第23話

雪の日の蛍
1,092
2019/03/15 12:03


 温泉は手作り感のある露天風呂だった。

 岩が積み重ねられた湯船で、きれいな乳白色の温泉から湯気が立ち上っている。

 上を見上げれば木の小さな屋根があった。

希空
希空
(この温泉手作りなのかな?)
希空
希空
(あのおばあさんとおじいさんが生きてきて築いたお家なんだ……、いいなぁ)


 落ち着く空間でまどろみ、温泉から上がった。


 少し遅くなってしまい足早に戻る途中、庭で曇り空を見上げる彼がいた。

希空
希空
雪飴さん?
雪飴
雪飴
あ、よかった。のぼせてないか心配で来たところなんだ
希空
希空
ごめんなさい。お風呂場の雰囲気が良くて、つい長くなっちゃった
雪飴
雪飴
楽しめてたならよかったよ
雪飴
雪飴
湯冷めしないうちに部屋に戻りな
希空
希空
うん、ありがとう
雪飴
雪飴
……希空


 家に入ろうとしたところで彼の呼び声に振り返ると、すぐに視界は閉ざされ抱きしめられているとわかった。

希空
希空
ゆ、雪飴さん!?
雪飴
雪飴
素敵な誕生日をありがとう。俺、……希空が好きだよ
希空
希空
……うん。お誕生日おめでとう、雪飴さん。……わ、私も、好き
雪飴
雪飴
ふふふ、ありがとう。またあとでね


 離れる間際、彼の唇が頬に軽く触れ、可愛いリップ音が響いた。

 体は急に熱を発し、蒸発してしまいそうなほど恥ずかしい。


 彼から目を離せないでいると、また、空を切なげな眼差しでみつめていた。


 なにか悩んでいるのはひと目見てわかるけど、彼から何も言わないということは、きっと言いたくないのだろうと思う。

 

 彼がどんなことを思い悩んでいるのか、思考だけはぐるぐると回る。

 しかし、私は暖かい部屋でまどろんでしまい、いつのまにかソファで眠っていた。







 広大な草原の中に私は一人立っていた。

 空で瞬く数億の星が、今にも降り出しそうなほど輝きを放っている。


 ふと目の前をみると、そこには彼もいた。

 駆け寄って名前を呼ぶが、いくら近づこうとしても距離は遠のくばかり。

 ぬかるんだ泥が足を奪い、躓いた瞬間に足元には大きな穴が出来ていた。

 彼が私の方に振り返り、やっと気づいてもらえたと思った時――。


雪飴
雪飴
さようなら。今までありがとう、希空





 バッと上体を起こすと、私は大量の汗をかき肩で息をしていた。

 鳴り響く着信音に気付きスマホをとると、彼女の名前が表示されていた。
鳴海
鳴海
希空ちゃん!?
希空
希空
鳴海さん、こんな時間にどうし――
鳴海
鳴海
雪飴が何を隠しているかわかったっ! 雪飴は!? そばにいる!?



 敷かれている布団や部屋の中を見渡すが、そこはもぬけの殻だった。

 窓ガラスは白く曇り、外は雪が降っている。

希空
希空
……いない、です
鳴海
鳴海
~~っ! 捜して!! たぶん、雪飴はっ――










 夢のような現実はあっけなく崩壊を迎え、彼は私の前から本当に姿を消してしまった。


 家の中にはどこにもいなかった。

 もうきっと、ここにはいない。 


 捜し回っている私に気付いたのか、おじいさんが縁側から声をかけてくれた。

おじいさん
あの子なら、君が寝るまで外を歩いてくると言って出ていったよ
希空
希空
外……ですか?
おじいさん
気を遣ったんだろう。すぐ戻って来るさ、安心して部屋に戻りなさい


 私は安心するどころか、焦って雪の降る外へ飛び出した。


 雪は降り積もり、いくつもの足跡がうっすらと残っている。

 どれが彼のものかなんてわからなかった。

 ただ走り回って、転んで、見えもしない彼の姿を追い続けた。



 けれど、彼の痕跡さえ見つけることはできず、諦めかけた時――。


希空
希空
(なんであんなところに傘が……)


 寂しそうにぽつん、と、開いたままの傘が転がっていた。


 それはどこにでもある黒い平凡な傘で、けれど、目が離せなかった。


 その先には坂が見え、山につながっている細道だとわかる。


希空
希空
(……雪飴さん)


 それが彼のものだという確証はないけれど、私は疑いもせずにそうだと思った。



 上着も着ていない浴衣は風を通し、雪でぬれて体温が奪われていく。

希空
希空
(早く、見つけないと。雪飴さんもきっと寒いはず……)


 しかし、足は思うように動かなくなっていた。

希空
希空
きゃっ!


 雪の下に隠れていた木の根に足を奪われ、私はその場に転げて座り込んでしまう。










雪飴
雪飴
希空?
希空
希空
え? ……雪飴さん!?



 彼の声が聞こえ辺りを見渡すと、先にある開けた場所で横たわっている彼がいた。


 私は転びそうなのも気にせずに走り寄って、彼の手を握る。

希空
希空
なんでこんなところに!? どうしたの? どこか怪我した?
雪飴
雪飴
大丈夫だよ。……来ちゃったんだね
希空
希空
だって、急にいなくなるから


 彼の手は私よりも冷たく冷え切っていた。

希空
希空
いつから……ここに
雪飴
雪飴
いつかな? わからない
希空
希空
帰ろう? 風邪ひいちゃうよ
雪飴
雪飴
……希空、一人で帰れる?
希空
希空
なんで!? 一緒に帰ろう! それで、……明日は、一緒に登校するの
希空
希空
学校が、終わったらね。……待ち合わせして、一緒に……遊びに行くの
雪飴
雪飴
……希空
希空
希空
お願い。……雪飴さん、心中はやめようって言ってくれたでしょ
雪飴
雪飴
希空
希空
希空
やだ。お願い。……死のうとなんてしないで!
雪飴
雪飴
……俺、一つだけ嘘をついてるんだ



 彼は私から目をそらし、そっぽを向いてしまう。

 どんな表情をしているのかもわからないけれど、手も声も震えていた。


希空
希空
鳴海さんから、……聞いたよ



 顔が見えなくてもわかる。

 こんな彼の姿は初めて見るけれど、……きっと、泣いている。



雪飴
雪飴
……なら、希空は帰って。死んでほしくないんだ







       パ
       シ
       ン
       ッ
       !





希空
希空
雪飴さんは平気でまた私を一人にするの!?
希空
希空
お父さんとお母さんが自殺したのは雪飴さんのせいじゃないよ!
雪飴
雪飴
希空。……けど、俺は
希空
希空
……なら、最期の心中をしよう
希空
希空
私もここにいる。けど、もし朝になって二人とも眼を覚ましたら、一緒に帰ろう
希空
希空
その時は、もう死のうとなんてしないで!
雪飴
雪飴
そんなことできるわけっ! 希空はかえるんだ!
希空
希空
雪飴さん、目をつむって深呼吸して。大丈夫。二人なら、大丈夫だよ




 私と彼は、手をつないで雪の中で横たわった。

 空からパラパラと落ちてくる雪は、次第に激しさが増していく。


 意識を手放す直前、雪の降る冬なのに、森の奥に蛍が見えた気した。












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