェミンはジェノを好きじゃないの?」

HC「大好きだよ?ジェノがジェミンを好きになる前からずっと好きだったよ」

MK「……じゃあどうして、」

HC「吸血鬼だから」



吸血鬼と、人間とじゃワケが違うでしょ?



被せ気味に言ったヘチャンは、はっきりと。他人事のような声色で告げた。
それなのに、その表情は苦しげに歪められている。

自分が辛そうに眉を寄せていることに気が付いていないのだろうか。マークの心配を他所に、ヘチャンは淡々と口を動かし続けた。自分の心を殻に閉じ込めていくように。先程までの純粋にさらけ出されていた心はどんどん霞んでいき、遂にはマークの瞳からは何も読み取ることができない程に。



HC「怖がられるし、軽蔑されるよ」

HC「仮にジェノが受け入れてくれたとして、その先に明るい未来はないでしょ?」


互いに想い合っているのに。
人間と吸血鬼じゃ、苦しめ合うだけじゃないか。


HC「ジェノに嫌われることも怖いし、ジェノを苦しめることも怖いんだよ、ジェミンは」



弱虫だよね、あいつ。

言って、引き攣らせた顔のままで無理に笑うヘチャンに、マークが腕を伸ばした。そんな表情を見せつけられて、黙ってはいられなかった。触れずには、いられなかった。

さらり、と襟足を撫でるその手付きに瞠目したヘチャンがマークを見遣る。



HC「……なに?」

MK「お前は…?」

HC「…………ん?」

MK「お前はどうしてそんなに辛そうなの、」



不安げに寄せられた眉に、ヘチャンははっとして自分の口元を片手で塞いだ。喋り過ぎたと思った時にはもう遅い。無意識にペラペラと動かし続けていた口は、さっき水を含んだばかりだと言うのに既にカラカラに乾き切っていた。弱っているのだろうか。いつも通り、部屋に連れ込んで、血を吸って身体を掘って、それから棄ててしまう予定だったのに。

どうして彼は、自分を吸血鬼だと知っていて、こんなに近い距離に居てくれるのだろうか。

口を塞いでいた右手はマークによって剥がされ、少しだけ高い位置にある頭がヘチャンの顔を覗き込む。シーツを擦る音が聞こえて、マークが距離を詰めた。ヘチャンが、故意に空けていたスペース。慌てて距離を空けようと身動いだヘチャンの顔を両手で挟んで、マークはヘチャンの瞳を見詰めて離さない。



MK「なんで、お前が逃げるの」

HC「どうゆうつもり、」

MK「俺のセリフだよ。なんでお前の方が俺を怖がんの」


ゆらり、とヘチャンの瞳が揺れたのを、マークは見逃さなかった。

何を、そんなに怖がる必要があるのだろうか。


MK「お前は悪くないだろ」

HC「全部、俺のせいだよ」

MK「何言ってんだよ、お前の友達のことだって別にお前が、」

HC「ヒョン、何を勘違いしてるのか分からないけど、俺は人殺しだよ」





陽気で明るい彼と、冷酷で残忍な表情を見せる彼。どちらが本当のヘチャンなのだろうか。

身を乗り出すマークの肩を押しやったヘチャンは自嘲の笑みを浮かべながら、瞳を眇めた。


HC「ヒョンも死にたい?」

MK「…………自分のことは平気そうに話すのに、友達のことになると、」

HC「黙って」

MK「ぅ、っ…………なに、」


ヘチャンの手が自分へと伸びて咄嗟に目を閉じたマークに、ヘチャンが唇を噛み締める。蘇る記憶に、襲い来る後悔に、ヘチャンは恐怖した。己の過ちのせいで吸血鬼へと変えられてしまった彼に、あまりにもマークが重なってしまうから。

ベッドへと押し倒され、薄らと目を開いたマークが恐怖に色付いた瞳をヘチャンへ向けた。


HC「なんで、ヒョンが知ったような口聞くわけ?」

MK「………おい、何する気だよ、」

HC「例えば、ヒョン」

MK「……なに、」



俺はヒョンを殺せるんだよ。



身に纏う雰囲気を鋭くさせたヘチャンに、マークがびくりと肩を震わせる。

そんなこと、分かっている。
数十分前に、滴る血滴を、頽れる身体を、冷酷に光る瞳を見た。
それを知っていて、それでも触れてみたくなるのだ。

無邪気に笑う彼を見て。苦しげに目を伏せる彼を見て。己の手首を押し付ける、震える両手を知っていて。
誰が彼を“人殺し”という言葉一つで、その存在を見限ってしまうことができるだろうか。

少なくとも、それをマークはできなかった。



MK「ヘ…、ヘチャ、ナ、……っ、」

HC「…………なーに、ヒョン、」



首を傾げて、ヘチャンはマークを見詰めた。まるで、蛇に睨まれた蛙。真っ黒に染まった瞳が、金縛りのようにマークの身動きを封じる。

怖い、殺される、逃げ出したい。
掴まれた手首が、痛い。

恐怖で真っ白に染まった頭では、何も考えられなかった。こうやって、あの女性も死んでいったのだろうか。そうだとしたのなら、どんなに怖かっただろう。
血を吸われ、痺れていく身体。貧血に白んでいく視界の中で、血を吸う音と彼の息遣い、そして声だけが鼓膜を震わせる。ゆっくりと閉ざされていく意識の中で何を、誰を、思ったのだろう。

彼女が彼に。ヘチャンに、何をしたと言うのだろうか。本当に死ぬべきは彼女だったのだろうか。


MK「なんで………、なんで、殺すの、っ、」

HC「………は?……だから、血がないと生きて、」

MK「死ぬまで…吸わなくても、いいでしょ、?」


ぴたり、と。ヘチャンの動きが止まった。途端に静けさを増す室内に、マークの震える息遣いだけが空気を揺らす。

刹那、ぎちぎちと引きちぎらんばかりに握り締めるヘチャンの両手が、マークの骨を軋ませた。人間の力だとは到底思えない握力に、マークの身体がのたうつ。下を向いていては部屋の明かりなど瞳には映らないはずなのに、獰猛に光るヘチャンの瞳は今にもマークを睨み殺さんと血走っている。痛い。離して。マークの涙声の懇願は、ヘチャンに届かない。野獣のように唇の隙間から溢れた吐息混じりの唸り声。歯の裏に隠れた、鋭い牙が覗いた。

恐怖に、全身がガタガタと震えた。血の気が引いていく感覚。頭が痛い。


MK「やだ…っ、ヘチャナ、離せっ、!どうしたんだよ、!ヘチャナ!」

HC「っゔ…、」


咄嗟に、ヘチャンの腹を蹴り上げたマークの足が効を奏した。一瞬、痛みに力の抜けたヘチャンの隙を縫って、今度はマークがヘチャンの身体をベッドへ押し付ける。我に返ったヘチャンが悔しげにマークを見上げる。それから、ふと笑みが零れた。

そんなに精一杯に睨みつけているのに、心配げに歪められた眉はそのまま。

不思議に眉を顰めるマークに構わず、ヘチャンはその眉間を人差し指でぐっと押しやった。


HC「……怖がりのくせに」

MK「なんだよ…、なんで、急に……」

HC「ねえ、マクヒョン。俺は人殺しだよ」


自嘲気味に笑うヘチャンにマークが顔を歪める。

そんなもの、会った瞬間から分かっている。そんな風に笑うのだったら初めから言わなければいいのに。
分かりやすいね、とヘチャンが頬を緩ませた。


MK「なに」

HC「怖くないの?」

MK「…………怖いに決まってる、」


少しだけ迷った後で、マークは素直に告げた。ここで意地を張ったところで、どうせ彼には全て見透かされているのだろう。そんな虚勢など捨て去って、正直に答える方がマシだと思った。
またしても愉快に笑うヘチャンが、マークの首筋を緩く撫でた。びくつくマークの身体に構いもせず、耳を擽り、目元をなぞる。

もう一度、マークの名前を呼んだ。



HC「俺の全部を知って、どこまで受け入れられるの?」



は、と。マークの唇から漏れたのは乾いた吐息。

何も、受け入れられるわけがない。
吸血鬼が存在していることも。それがお前だということも。そんなお前を気に掛けてしまう己の心も。俺を気に入るお前の意図も。

そう素直に告げるのならば、ヘチャンは小さく「そう」と相槌を打った。


MK「でも………、」

HC「うん?」

MK「分かってやりたい、とは……思う、」

HC「…………そう」



尽く、マークは彼に似ている。とヘチャンは人知れず、彼の顔を思い出した。揺らめきそうになる心をどうにか繋ぎ止め、己を押し倒すマークの腰へと腕を回す。自分が異端な人間だと分かっていて、ヘチャンは縋りつきたくなるのだ。その相手は、いつだって人間である。



HC「マクヒョン」

MK「なんだよ、」

HC「俺に、委ねて」



そうして重なった唇から伝わるは、血の風味。







_________________________

すみません。濡れ場ないのにこの文字数ってだるいですよね。

読み返して、一人で「だる〜」と声を上げてしまいました(笑)



確か一年半くらい前にマーク受けにどハマりしていた私が書いた小説です。

長編なるものを書いてみたくてアカウントを作り、三話と少しを書き終えたところで、「私に長編なんて絶対に無理だ」と断念。設定も結末も全部決まっているのに、中身が書けずメモの奥底へ埋まっていました(笑)

その時に作ったプリ小説のアカウントは今では読み垢(もう長らく開いていない)になってます(笑)

吸血鬼パロがどうしても書きたかったあの頃に、ケミを散々迷った挙句、好きだったマク受けにしたのですが、この選択が、もう本当に、とっても書きやすかったです。

マークってとてもお人好しなので、こういう可哀想な主人公キャラみたいなのが凄く似合う気がします。

吸血鬼を誰にするかっていうのにも凄く迷った記憶があって、ヘチャン、テヨン、ジェヒョン辺りが候補でした。

テンとかドヨンもいた気がする。多分この二人が吸血鬼だった場合はもっと違うお話の構成だったと思います。

ヘチャンになった決め手はただただマクドンが好きだったのに加え、裏で闇的ものを抱えているのはヘチャンが一番似合うな、と思った結果でした。

きっと今の私が吸血鬼パロを書くのならジェドだと思います(大方、疾走とayyoのジェを見たせい)

もし続きを上げるのだとしたらめちゃくちゃの濡れ場なのですが、それで完結というわけでは全くないので、どうしたものかと迷っているところです。

ドンマク且つ吸血鬼パロ好きな方いらっしゃいますか?



そんな感じで散々悩んだ挙句の投稿でした(笑)

とは言え、長編を書きたいなと呟いてばかりの今日この頃です。

だらだら書き綴る癖がある私なので完結しなさそうでとても怖いのですが(笑)

取り敢えずドリムのコンゴンズたちに青春させてあげたい。あの四人の高校生パロって絶対に可愛いですよね。

それか、セフレ関係のユテ。昼ドラみたいな小説が書きたいです(笑)



長々と読んでくださりありがとうございました。

次話からはまたリクエストを消化していきたいと思っています。ジェヒョンジェノのスロセです!


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