第19話

Jeanne 1
338
2020/03/11 14:38
--店主が不意に出て行ってから、もうひと月が経とうとしている。



はじめは、いつもの酔狂だろうって思ってた。

またまた、旅に出るなんて大口叩いて。
どうせあの人のことだから、どこかで揚げ砂糖でもつまみに果実酒で酔っ払って、土産物屋を冷やかすついでに変な楽器を買い込んで、たいしてお腹も膨れていないのに水煙草を吸うものだから、気管支を痛めてすごすご帰ってくるんでしょ、って。


旅? あの人が? まさか! 有り得ない!
あの意志薄弱の権化が汽車旅行だなんて、笑っちゃう。きっとすぐに戻ってくるでしょう?


--違ったの。

あの人、ほんとに汽車に乗って、大陸の西の方までがたごと、プーペを買い戻しに行っちゃった。

たった一体のきれいなお人形のために、わざわざ高価い切符を買い付けて、全財産、トランクいっぱいの札束を抱えて。



……どうかしてる。ほんとに、馬鹿げてる。

なんてあの人に強く言えなかったのは、あたしだってよく知ってるから。



プーペ自動人形は、簡単に人を狂わせる。



店員
でも雇いの店員に切り盛りさせるのはやっぱり馬鹿げてる!!
……いや、これでもあの人なりに頑張ったんだろう、たぶん。


休業の手紙をお得意様に何十枚も送りつけ、「食費と光熱費ってどれぐらいかかるの」とか言いながら数年は困らないくらいの現金を金庫に詰め込み、プーペのメンテナンスと店舗運営に関する長い長い手紙を書き置いて。
これらを全て、たった一日でやってのけたんだから驚いた。

未熟な雇われ店員のために、あの筆不精、手首の腱を痛めるくらいの書き物をしてくれたんだから、感謝しなきゃ……
Sharlotte
Sharlotte
……どうしたの
店員
うえっ?! あ、ああ、シャルロット……! 大声出してびっくりさせちゃったね、ごめん
シャルロットはゆっくりと首を振って、気にしてないよ、って伝えてくる。肩に薄く積もっていた埃が舞って、窓辺の光を反射した。
店員
……ん? あれ?! シャルロット、あなた、どうやって出て来たの……?
プーペの寝室に入ったのは、お昼の紅茶を淹れた後。それから……出たときに、鍵、かけ忘れてた……?
Sharlotte
Sharlotte
ううん、寝室の裏口から来たの
そうだ、あの寝室には、非常出口があったっけ。
店の裏口をぐるりと廻って勝手口から入れる、緊急時しか使わないようにかたく言い付けられた、埃まみれの出口。

何かあったの、と問うと、シャルロットははっとして慌てだした。
Sharlotte
Sharlotte
そうなの、たいへんたいへん、Jeanneが頭ぶつけて泣いてるわ
店員
えっ、損傷?! すぐ行かなきゃ……ジャンヌって、あの、赤髪のおさげの?
Sharlotte
Sharlotte
それで、お歌の好きな
店員
あのジャンヌだよね……
わかった、シャルロット、教えに来てくれてありがとう。行こ
静かに首肯したシャルロットを、救急箱--補修用のパテと絵具と白粉--の乗ったワゴンに座らせて、プーペたちの寝室へ急ぐ。

滑らかな毛足の絨毯を滑るように移動しながら、深紅のお下げ髪の人形のことを、あたしは思い出していた。

ジャンヌはどっちかというとお転婆な部類のプーペだけど、怪我をするような気性の荒い子じゃなかったはず。
じゃあ、あの部屋で、普通じゃない何かがあった……?



これまで恙なく過ぎていた雇われ店員の留守番に、不穏の香りが漂い始めていたなんてこと、この頃のあたしは気付いてもいなかった。











Karine
Karine
ジャンヌ、それほんとうなの?
……あの子、いま一体どこに居るんだろう

プリ小説オーディオドラマ