第6話

Mirabelle
398
2019/04/02 11:11
店主
店主
そろそろ閉めようか
店主がそう言い出したのは、お客の来なかったある営業日のことだった。
店主
店主
ふあぁ、あ……客のない日は退屈だね
欠伸と同時に大きく腕を伸ばす。
広がった袖が壁飾りのステンドグラスに触れ、危うく揺らぎかけた--のを、駆けてきた店員の少女がやっとのことで押しとどめた。

店主は何事も無かったかのように喋り続け、少女は呆れたように肩をすくめて椅子に座り直す。
店主
店主
ねえ、君、今日はうちに来て何日目だか覚えてる?
店主
店主
--だよねー。時間の感覚とか無いし
店主
店主
眠くなったら寝る! 寝るのに飽きたら起きる! ああ、客? 僕らが都合の良い時に来い!
……まあ、ざっと数十年これでやってるからね。潰れてないのは奇跡だよ
その語尾を消し去るように、大きな羽音が聞こえてくる。
シャッターを閉める手を止め、少女はきょろきょろと辺りを見回す。地下街の西側、ちょうど今しがた話していた朝市の開かれる広場の方から、小さな鳥が飛んでくるのが見えた。
店主
店主
--ん? 何だろ、煩いな
羽音は徐々に大きくなり、小鳥の影も常軌を逸した速度で拡大する。小鳥から、鷹、鷲、鶴、そしてもっと大きく、足を延ばし、まるで人間のような--

少女は羽ばたいた風をまともに浴びつつ、目を丸くしてその様子を見守る。
遂に影は、帽子を目深に被った青年の姿で店の前に降り立った。
鳩郵便
Cric, crac - Cric, crac -
御仁、今晩は。郵便です
店主
店主
ああ、なんだ、君か! いつも世話になっているね。宛名は?
青年は襟の合わせ目から淡い青の封筒を取り出し、うやうやしく店主に差し出す。
鳩郵便
ミラベル様からで御座います
店主
店主
ミラベルか……ありがとう。もう行っていいよ
鳩郵便
はい、其れでは。またのご利用をお待ちして居ります
Cric, crac - Cric, crac -
鳥の鳴き声のような奇妙な声を上げながら、青年は再び小鳥の姿になって地下街の暗闇に溶けていった。


上気した赤い頬の店員は、ようやっと硬直を解き、今の男は何だったのかと店主に詰め寄る。
店主
店主
まあまあ、落ち着いて。っていうか見たこと無かった? 『鳩郵便』のひと
店主
店主
えー、そうなんだ。皆使ってるのかと思ってた
店主
店主
ねえ、それよりさ、早くこれ読みたい。ペーパーナイフ持ってきてよ
店主
店主
ミラベルはね--何年か前、蜂蜜屋のご夫婦にお譲りしたプーペなんだ
店主
店主
よくこうして手紙を書いてくれるんだよね。嬉しいな、元気にしてるといいな……おっと
ひらり、と封筒から落ちてきたのは、一枚のカラー写真だった。

細い三つ編みを風になびかせ、撮影者に向き直る金髪のプーペ。大きな麦わら帽子を抱え、草原を背景に従えたその写真を、店主がそっと拾い上げた。
店主
店主
彼女がミラベル。また少し日に焼けたね
次に封筒から取り出した数枚の便箋には、癖の強い丸文字が所狭しと並んでいた。
店主は色眼鏡を外し、目を細めてその文字を追い始める。
Mirabelle
Mirabelle
『レンゲのきれいなこのごろ、てんちょうはいかがおすごしですか? わたしは元気です!
Mirabelle
Mirabelle
きのう、このレンゲの群生地のあるお山につきました。あったかくて、ふもとはまだ雪がふっているのにこっちは春みたいです。あと湖もあります!
Mirabelle
Mirabelle
おじさんとおばさんは、蜜蜂を大きな巣枠に入れてお山をのぼります。わたしのおしごとは、蜜蠟で女王蜂の王台をつくったり、ろうそくをつくったりです』
店主
店主
ふふ、ミラベルは面白いね
手紙を読み耽っていた店員が咎めるように顔を上げる。
店主
店主
いや、だってね。
店を出るときには続け字を書けなかったのに、今では書けるようになってる。蜜蜂とか、群生地とか、蜂蜜屋で教わった単語だけ続け字で書いてるんだね
Mirabelle
Mirabelle
『レンゲの蜂蜜は、あまくて、花のいいにおいがします。わたしのおきにいりです! ことしのさいしょのひと瓶は、てんちょうにおくりますね
Mirabelle
Mirabelle
Ameriéは元気にしてますか?
Isabelleはおしゃべりできるようになりましたか?
Delphineのなきむしはなおりましたか?
Mirabelle
Mirabelle
Henrietteのいたずら癖は?
Frédériqueのあたらしい本は?
LaraとLauraはなかよしですか?
Mirabelle
Mirabelle
冬になったら、おじさんとおばさんといっしょにそっちにいきます。おへんじ、まってます。    --Mirabelle 』
便箋からふわりと蜂蜜が薫っていた事に、店員は手紙を読み終えてようやく気付いた。彼女の手紙のどことなく暖かな雰囲気は、きっとこの蜂蜜の香りのおかげなのだろう。
店主
店主
ふふ、ミラベルらしいね。途中から姉妹たちの話しかしていないじゃないか
店主は椅子に掛け直し、どこか遠い目で話し始める。
店主
店主
--蜂蜜屋、昔は蜂飼いなんて呼ばれてたんだけどね。彼らは一年かけて『花を追う』んだ
店主
店主
その時期が盛りの花の群生地へ、蜜蜂と家財道具を持って移動し続けるんだ
一年かけて、ぐるっとひとまわり。冬は花が無いから、山小屋とかに住む蜂蜜屋が多いね
店主
店主
だから、ミラベルには家がない。まあ、あの子にとっては花の咲く山が家なんだろうね
……幸せそうで、良かった
店主
店主
うーん--陽のない地下街に長々住んでると、こういうのは眩しくて仕方ない
店主はまた大きな欠伸をする。つられて店員も欠伸をして、二人して目を合わせては笑ってしまった。
店主
店主
ふふっ。じゃ、今度こそ店を閉めようか
店主
店主
今日はもうお仕舞いだよ、おやすみ。また明日
……さて、人形たちにおはようを言って来ようかな
誰に語りかけるでもなく、歌うように、店主は部屋の灯りを消そうとする。最後にもう一度、便箋の甘い香りを吸い込んだ。


ランプの灯が落とされれば暗闇。
闇は即ち、人成らざるもの--人形の縄張り。




蝋燭に、ふっ、と息が吹きかけられた。

プリ小説オーディオドラマ