店主がいつになく真面目な顔なので、あたしはなんだかそわそわと落ち着かない。何かあるのかと思ってたら、甚だ唐突にこんな事を言い出して……呆れる。
今まであたしの受け持ってた仕事と言えば--
店番、お客さんに紅茶を淹れて、少しの炊事(店主はあまり食事をしないから)、それと大掛かりな洗濯。
自分の洗濯物なんて、さして多くない。それより大変なのが、プーペたちの衣服だ。
絵の具なんかで汚れた派手なドレスに、執拗なほどフリルの付いたネグリジェ、ヘッドドレス、サッシュ、靴下、大量のレースのハンカチ、どこに使うのか分からないリボン……
大家族の茅鼠のお母さんもびっくりするような量の洗濯物を一人で片付けているのだ、いつか気が狂う。
あたしが来る前はどうしていたんだろう……まさか、店主が一人で?
そんなわけ無い。ここ数か月で分かったけど、あの人生活能力ってものが欠如してるから。
限界まで食べない、寝ない、片付けない、物を壊しても基本気にしない。
すっかり荒廃していた部屋は、あたしが来てから小綺麗になったと思う。
……で? そんなあたしに、仕事が増える?
素早く踵を返した……と同時に、店主が制服の首根っこを掴んでくる。襟の型が歪む感触、あーあ、また仕事が増えた。
店主は心底どうでも良さそうに煙管を吹かした。有機物的な深い苦さの煙が肺に流れ込んでくる。
内心その言葉にほっとする。店主はチェシャ猫のようなにやにや笑いを浮かべていて、一体何がそんなに愉快なんだろう。
……なんだって?
気付けばあたしは脊髄反射的に振り返り、店主の机に両掌を叩き付けていた。色眼鏡の奥、翠玉の瞳が悪戯っぽく瞬く。
店主はけらけらと手を叩いて笑っている。人を苛立たせるのに長けた性格だなあ、とぼんやり思った。
あたしは大きく首肯する。
すこし緊張した面持ちで受け取るのは、じゃらりと鎖に繋がった重さのある鍵。
ああ、夢のような仕事だ。
どこか現実味に欠け、ヒトとヒト成らざる物の境界を踏み越えるような、まるで神格の仕事--
鍵の重みだけがリアリティだった。
そんな高位の存在を人間の通貨でやりとりする仕事はどうなんだろう……と思いつつ、あたしはまた首肯する。
喰われる、ってなんだろう。頭からばりばり食べられちゃうのかな。
……いや、オート・プーペは食事をしないから、それこそ神格的な意味なのかも。
えっ、なにそれ、怖い。
じゃあ僕もう寝るねー、と言って店主はランプを吹き消してしまう。全く、どうして最後にああいう怖いことを言うんだろう。
そういえば、一人でクロゼットの部屋に行くのは初めてだ。片手に鍵、片手にランタンを持って、あたしはおそるおそる一歩目を踏み出したのだった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。