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第3話

寡黙と猫
29
2019/11/04 13:32
猫は自由だ。何にも縛られず好きな時に起き、好きなだけ食べ、好きなだけ寝ている。
毎日朝早くから出かけ、クタクタになって帰ってくる人間を見て、きっとバカだなあと心の中で笑っているんだろう。

猫のように自由に生きられたらどれだけ幸せだろう。
そんなことを考えながら僕はまた出勤した。


「あのね〜…これ前にも教えたよね?」
「すいません…」
また始まった。部長のチクチク嫌味祭り。
あれが始まると2時間は終わらない。
人によっては「あれで給料が出るんだから羨ましい。俺もミスしようかな」なんて言う奴もいるが、怒られる側にとっちゃたまったもんじゃないだろう。

「神崎、君もそう思うだろう?」
「え?はい。そうですね」
不意に飛び火し僕に話を振られた。
2人でやってくれ、なんて言えるわけもなく。
また説教されている当人からは、裏切ったなという視線を向けられすぐ様逸らした。



「アンタさあ、私が怒られてる時なんで庇ってくれなかったのよ」
「いや…そう言われても」
「はあ〜…」
同僚の美香は俺と同じ高校だった。
といっても学科が違い、俺は経営、彼女は普通科だったため殆ど接点はなかったが、体育祭などで顔を合わせる機会は何度かあった。

「ねえ明日給料日じゃん。どっか飯行こうよ」
「昨日行っただろ。僕は君のせいで毎月火の車なんだぞ」
こいつと外食をするといつも俺より注文する。
それによく食べるよく喋る。
おかげで毎月金欠。何のために働いてるのかもよく分からない。

「神崎のくせに生意気なこと言うのね〜」
僕の顔を覗き込む彼女の目は大きくて、それでいてとても澄んでいて、まるで吸い込まれそうだ。
「いい?明日は私とデート。駅まで迎えにくること。わかった?」
「……」
返事!と怒られた。
しかし満面の笑みで見つめられると返事をしてしまうから、僕はやはり男なんだろう。
女の子にはめっぽう弱い。




「遅いぞ」
「アンタが早すぎるのよ」
そう言いつつ改札を抜けてきた彼女は、スーツ姿ではなく可愛らしいワンピースを身にまとって、いつも1つに括っている髪は全て下ろされてツヤツヤとしており、思わず触ってしまいたくなるほどだ。

「じゃあまずは、昼ご飯にしましょ。
今日はパスタがいいわ。パン食べ放題付きのところね」
行き先プランを全て考えてくれるところは有難いが、それは僕がついて行く必要はあるのだろうか。
「あそこのパン食べ放題だけど、とても美味しいの。でもチェーンだからあの店じゃないとダメ。他のところは美味しくなかった」
聞いてもないことをペラペラとよく喋るのは彼女の悪い癖で、これでいつも余計なことを喋り部長に怒られている。

「アンタ行きたいところとかないの?」
「別に」
期待とは逆の返事だったためか、彼女は少し顔を曇らせると寂しそうに呟いた。
「私のこと嫌い…?」
どうしてそんな発想になるのだろう。
「嫌いだったら一昨日も今日も会ってねえよ」
少しイラッとしながら僕は彼女の手を引き店へと入った。
その時の彼女の顔は言うまでもないだろう。





彼女の足取りは軽く、次は服を見に行くと言い出した。

ふと我に返ると『これがデートか』と少し小っ恥ずかしい。
しかし嫌な気はしない。
楽しそうにしている彼女の横顔は誰よりも綺麗で、
猫のように気まぐれなところも、僕の事情など一切考慮せず自分の要求を押し通すところも、1秒ごとにコロコロと変わる表情も全て全てが愛おしい。


もし彼女と付き合ったら、そう空想することも多い。
いや、男なら誰しも「もしあの子と付き合ったら」を想像すると思う。
俺も例外ではなく、何度も想像した。
だけどいつも告白するところで中止だった。

彼女との関係は今が一番居心地がいい。
もし告白したところで状況が悪い方へ変わったら。

怖いのかもしれない。
告白することが。
嫌われることが。

僕の性格上いろいろな人に誤解され、嫌われてきた。
中には理解をする素振りを見せる者もいたにはいた。
しかし一向に自分のことを喋らない・心を開かない僕のことを次第に人は距離を置くようになった。

そんな中で唯一僕に気を遣わず、遠慮なんか微塵もなく接してきたのは彼女だった。
そんな人を失い1人になるのはごめんだ。

だから余計なリスクを負うような真似はしたくない。



ふと彼女を見ると、俯いたまま動かなくなった。
何かを言おうとしているのか、
「私ね、」
俯いたまま喋る彼女を僕は何も言わず続きを待った。

「改めてこんなこと言うのもあれなんだけどね…私こんな性格だから、今まで何回も友達に嫌われてきたの」

「皆と遊びたい、あれがしたい、そう思っても、周りはワガママだとか自分ばっかりだって言って皆私から離れていったの」

顔をあげた彼女のまつ毛は少し濡れていて、目も少し赤い。
「だから何も言わずに私と一緒にいてくれてるアンタが、私にとって本当に大切だから。」


もうそれ以上続ける気はないのか、暫く沈黙が流れた。

たまたま彼女も孤独で、一人ぼっちが寂しかった。
僕も常に一人で、振り回してくれる彼女に温かさを求めていた。
利害の一致。

何とも不思議だった。
この子しかいないと思っていた子は、世間では嫌われていたなんて。
また人に避けられ続けた僕ですら必要としてくれる人がいたなんて。




僕達が付き合うのはもう少し先の話。

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