第4話

彼に囚われる心
2,232
2018/10/25 09:00


 朝から体が、わたあめで包まれているようにふわふわしている。熱があるのかと思ったけど、体がだるいわけではない。

 むしろ、気分はいい。

 授業中は昨日の出来事を思い出し、ぼーっとしていた。昼休みになっても頭は働こうとせず、友達の話し声を子守唄に寝てしまおうか考えていると。

絵美
希空ー、先生が呼んでるよ!
希空
希空
え? はーい
先生
桐谷、ちょっと来てくれるか
希空
希空
……? はい


 教室を出て先生についていくと、生徒指導室へたどり着く。

 相手しか見えないような距離で置かれている机と椅子。自然と背筋が伸び、手に冷や汗をかいてしまう。


先生
昨日桐谷のお母さんから、帰りが遅すぎるって電話があったんだ。校内にはいないから先生達で街とか探し回ってな。昨日、どこにいたんだ?
希空
希空
……
先生
言いにくいとこなのか?
希空
希空
そういうわけじゃないです
先生
……それともう一件、ご近所の方からも電話があった。夜十時頃に衣浜高校の男子生徒とうちの女子生徒が一緒に歩いてたってな
希空
希空
そうなんですか
先生
なにか危ないことに巻き込まれてるのか?
希空
希空
そんなことないですよ
先生
じゃあどこに行ってたんだ?
希空
希空
……友達の家です
先生
友達の家? 本当か?
希空
希空
はい
先生
……まぁいい、もうその男子生徒と会うのはやめなさい
希空
希空
……はい
先生
どういう関係かは知らないが、そんな時間帯に男女の学生が歩き回るのはよくない
希空
希空
はい
先生
はい、はいってわかってるのか!?
この時期に問題を起こされちゃ困るんだよ!とにかく会うのはやめなさい!
話は終わりだ



 耳障りな音をたてながら先生は部屋を出ていった。乱暴に閉められたドアは、勢いがよすぎたせいで少し開いている。


 その隙間から見える景色も聞こえる音も、全てが私から遠のいている気がした。



 足は無意識に動き出し、気がつくと図書室にいた。

 静寂とした部屋の中で、誰かが本のページをめくる音だけが聞こえる。
 音はカウンターの方から聞こえ、そこには私のクラスの図書委員がいた。


希空
希空
奥村さん、ちょっといい?
奥村
あ、桐谷さん。
珍しいね、どうしたの?
希空
希空
太宰治の本ってどこにあるかわかる?
奥村
あー、どこだったかな。
ちょっとまってね〜
希空
希空
急にごめんね
奥村
大丈夫!
えっと、確かこの辺に……。
あ、ここからここが太宰治だね!
希空
希空
ありがとう
奥村
いえいえ、ごゆっくり〜


 そういって、奥村さんは背を向けカウンターの方へ戻っていった。

 私は本のタイトルを一冊一冊指を添えて確かめていく。


希空
希空
……あった
奥村
人間失格?
希空
希空
わっ!? びっくりしたぁ
奥村
ふふっ、ごめんね。太宰治って、いつもクラスで明るい桐谷さんぽくないなーと思って、気になっちゃった
希空
希空
(ぽくない……か)
希空
希空
私の方こそごめんね。急に大きな声出して
奥村
気にしないで! それより、それ借りてく?
希空
希空
うん、お願いしようかな
奥村
はい、お任せあれ〜。あ、裏表紙のカードに名前書いてね


 奥村さんは慣れた手つきで貸出作業を終え、私に本を差し出す。
 それを受け取ろうとしたとき。


奥村
太宰治って心中したんだよね。
この本ってそんな人生を語ったもの、だったかな?
希空
希空



    ゴトンッ



 本はカウンターの上に落ちた。

 彼や本、心中という言葉が私の中で焦りに変換されていく。頭の中はぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、何から考えればいいのか、何を考えればいいのか、もうわからない。


 ハッと我にかえり奥村さんを見ると、とても心配そうな、疑うような目を向けられていた。


奥村
桐谷さん、大丈夫?
希空
希空
え、なにが? 大丈夫だよ
奥村
……そっか。よかったらまた本借りに来てね
希空
希空
うん、ありがとう。その時は、奥村さんのおすすめを教えて


 ああ、こんな時でも私は人の顔色をうかがってしまう。先生のときだって、反論さえできずに言われたことを大人しく聞くだけ……。

 なんで……。


 図書室を出て廊下を歩きながら、私は手の中の本を見つめる。「人間失格」、その言葉は私の心に強く突き刺さる。

 ふわふわとした心地よさは、もうなくなっていた。





 彼に会いたい。



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