第4話

frédérique 2
529
2019/03/29 07:22
店主
店主
はい、もう良いよ
その言葉に、慌てて扉から手を離した。意識を失っていた時みたいな、どこかふわふわした感覚が今も残っている。


ゆっくりと閉まっていく扉に南京錠をかける店主、その後ろに、小さな背中が付いてきていた。
石楠花しゃくなげ色のさらさらした髪を太い一本の三つ編みにして、眼鏡をかけ、ウールのワンピースの裾を引く、それ ・ ・は。
店主
店主
あっ、そうか、見るの初めてだっけ? 紹介するよ、彼女は--
frédérique
frédérique
frédérique。あなたはだれ?
店主
店主
ありゃ、仕事取られちゃった。まあいいか
こどものようにあどけない、でもどこか機械的な声があたしに語りかけてきた。声の主はもちろん、その石楠花色のプーペ--フレデリークで。

あたしはひっくり返る程驚いていたというのに、店主は呆れかえるほどにいつも通りだった。
店員
しゃ、喋るの
店主
店主
この子は話せるんだ。うちのラインナップでも珍しいんだけれどね
frédérique
frédérique
てんちょー、あのひとはだれ?
店主
店主
ほら、またフレデリークの知りたがりが出た。早く教えてやりなよ
店員
……あたしは--、ここで働いてるの
こんな小さな存在を相手に、声が震えて情けない。
frédérique
frédérique
てんちょーのおともだち? わたしたちのおともだち?
店主
店主
うーん、どっちでもないかな。でもきっと、今夜は一緒に遊んでくれるよ
店員
ちょ、ちょっと、勝手に
鼓動がどきどきと煩かった。舌足らずな話し方に丸い瞳、フレデリークというそのプーペは店主によく懐いている。

こどものようなフレデリークと、これに傾倒しているという例の教授。不健全、アンバランス……
教授
おおい、まだかね。紅茶が冷めてしまう
唐突にくだんの教授の大声が響き、あたしは文字通り飛び上がった。
店主
店主
あはは、気の短い人だ。ほら行くよ、迷子になるから付いておいで。フレデリークも
店員
……はい
店主は珍しく胡乱げに、あたしの顔を覗き込んだ。
店主
店主
……ありゃ、元気ない?
店員
いえっ、全然
店主
店主
疲れちゃったかな。……いいよ、もう下がってて
店員
大丈夫ですって! あたし、元気ですか、ら……
慌てて立とうとして、足元がふらついた。小さいフレデリークを蹴りやしないかとバランスを崩して、あたしは床にくずおれる。

あれ、おかしいな、どうしちゃったの…?
店主
店主
……あー、あれだ。人形にあたったんだ
店員
え……?
店主
店主
人形にあんまり慣れてない人だと、香りとか念とかに酔っちゃう事があるんだよ。大丈夫、寝てれば治るから
--ほら、分かったなら休んで。お茶飲んで、寝てなよ
人形に中ったり酔ったりするなんて、初めて聞いた。でも、頭がふわふわするこの感覚とか、覚束ない足元とか、確かに酔っぱらいに似てるかも。

それに、もう教授に会わないで良いのなら嬉しい--
店員
……フレデリークは
frédérique
frédérique
なあに?
店員
フレデリークは、教授のこと、好き?
店主が目を細めて笑っている。何が楽しいの。
自分でもどうしてこんな質問をしたのか分からないけれど、フレデリークは真面目な顔をして考え込んでしまった。
frédérique
frédérique
……おかしくれるから、すき
フレデリークの答えに、なんだか拍子抜けして笑ってしまう。
そうだよね。まだこんなに小さいんだから--
frédérique
frédérique
でも、てんちょーはもっとすき
店主
店主
おや! じゃあ、彼女は?
frédérique
frédérique
……まだわかんない。ぜんぜんしらないもん
ああ、プーペって、こんなにきちんと物事を考えられるんだ--
この子ともっと仲良くなりたい。店主が馬鹿みたいに高いプーペをついつい集めちゃう理由か、なんとなく分かるような気がした。
店主
店主
--ほら、気は済んだ? もう行くからね。お大事に
店員
……ありがとう、ございます
店主はフレデリークの小さな手を優しく取って、似てない親子みたいに並んで廊下を進んでいく。

あたしは壁にもたれて、聞くとは無しにふたりの会話をぼんやり聞いていた。
frédérique
frédérique
きょーじゅ、おかしもってきてくれたかな
店主
店主
多分ね。あの人はお金持ちだから
frédérique
frédérique
てんちょーはおかねないね
店主
店主
こらっ、やめなさい
frédérique
frédérique
てんちょー、あのこもおかしすきかな
店主が何て答えたかは聞こえなかった。

ふたりが角を曲がって見えなくなって、それでようやく、あたしは部屋へ戻ろうと思えたのだった。

プリ小説オーディオドラマ