「お電話ありがとうございます」
「恐れ入りますが」
「申し訳ございません」
沢山の定型文が飛び交うオフィス。
長時間着けたヘッドセットの耳にかける部品の角が、神倉薫の耳に着実にダメージを蓄積していた。
月曜日
PM19︰43 職場
注視するパソコンのモニター。
待機中から着信へと表示が変わる。
「お電話ありがとうございます。〇〇通販カスタマーサポートの神倉です」
「ありがとうじゃないわよ、サイズが全然あってないじゃない!」
「ご購入頂いた商品のサイズが合っていないということですね、ご不便をおかけして申し訳ございません。大変恐れ入りますが、ご購入頂きました商品の商品名か商品番号はおわかりになりますか?」
「はぁ?!あんたカスタマーサポートでしょ?何でそんなことも把握してないのよ!」
またこのパターンだ。
ここは通販番組の商品に関するお問い合わせ窓口。
お客様のご購入頂いた商品のご不明な点に対して対応する部署、という革を被ったほぼクレーム専門の部署になる。
そしてここは戦場、地獄にして牢獄。
商品に関する質問的なお問い合わせなどほとんどこない。
そこにあるのはクレームという殻を被った罵声、暴言、罵り、怒り。
だかそんなことは日常茶飯事である。
クレームを対応する側は右から左に聞き流しているんだから少しくらい強めに言ってもいい、なんて思われがちではあるし
実際僕も理不尽な対応に関してはなるべくそうしているけれど、それにしたって限界はあるし皆が皆そうしている訳ではない。
先週、僕の隣にいた女性も対応に大分苦慮(くりょ)してたみたいで、昼休憩の時間になるとトイレ休憩に向かった僕の隣の女子トイレから号泣の泣き声が聞こえてきた。以降、その日を堺にその女性は職場に姿を現さなくなったのである。
ちなみにそれは珍しい話ではなく彼女で5人目。僕の同期の派遣社員は入社から3ヶ月で役半数ほどに減ってしまった。
派遣の入れ替わりが激しいといわれている所以(ゆえん)は派遣社員それぞれのメンタルやモチベーションの問題だけではなく
もしかすれば「劣悪な職場環境ではあるが、代わりなどいくらでもいるので取り敢えず派遣に任せればいい」
という謎の風習があるからなのかもしれない。
PM19︰55
「ご不便をおかけして申し訳ございませんでした。私(わたくし)神倉が承りました。はい、では失礼致します」
ようやくお客様が詳細を話してくださった。
どうやら頼んだ服のサイズと別のサイズが届いてしまったらしい。
確かにサイズを間違えたのはこちらの不手際だけども、ならせめて最初から服と一言添えてほしかった。
無駄に時間を費やしたがまあいい、残りの終業時間までの5分間で電話が来ることなんてまずないだろう。
終業時間直前にもなると、このタイミングで電話くるなーっていう覇気があちらこちらから漂ってくる。
しかし無情にも変わってしまった待機中から着信の表示。
「お電話ありがとうございま、、」
「どうしてくれるんだこの野郎おおお!!」
勘弁してくれよ。
今日の枕カバーは少し湿りそうだ。
PM20︰23
「ご不便をおかけして申し訳ございませんでした。私(わたくし)神倉が、、」
以下略
ようやく、最後の入電が終わった。
僕は凝り固まった肩を回しながらほぐしつつパソコンの電源を落とし、あたりを見回した。
「この列には僕だけか」
もちろん誰もいないというわけではないが、この時間まで残業している人はそう多くはなかった。
先日の ラッキーハンカチ の件も考えると当然のツケなのかもしれないが、週末の飲み会の出費を考えると、ある意味ラッキーなのかもしれない。
コールセンターは終業ギリギリに電話が来ると繰り越した時間はその分残業になり、残業手当が出る。
しかし受電する人物は完全にランダムになるので今日残業になるかどうかは最後までわからず月収も残業の運により一定ではないことを考えると少し不便である。
僕は受電中に必要なスクリプトなどの書類一式を専用のファイルボックスの中に入れ、専用の棚までしまいに行く。
あれ?
ふとファイルボックスに書かれた自分の名前に違和感を感じる。
なぜ3ヶ月もの間気づかなかったんだろう。
そしてこの違和感の正体を知っているというか既に経験済みだ。
「そっか、この文字を見たんだ」
誰のミスなのかは不明だが、このファイルボックスにも 神倉(かみくら)のルビが振ってあった。
「神倉(かみくら)君だよね?」
石橋さんが間違える理由ってもしかして。
彼女は同期とはいっても違う部署、正確にはお客様からの注文を受ける専門の受電の部署なので僕のデスクまでわざわざ名前を覗こうとなんてしないだろう。
そして石橋さんのファイルボックスもここにしまってあるので石橋さんがファイルボックスを出すかしまう時に僕の名前を覗き見しようと思えば出来なくはない。
ということは、以前石橋さんが僕の名前を読み間違えていたのは、おそらくこのファイルボックスに書かれた名前を覗き見して僕の名前を間違えて覚えたからということではないだろうか。
それにしても同期とはいえなんで赤の他人の名前を覚えようだなんて思ったんだろう?
そんなことを名探偵気分に浸りながら考えていると
「お疲れ様、神倉君はタイムカード押した?」
そこにはなんと石橋さんの声。
だったらドラマティックな展開なのだが。
本当の声は突き刺すような鋭い声
銀縁の眼鏡の奥にはにさらに鋭さに磨きをかけた鋭い目
僕よりも一回り大きい背丈と喉仏は元からある圧迫感をさらに強調していた。
後ろから声をかけてきたのはSV(スーパーバイザー)の上田さんだ。
スーパーバイザーとはえ〜と、平たく言えば正社員であり上司だ。
「お疲れ様です。すみません!今押します」
僕は急いでタイムカードを機械に差し込み、タイムシートに出勤の証拠となる印鑑も押してもらった。
「そういえば最近、風の噂で半端君から連絡先を聴かれて迷惑を被っているっていう話を耳にしたんだけど、神倉君は何か心当たりはあるかい?」
「特に、ないですね」
「そうか、引き止めて悪かったね。お疲れ様」
「お、お疲れ様です」
そう言って僕は首にぶら下げたカードキーを使い、そそくさとその職場を後にした。
まずい、嘘をついてしまった。
でも、もし半端さんのことがバレたら石橋さんと飲む機会がパー。
最悪噂程度に収まっている内に半端さんに目立った行動を避けるように忠告せねば。
PM20︰38 退勤
6月の夜は思っていたより心地良い。
少し蒸していることを除けば昼に比べて快適と言えるだろう。
「あれ?」
僕は帰りの電車の駅に向かう道の途中、向かいの歩道に偶然半端さんらしき人物の人影を目にした。
半端さんの隣には女性の影。
よくはわからないけれど、とてつもなく嫌な予感がした。
つづく
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。