*
(よしよし。もうずいぶん大きくなってくれたな……)
初老の男性の声。
光が差し込む。
(おじいさん、ずいぶんたくさん実がなったね……)
誰かの、笑い声―――――――
とん、とん、とん
「っ!!!」
ビクッと震えた肩。
「……あ」
……れ。
不意に、我に返る。
「わた……し?」
「オハヨウ」
目が、覚めた……
「って君は!」
見れば、あの少年だ。また、私の前で微笑んでる。
そっか。また私、寝ちゃってたの……夢、見てたのかな、何かヘンな夢。
「すっかり眠っちゃってたね」
「あなたが起こしたんでしょう?」
「うん、まぁ」
「………(ムッ)」
相変わらず、空気が読めないっていうかヘンな奴だ。
まぁ、ここに学校にも行かないで居る時点で私も大概ヘンな奴認定だけど。
「また会えたのが、嬉しくって」
にこり、と白い歯を見せて笑った。
今日も相変わらず、茶色のチノパンにこの前とはちょっと違うけど似たような不思議なカッターシャツを着てる。
少し色の薄い茶色がかかった柔らかそうな髪の毛が、ふわふわとそよ風に揺られていた。
(困ったなぁ。今日はここから離れたくないのに)
「絶対怪しんでるよね?ボクのこと」
「……うん」
本音を憶するまでもなく告げると、急に彼は頭を抱えて―――
「っっやっぱりそぉかあっボク変かなぁ?!」
とか一体誰やねん!とツッコミを入れたくなる様なワケの分からないリアクションをし始めるので、ますます困惑してしまった。
「えっと」
その場をどう取り繕えば良いのか分からなくて。
「アナタは……だれ」
「それは……」
一瞬の沈黙。
「……秘密っ」
「はあぁ?!」
「でも、怪しいもんじゃないよ」
「そう言われましても」
「ボク、何歳に見える?」
「え。私と同じか少し下くらい?」
「でしょ?変なことなんてするワケないって」
「いや、そういう問題じゃないと思いますけど」
「つれないなぁっせっかく会えたのに!」
……何コイツ。
ニコニコニコニコニコニコニコ……
嫌になるくらい、笑顔を浮かべてる。
「ボクはファシュ」
「……ふぁ?何それ」
「ニックネームだよ」
「ニックネームって」
「だって、君も本当は学生さんだよね……今日平日だもん」
そっと横に目を逸らして、口を尖らせたその顔から笑顔は消えてて。
「いいじゃん。名前、教えない方がボクも気が楽」
この人も、もしかして……私と同じ、なんだろうか?
「わたし…は」
とりとめのない想いがぐるぐる回る。
ニックネームなんて、直ぐに言われて出て来る訳なんて無くて。
「ない、や思いつかない」
唇から吐き出されたのは、どうしようもない本音だった。
さゆりん、とか呼ばれたりしてたけど……
今は、その呼び名は。
ただただ、離れて行った友達の後ろ姿を思い出すだけだから―…
「アネモネ」
「えっ……?」
きょとん、とした顔で彼が私の方を見つめる。
「えっと。好きなアーティストの大好きな曲名。今、何と無くそれしか浮かばなくて」
アネモネの花言葉。
“見放された”“見放された”“儚い恋”……そんな意味をモチーフにして作られた、悲しい失恋ソング。
失恋したっていうワケじゃないけど。
でも、ほの悲しくて切ない曲調のこの曲が、今の私の心境にあんまりにも当て嵌まり過ぎてる気がして、もう何百回も聴いたと思う位、大好きな悲しい曲。
今の私に、悲しいけれどピッタリで。
他に何か思いつきそうもなかったから。
「ふぅん、アネモネ……かぁ」
「ごめん。何にも思いつかない」
「いい名前じゃん」
「どこか」
「別に、何と無くだよなんとなく」
何と無く、でいい名前とか言えちゃうんだこの人。
軽いや、軽すぎる……
「アネモネちゃん」
「えっと」
「ボクもいろいろ理由があって、時々ここに来てるんだ」
私の隣に腰をそっと下ろす。
柔らかい風が相変わらず、辺りには流れていて。
「だから」
一瞬の間と、少しだけ神妙な表情が浮かんで。
「お互い、ここに来た理由は詮索しない。そういうことにしよっか」
私の方を向いて、少しだけ笑う。
「そしたら、アネモネも気が楽でしょ?」
「えっと、何ファだっけ」
「何ファじゃなくてファシュ!だよ!」
「あ。そっか」
「あっ厨二病って思ってるでしょ」
「まぁ……うん」
何だか、ちょっとだけおかしくって、思わず笑いがこぼれて。
だって、学校も行かないで。
こんなところで変なカタカナ言葉のナマエでお互い呼び合って。
“互いの理由は詮索しない”とか。
ちょっと面白い…よ
「ファシュくん」
「ボクも、ここでゴハン食べていい?」
「しょうがないなぁ」
なんて口では言ってみたけど。
本当は少しだけ嬉しかったんだ。
誰かと話しながらお弁当を食べるなんて、久しぶりだったから。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!