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第5話

窃盗と衝撃
「もう市場つくってよ」
僕は肩を揺らされて起きる。元気はつらつな彼がいる。外の景色はもう見たことのないものになっていた。太陽の色と同じ土地や建物が一面に広がる。
「財布に160円入れたかったからバック漁って戻しておいた」
彼が少し悪びれて言ってきた。
「ああ、ありがとう」
僕は今返さなくてもいいのにと思いつつ彼の律儀さを感じた。
だんだんとバスのスピードが落ちてきた。もうすぐ目的地だろうか。僕は2つのバックを持って市場へ出かけた。
「この市場で少しの自由行動の後、各班で大学へ向かってください」
担任の先生がそういうと僕らは自由行動を始めた。日本では見ないものばかり、こう言ってはいけないんだけど匂いもきつい。暑い。市場は大勢の人で賑わっていた。
「人、たくさんいんな」
「そうだね」
僕はカメラを構えた。そっと一押し。

パチッ。

「何撮ってんだよ」
彼が怪訝な顔をこちらへ向ける。本気で嫌がっているわけではないのがわかるのは付き合いの長さからだ。
「君のそんな不安そうな表情は初めて見たから」
「悪かったな。お前みたいなポーカーフェイスじゃなくて」
彼は僕から視線を外した。単に物珍しくて写真を撮ったわけじゃない。真面目で楽しむことができる君だからインドに来て浮かべる表情にはきっと意味があると思ったんだ。彼にそのことは伝わっているだろうか。
「行くぞ」
彼が僕の少し前を歩き始めた。その時だった。何かに引っかかったような感覚が右肩の方に現れた。僕は右肩へ視線を移す。すると薄赤茶色の布を被った僕よりも背の低い誰かが僕の鞄を持って走り出す。
「おい」
彼が大声を発している途中で僕と誰かが走り出す。僕はもう片方のバックを彼に投げつけた。
「待てって」
彼が何か言っているが耳に入らない。僕は夢中で走っていた。
人混みの中で鬼ごっこしたことはあるだろうか。ない人はしないことを勧める。僕は何人もの異国の民にぶつかる。途中、言葉は分からなくとも日本語で「死ねよ」みたいな酷い言葉も言われた気がする。それでも僕は僕の鞄を追う。鞄を持っていった子供にはまだ追いつけない。視界からは外れていないのでなんとか追えている。それでも少し息が切れてきた。きっとあの子供の目当ては鞄の中にある金銭になりそうなものやそのものだろう。それがとられたのだとしたら僕はこんなに一生懸命、走っていない。正直どうでもいい。僕が日本から離れた土地で息を切らしながら必死に追っているのは自分の情熱のためだ。子供が細かい道に入ったのが見えた。僕はそこへ向かうために何人にぶつかったことだろう。自分が思いっきり肩で息をしていることがわかる。僕は子供が曲がったであろう路地の道に入る。そこで僕はドラマや映画でしか見たことがない光景を目にした。僕の鞄を持った子供が僕よりももっと大きな大人2人にタコ殴りにされていた。僕は声が出せなかった。あまりに衝撃的だったのだ。骨と骨、肉と肉がぶつかる音がする。目をつぶってしまいたくなる。走った疲れもあったのだろう。僕はその場でたじろいで尻餅をついてしまった。僕はこの状況の中で無力だ。この状況で何かができていたらそういう人は翌朝のニュースとかに乗るのだろう。
「ストッピット!!」
後ろからハスキーな声が聞こえた。ストップイットってどういう意味だったかを疲弊した頭で考える。「やめろ」だ。僕の横を力強い足音が通り過ぎる。少し背の高い女の人が男たちに近づいてなにかを言った。英語だろうか。いやヒンドゥー語で口論が始まる。男2人は悪びれるそぶりがない。逆に女の人はそれが気に入らないようだ。案外、言葉がわからなくてもわかることってあるのだなとそんなことを思った。そしてそう思えるくらいには頭の回転も回復した。僕はなんとか立ち上がった。女の人は少し上ずった声で何かを言われ続けているが子供を介抱していた。僕はズボンについた砂埃を叩こうと思った。その時だった。僕と同性の方はわかるだろう。あの痛みを。女の人はつま先でひとりの男の急所を蹴り上げていた。僕は戸惑った。しかしその戸惑いは加速する。女の人が子供の手を引いてこちらへ向かってくるのだ。
「ルンナウェイウィズミー」
逃げるよ。そう言われたのを理解した時には僕は女の人と手を繋いでいた。そして乳酸が溜まりきった足を再び動かしていた。
なぜか僕は必死に走った。

「ここまでくれば大丈夫よ」
彼女が英語で言う。僕は英語の全訳ができないのでこんな感じなことを言っているんじゃないかで訳している。
「さ、さんきゅー」
「どうってことないわよ。ところであなたは日本人?それもと中国人?」
先ほどと似たような路地裏に僕らは走ってきた。特に僕だが皆息を整えそうと必死だ。僕は四つん這いになりながら彼女の方へ目をやり話す。
「日本人です」
「旅行?」
「修学旅行です」
「珍しいわね」
たわいもない話を僕らは続けていた。すると彼女が急に英語から聞き取れない言葉で喋り始めた。僕ではなく僕の鞄を持った子供に話しかけているようだ。内容は全く聞き取れない。しかし怒っているように見えた。イメージ的にはなんでこんなことしたんだみたいな図。説教と言った方が近いかもしれない。それがひと段落したのか彼女は僕の鞄の中を漁った。また子供と話し始める。僕はだいぶ息が整ったので立ち上がった。
「ごめんなさい」
視線をあげると彼女が鞄を持って僕の前に立っていた。
「大丈夫です」
「彼、鞄の中には手を出していないって言ってたわ。一応確認して」
僕は鞄のファスナーを開ける。特に異常はないようだ。鞄には予備のフィルムがたくさん入っている。
「大丈夫です」
僕は繰り返す。
「その鞄、貴重なものは何も入ってなかったけど必死になって追いかける必要あったの?」
彼女が僕を覗き込んで聞いてくる。英語では饒舌に話すことはできなそうだ。
「はい」
それだけ答える。語ることもできず表情にも現れない。僕は一体どうやって彼女に伝えればいいのだろう。困った僕を見かねてか彼女は話を振ってきた。
「ここからどうするの?どこ行くべきところはある?」
僕はそう言われて自分がかなり遠くの方まで来てしまったことに気がついた。自由行動の目的は大学へ到着することだった。僕が勝手な行動をとったのだからなんとか大学へはたどり着きたい。僕はその旨を彼女に伝えた。
「その大学、私の通っているところよ。送ってあげるわね」
僕は胸をなでおろした。いきなりひったくりにあったので少し嫌な気分にはなっていたがインドにもこう言う優しい人はいるのだと安心した。その時だった。
「どうしたの!」
彼女が叫ぶ。
その矛先を見るとさっきまで彼女の後ろにいた子供が路地から大通りへ走り出していた。彼女は僕に一瞥しアイコンタクトで行くよと言ってきた。僕はまた走り出し