第10話

第一話-9
339
2022/05/20 09:00
遠野梨花
遠野梨花
五万円も持っていませんけど?
飯田真斗
飯田真斗
は?
遠野梨花
遠野梨花
まだお金が用意できないから取り置き延長してもらおうと思ったんです。今日、五〇〇〇円しか持っていません
 私はこの万年筆を質入れしたのだと思っていた。だから、質流れを防ぐために利息を払いに来たつもりだったのだ。

 五万円は大学生の私には大金だ。そんなにすぐには用意できない。

 バイト代が入っても、お昼ご飯代やサークルの会費などにすぐ消えてしまう。特に、最近は健也のデート代を支払ったり、売れもしないライブのチケットを大量買いしていたせいで、貯金もゼロだった。

 唖然とした表情の真斗さんを見て、急激に不安に襲われた。

 真斗さんの説明では、質入れした際に期限内に利息を払えば取り置き延長してもらえるらしいが、それはあくまでも質入れした商品に言えることだ。今の話では、私の万年筆は質入れすらされていない、ただ単に真斗さんが好意でお金を貸した状態になっている。もしかして、今五万円払えなかったら取り上げられてしまう?
遠野梨花
遠野梨花
もしかして、正式な質入れじゃないから取り置き延長不可?
 シロが足下に擦り寄ってくる。もしここで手放したら、この万年筆とも、この温もりともお別れだ。私はぎゅっと万年筆を片手に握る。
飯田真斗
飯田真斗
え、……いや、そういうわけじゃねーけど
遠野梨花
遠野梨花
じゃあ、もう少し待ってください! 必ず近いうちに返すからっ!
 まさか、テレビドラマでよく見る借金取りに追われている人が吐く台詞を自分が口にする日がこようとは、夢にも思っていなかった。

 しかもまだ、弱冠十九歳でございます。

 必死に詰め寄る私にたじろぐように後退あとずさった真斗さんが後ろのキャビネットにぶつかってガタンと音が鳴った。

 そのときだ。黙って私と真斗さんのやり取りを見守っていた飯田さんがポンと手を叩いた。
飯田さん
そうか。きみがこの子の持ち主か
遠野梨花
遠野梨花
え?
 この子って? と振り向くと、飯田さんはにこにこしながらこちらに近づき、シロを抱き上げた。私は驚いて飯田さんを見つめた。

 そんなことはあるわけがない。

 だって、シロは──。
遠野梨花
遠野梨花
……見えるの?
飯田さん
もちろん。まだそんなには経っていないみたいだけど、付喪神が付くなんて、きっと大切にしていたんだろうと思っていたんだよ。そうか、きみか
 飯田さんはシロの頭をくしゃりと撫でた。
遠野梨花
遠野梨花
付喪神?
飯田真斗
飯田真斗
物に宿る神様だよ。知らなかったわけ?
 真斗さんが呆れたように横から口を挟む。

 付喪神? 物に宿る神様?  

 知らないよ、そんなの。

 シロはシロだ。いつからかふらりと現れた、私だけにしか見えない不思議な猫だ。
飯田さん
そうだ。いいこと考えたよ
遠野梨花
遠野梨花
いいこと?
飯田さん
えーっと、遠野梨花さんだっけ? きみ、うちで手伝いしないかい?
遠野梨花
遠野梨花
え!?
飯田真斗
飯田真斗
え!?
 突拍子もない提案に、私と真斗さんが同時に驚きの声を上げる。
飯田さん
真斗に五万円借りたんだろう? それは私が立て替えよう。その代わり、五万円分働いてくれないかい?
飯田真斗
飯田真斗
どういうことだよ、親父
 真意が掴めず、真斗さんが問い詰めるように飯田さんに尋ねる。
飯田さん
真斗、最近は研究が忙しいから店番するのが難しいって言っていただろ? 査定以外の業務を梨花さんに変わってもらえたら、だいぶ助かるんじゃじゃないか? 付喪神が見えるなんて、そうそういる人材じゃないぞ。そうだな、時給一〇〇〇円換算で五〇時間分勤務するのはどう?
遠野梨花
遠野梨花
いいんですか?
 私は驚いて、呆然としたまま飯田さんを見返す。

 大手チェーンのファミレスでバイトはしているけれど、シフトが固定されているので五万円の余剰資金を生み出すのは結構大変というのが正直なところ。五〇時間の手伝いと引き換えに万年筆を返してもらえるのは、本当にありがたい申し出だった。
飯田さん
いいよ。梨花さんがやってくれたら、助かるなぁ
 にこりと微笑む飯田さんの笑顔にジーンとくる。
遠野梨花
遠野梨花
やります! 私、やります。やらせてください!
 こうして、私のつくも質店での不思議な日常が始まったのだった。

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