だれかの…こえがきこえる…
だれ……?
だれかそこに…─────────
見覚えのある天井だ。
しかも、最近見たばかり。
そして、同じ匂いの布団。
これもまた、最近。
私の顔を心配そうに覗き込む唐松さん。
あれ、わたし、
ここを出て、それから、具合が悪くなって、
それで───────
湧き上がってくる胃液を慌てて飲み込んだ。
私は口を抑えながらこくこくと首を縦に振る。
私…そうだ、、
…………やっぱりあの人悪い人だったんだ、
唐松さんは優しい顔をして、私の着崩れた着物をぴっちりと直してくれた。
あの時、制服が無かった気がするから誰かが着せてくれたのかな。
ぼーっとしていた私は、まだその誰かを考えることも、お礼を言うことも考えられていなかった。
唐松さんは本当に申し訳なさそうな顔をして、その先の言葉を躊躇っていた。
俯き、唇がちぎれるんじゃないかというくらい歯に力を入れる唐松さんの名前を呼んだ。
唐松さんはハッとして顔を上げ、眉尻を下げている。
こんなに弱々しい唐松さんの顔、初めて見た。
あぁ、こんな顔をするこの人が人間嫌い?
たかが一人の人間の心情を察して、こんなにも苦しそうな顔をするこの人が…?
嘘だ。
こんなにも人の為になれる唐松さんが人間嫌いなわけが無い。
─────きっと、その逆だ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
跪き、頭を垂れる二人はさっきまでの取り乱した様子とは全く別人のようだった。
二人には特に信頼を置いていた唐松は、すっかり安心しきっていた。
消えた二人を見送った後、会議室には唐松ただ一人きりのように思えた。
その時、再び会議室中央に影が現れた。
派手に舌打ちをして、明らかに苛立っている様子の唐松。
苛立っているのは遅松も同様であった。
唐松はつい先程の、遅松の言葉を思い出した。
遅松の表情で、唐松と丁呂松は察したのだ。
唐松はほっと胸を撫で下ろした。
通常、人間が妖魔門から百目の手によって送り出される際、違法な行為に人間が巻き込まれることを避ける為、百目お手製の妖力の籠った頭巾を被り妖井戸へ向かわせるきまりになっている。
その頭巾を被った人間が、違法行為に巻き込まれる事は滅多に無い。
唐松はまだ驚きを隠せていなかった。
こんな事、頭巾配布が始まってから無かったのだ。
返事に渋る遅松。
遅松は急に態度を翻し、唇を尖らせいい訳を始める。
遅松の顔からサーッと血の気が無くなってゆく。
唐松の顔にはピキピキと青黒い血管が浮き出ている。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
森に入ってから牛鬼に捕まり、一部始終を唐松さんに話した。
あの時、牛鬼に食べられそうになった時、突如聴こえた金属音と同時に牛鬼はダメージを受けていたようだった。
百目さんが重々しく口を開く。
牛鬼は大犯罪を犯した妖界、そんな危険な妖怪を自ら解放するなんて…
唐松さんは私の横に腰掛け、足元に視線をやりながら小さく口を開いた。
日本史で習った、昔の人間みたいだと思った。
今も差別や偏見はあるけれど。
百目さんは少し微笑んで、誇らしげに語った。
やっぱり唐松さんは凄い。そんなこと、並大抵の努力じゃ叶わない。
なんだか、妖魔界という世界も大変な問題を抱えてるらしい。
私はまだ、何も知らない。
嫌味?唐松さんそんなこと言ったかな…?
唐松さん、また笑った。今日はよく笑ってくれるなぁ。
唐松さんが笑ってくれると、私も自然と笑顔になっちゃう。
唐松さんは立ち上がって、座る私の前に跪いた。
唐松さんは何か言いたげに口を開いたが、直ぐに首を横に振った。
唐松さんはそう微笑むと、大きなゴツゴツとした手でわしゃわしゃと私の頭を優しく撫で、その場から消え去った。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!