第3話

暖まるのは心か身体か
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2022/04/30 13:34
珠里さん
ただいま~。
お邪魔しま~す.......
私は軽く礼をしながら珠里さん家に足を踏み入れた。
珠里さんの家は先程の公園からさほど離れておらず、数分で着いた。
珠里さんの家もマンションで、共通点を見つけた気がして私は少し嬉しくなった。
珠里さん
スリッパはこれね。洗面所はあっちだから。先上がってて。
珠里さんは靴を脱いだ私の前にスリッパを1足並べた。
はい、ありがとうございます。
スリッパは茶色で、珠里さんの家の橙色の照明とよく合っていた。
私はそれを履き、洗面所の方へ向かった。
荷物を1度床に置き、袖を捲って手を洗う。
水道水が思いのほか冷たく、手を洗い終わる頃には指先の感覚はどこかへ飛んでいた。
袖を元に戻し、荷物を持ってリビングへと向かう。
リビングへ向かうにつれて、いい匂いが強くなる。
珠里さんが何か作ってくれているのだろうか。
珠里さん
あ、荷物は適当に置いといて。もうすぐ出来るから座って待っててね。
珠里さんはキッチンで鍋をかき混ぜていた。
この匂い.......カレーだろうか。
手伝いますよ。
珠里さんの家は炬燵があり、私は炬燵の隅の方に荷物を置いてキッチンの前に立った。
珠里さん
じゃあ、そっちの棚に食器類入ってるからお箸とスプーンとって並べてくれる?
分かりました。
キッチンに入り、コンロや流し台の向かいにある棚の引き出しを開け、箸とスプーンを持って炬燵に戻る。
荷物を置いた方と、その向かいにそれぞれ並べる。
まもなく、珠里さんがカレーの入った皿を2つ運んできた。
私の並べた箸とスプーンの奥に皿を置く。
その後珠里さんは再びキッチンに戻り、トマトやレタスのサラダと水の入ったコップを持ってきてくれた。
珠里さん
ごめんね、即席だけど。カレーに関しては昨晩の残りだし。
いえ.......こちらこそすみません。急にお邪魔して.......
珠里さんが炬燵に入ったのを見て、私はスリッパを脱いで荷物の横に座った。
珠里さん
いいのいいの。誘ったのあたしだし。なんならちょっと強引だったよね.......
私は嬉しかったですよ。もうあの家には.......帰りたくないです。
珠里さん
はは、ゆっくりしていきな?
珠里さんは目を細めて笑い、手を合わせた。
珠里さん
じゃ、いただきま~す!
あ、いただきます.......!
私は箸を持ち、サラダに手を伸ばした。
珠里さん
あれ、サラダから食べる派なんだね?
この方が太りにくいらしくて。
珠里さん
ははっ!そういうの気にするんだね、なんか意外だな~。
どういう意味ですか.......
サラダには胡麻のドレッシングがかかっていて、胡麻の風味が香ばしい。
私も珠里さんも、黙々とご飯を食べる。
部屋には暖房の機械的な音だけ。
私は何か話題を探そうとしたが、何しろ珠里さんとはさっき会ったばかり。
何を話せばいいか分からなくなっているうちに、サラダは完食してしまった。
続いてスプーンに持ち替え、カレーを1口すくう。
私がそれを口に入れた直後、珠里さんはため息をついた。
珠里さん
ここだけの話、うち父子家庭なんだ。
そうなんですか?
珠里さんは頷き、持っていたスプーンを皿の上に置いた。
珠里さん
だから寂しかった。お父さん、いつも忙しそうだから。
珠里さんの瞳に濃い影が落ちた。
そしてその暗い瞳のまま、私を見て笑った。
珠里さん
だから今日君と話せて良かった。良かったらまた、一緒に話そうね。
あ、えっと.......私で良ければ.......?
珠里さん
あははっ!疑問形じゃん。本当に思ってる~?
お、思ってますよ.......!私も珠里さんと話せて良かったです。
私も珠里さんの方を見る。
珠里さんと目が合い、私達は少しの間2人で笑いあった。
心の奥から何か暖かいものが込み上げてくる気がして、今までのどの瞬間よりも楽しかった。
その後は私と珠里さんの間に特に会話は無く、カレーを平らげ、食器を片付けて終わり。
私は帰ろうと思い、上着に袖を通していた。
珠里さん
帰り送るよ。1人じゃ危ないし。
珠里さんはキッチンから話しかけてきた。
コップを右手に持っている。水でも飲んでいるのだろうか。
大丈夫ですよ。ここから家近いので。
私が断ると、珠里さんは顔をしかめた。
珠里さん
大丈夫じゃない。近くでも1人で歩くのは良くないよ。
あの、本当に大丈夫ですから.......
せっかく珠里さんが善意で言ってくれているのに、私は断ってしまった。
私はその時、怖かったんだと思う。
珠里さんに迷惑をかけることと、「私」を知られることが。
私が何度も断ると、珠里さんは諦めたように目を伏せた。
せめてマンションを出るまでってことで、外までは着いてきてもらうことになった。
珠里さん
何かあったら、こっち来るんだよ。
マンションを出る時、珠里さんは優しい声でそう言ってくれた。
はい、ありがとうございました。
珠里さんは私が見えなくなるまで手を振ってくれた。
私も珠里さんのことが気になるのか、途中で何度も後ろを振り返ってしまった。
かなり遅い時間になったのに、家に帰ってもお母さんはまだ帰ってきていなかった。
悲しい気持ちになる一方で、何故か安堵している自分がいて少し不思議だった。
お風呂に入ったり、歯を磨いている間も珠里さんのことが頭から離れなかった。
明日もまた会えるかな。と希望を抱きつつ、私は眠りについた。

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