第8話

Orianne 1
345
2019/04/04 05:34
店主
店主
君にね、新しく頼みたい仕事があるんだ
店主がいつになく真面目な顔なので、あたしはなんだかそわそわと落ち着かない。何かあるのかと思ってたら、甚だ唐突にこんな事を言い出して……呆れる。


今まであたしの受け持ってた仕事と言えば--
店番、お客さんに紅茶を淹れて、少しの炊事(店主はあまり食事をしないから)、それと大掛かりな洗濯。

自分の洗濯物なんて、さして多くない。それより大変なのが、プーペたちの衣服だ。
絵の具なんかで汚れた派手なドレスに、執拗なほどフリルの付いたネグリジェ、ヘッドドレス、サッシュ、靴下、大量のレースのハンカチ、どこに使うのか分からないリボン……

大家族の茅鼠のお母さんもびっくりするような量の洗濯物を一人で片付けているのだ、いつか気が狂う。



あたしが来る前はどうしていたんだろう……まさか、店主が一人で?

そんなわけ無い。ここ数か月で分かったけど、あの人生活能力ってものが欠如してるから。
限界まで食べない、寝ない、片付けない、物を壊しても基本気にしない。
すっかり荒廃していた部屋は、あたしが来てから小綺麗になったと思う。


……で? そんなあたしに、仕事が増える?
店員
正気ですか?
店主
店主
うん
店員
遠慮します。それでは御機嫌ようっ
店主
店主
あっこら! 意固地だなぁ
素早く踵を返した……と同時に、店主が制服の首根っこを掴んでくる。襟の型が歪む感触、あーあ、また仕事が増えた。
店主
店主
そう悪い話でもないと思うんだけどなあ
店員
やめてください。あたし過労で倒れますよ、労基に違反しますよ
店主
店主
ローキ? ……まあ、なんでもいいや
店主は心底どうでも良さそうに煙管キセルを吹かした。有機物的な深い苦さの煙が肺に流れ込んでくる。
店主
店主
そっかー、そんなに嫌なら仕事増やすの辞めよっかなー
内心その言葉にほっとする。店主はチェシャ猫のようなにやにや笑いを浮かべていて、一体何がそんなに愉快なんだろう。
店主
店主
君のだ〜いすきなプーペに「おやすみ」って言いに行く仕事なんだけどなぁ
……なんだって?
店員
やりますっ
気付けばあたしは脊髄反射的に振り返り、店主の机に両掌を叩き付けていた。色眼鏡の奥、翠玉の瞳が悪戯っぽく瞬く。
店主
店主
ええっ、仕事増やしたくないんじゃないの? ローキだかなんだか
店員
労基とかどうでもいいです、ほんとに。是非もっと働きたい
店主
店主
ワーカホリックかな。こわぁい
店主はけらけらと手を叩いて笑っている。人を苛立たせるのに長けた性格だなあ、とぼんやり思った。
店主
店主
……じゃ、引き受けてくれるってことで
あたしは大きく首肯する。
店主
店主
じゃ、仕事内容……の前にこれ。貴重な物だから無くさないでね
店員
……はい
すこし緊張した面持ちで受け取るのは、じゃらりと鎖に繋がった重さのある鍵。
店主
店主
クロゼットの鍵。大事にしてね
君はこれから毎晩、クロゼットを開けて、プーペたちにおやすみを言うんだ
人間はもう眠りにつくよ、これからは貴女たちの時間だよ、って
ああ、夢のような仕事だ。
どこか現実味に欠け、ヒトとヒト成らざる物の境界を踏み越えるような、まるで神格の仕事--

鍵の重みだけがリアリティだった。
店主
店主
……わかった? 早速今晩から取り掛かってもらうよ
店員
あっ、はい
店主
店主
ちゃんと聞いてた?
過剰に畏れることはないけど、いちおう高等な存在だから気を付けてね、って話。人間よりよっぽど歴史のある、高位の生き物なんだから
そんな高位の存在を人間の通貨でやりとりする仕事はどうなんだろう……と思いつつ、あたしはまた首肯する。
店主
店主
特に深夜--日付の変わる頃は彼女たちの時間だ。君みたいなちいさな女の子、すぐに喰われてしまうよ。気を付けて
喰われる、ってなんだろう。頭からばりばり食べられちゃうのかな。
……いや、オート・プーペは食事をしないから、それこそ神格的な意味なのかも。
店主
店主
ああ、あとね。フレデリークが世話を見てくれるとは思うんだけど
ちょっと感情表現の激しすぎる……というか、苛烈な子がたまにいるから。怪我だけはしないようにね
えっ、なにそれ、怖い。
店主
店主
分かった? じゃあ、よろしく頼んだよ
店員
は、はい!
じゃあ僕もう寝るねー、と言って店主はランプを吹き消してしまう。全く、どうして最後にああいう怖いことを言うんだろう。
店員
……行ってみよう
そういえば、一人でクロゼットの部屋に行くのは初めてだ。片手に鍵、片手にランタンを持って、あたしはおそるおそる一歩目を踏み出したのだった。

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