第22話

ぬぐいきれない不安
974
2019/03/07 10:36


 彼の様子は変わることなく、箱根湯本駅に着いた。

 あれから彼の隠し事が気になって仕方がない。

 けれど、どんなことかもわからない以上、私から聞くこともできなかった。

雪飴
雪飴
人多いね。はぐれないように、手繋いでいようか
希空
希空
う、うん
希空
希空
(そういえば私、男の人と二人で旅行なんて初めてだ……)


 辺りを見渡せば、そこまで多くもないカップルがやけに目に入る。

希空
希空
(私と雪飴さんって、周りからどんな風に見えるんだろう)


 ふいに彼を横目で覗こうとして視線が重なる。

雪飴
雪飴
ん? 何かあった?
希空
希空
え、うぅん。雪飴さん楽しめてるかなって思って
雪飴
雪飴
楽しいよ! 今日は、ありがとう。希空
希空
希空
よかった。私も、ありがとう


 彼の表情はいつもより笑顔が多く、触れた手から伝わる熱がいつもより高い気がした。

希空
希空
(何も考えずに来ちゃったけど、雪飴さんも喜んでくれてる……よね?)


 それから箱根の山を登っていく電車に乗り、私は人生で初めてのケーブルカーに乗った。

 周りは壮大な山々に囲まれ、その中に落ち着いた雰囲気の和やかな町がある。

 人は多いけれど、これほど心が安らぐ景色を見るのも初めてだった。

希空
希空
箱根ってなんか落ち着くね
雪飴
雪飴
いつもとは町並みがちがうからね
希空
希空
あれ普通のおうち? だれか住んでるのかな?
雪飴
雪飴
そうじゃない? 俺もわからないけど
希空
希空
私のおばあちゃんはマンションに住んでるから、古民家って初めて見たかも
雪飴
雪飴
じゃあ、あとであの辺を歩いてみようか
希空
希空
いいの?
雪飴
雪飴
もちろん、俺も箱根の雰囲気好きだしね
希空
希空
ありがとう


 そんなほんの少しのことが嬉しかった。

 私の気持ちや声を聞いて応えてくれる。

 たったそれだけで、私はここにいてもいいのかなって、簡単に思えてしまう。




 うぅん、簡単ではなかった。




 彼と関わっていくうちに、人に合わせるだけじゃなくて気持ちを口にしてもいいんだって、やっと思えるようになってきたんだよね……。



 私一人だったら、そんなことずっとわからないままだった。






 
 ケーブルカーを降り、私たちは強羅公園に着いた。

 来る途中に調べた「とんぼ玉」作りの体験をしてから園内を回り、あっという間に日は沈もうとしていた。

 来るときに話していた古民家の辺りを散歩しながら駅に向かうこととなり、私たちは細道に入っていく。

雪飴
雪飴
本当に落ち着いたいいところだね
希空
希空
そうだね。……少しだけ、帰りたくなくなっちゃう
希空
希空
あ、ごめんなさい
雪飴
雪飴
うぅん、俺も思ったよ。こうやって希空とずっと一緒にいられたらいいのにね


 その言葉に少し違和感を感じた。

 私もずっと彼と一緒にいられたらうれしい。

 けれど、それはまるで、もうこうして一緒にはいられないような……。


おばあさん
きゃぁあ!
雪飴
雪飴
大丈夫ですか!?
希空
希空
……え?
おばあさん
あ、ありがとう。大丈夫……よ


 細道の先にある階段の下で、重そうなショッピングカートを持っているおばあさんが転んでいた。

 彼はすぐにおばあさんに駆け寄り手を差し伸べた。

おばあさん
いたっ
雪飴
雪飴
足首、腫れてるじゃないですか!
おばあさん
少しひねっちゃったかしらね?
雪飴
雪飴
……この近くに病院はありますか?
おばあさん
そんな大したことじゃないから平気よぉ
雪飴
雪飴
これは病院に行った方がいいです。希空、ごめん。ちょっといい?
希空
希空
う、うん! 私このカート持つね
おばあさん
ごめんなさいね
雪飴
雪飴
大丈夫ですよ。道案内お願いします


 彼はしゃがんでおばあさんを背負うと、細道の階段を上っていく。


 おばあさんを安心させるように微笑みながら、彼は優しく話しかけて歩いた。


 誰にでも優しく丁寧な彼に、少し心が綻んでしまう。



 おばあさんの道案内を聞いて小さな診療所へと着き、私達は診察が終わるまで待つことにした。


おばあさん
迷惑かけちゃってごめんなさいね。ありがとう
雪飴
雪飴
いえ、足大丈夫ですか?
おばあさん
捻挫みたいね。しばらく安静にって言われたわ
希空
希空
なら、やっぱりおうちまで送りますよ
おばあさん
けど、もう暗くなるでしょ? 二人とも宿は取ってあるの?
希空
希空
あ、私たち泊まる予定はなかったので……
雪飴
雪飴
じゃあ、悪いけど、希空は先に帰っててもらっても大丈夫? ごめんね、送ってあげられなくて
希空
希空
そんな、私も心配だしついていくよ
おばあさん
それなら、私の家に泊まるのはどう?
希空
希空
え?
雪飴
雪飴
え?
おばあさん
もう寂れた家だから居心地は良くないかもしれないけど、空いている部屋が一つあるわ
希空
希空
けど……
おばあさん
いいのいいの、お礼をさせて
雪飴
雪飴
すみません、じゃあお言葉に甘えて。ありがとうございます




 急だったこともあり、私は友達の家に泊まると言ってお母さんの了承を得た。



 おばあさんのおうちは観光地から少し離れた古民家で、玄関を入ると古く味のある木のフローリングと、なんだか落ち着く香りが出迎えてくれた。

おじいさん
いらっしゃい、ばあさんの面倒を見てくれてありがとうな。あんまりお構いできないけど、ゆっくりしてってくれ
希空
希空
ありがとうございます
雪飴
雪飴
ありがとうございます
おばあさん
庭の離れが温泉になっているの。よかったら疲れを流してきてね



 とても仲のよさそうなご夫婦は、顔を見合わせて微笑んでいた。

 それはとても羨ましい光景で、長年付き合い続けてきた絆を感じる。


 私と彼はお互い死を望んで始まり、そんな日が来るかもわからない。


希空
希空
(素敵だなぁ……)




 それから私達は部屋に案内された。

 


 けど……。


希空
希空
(……同じ部屋)
雪飴
雪飴
希空、大丈夫? 部屋、分けてもらおうか?
希空
希空
あ、うぅん。大丈夫だよ
雪飴
雪飴
そう? じゃあ、希空は先に温泉つかってきたら?
希空
希空
ありがとう、行ってくるね


 そう言って部屋を出ようとするが、手首を掴まれて引き止められてしまう。

雪飴
雪飴
浴衣忘れてるよ
希空
希空
あ、ありがとう。いってきます
希空
希空
(わかってはいたけど……、やっぱり少し緊張しちゃうかも)


 浴衣をもって部屋をでて、庭でほんのりと熱い頬を冷やした。

 結局、彼の隠し事もわからないまま今日が終わってしまいそう……。



 夜空で煌めく星は、どんよりとした分厚い雲に覆われていこうとしていた。








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