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第3話

エゴ、まだ見ぬ笑顔
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2020/11/12 10:41

それからいくらか時間が経ち、ふと見上げた空は夕焼けの茜に染まっていた。



今、この病室には俺以外に誰もいない。

母は、俺の病状の詳細な説明を受けるため、20分ほど前に、医師の神崎と共に病室を出た。


そして、
長海 翔
月花、だったかな…。
隣のベッドに横たわる少女が、俺の傍らに居続けているだけ。

その白い横顔は整っていて、微笑んだらどれだけ綺麗だろう、だなんて的はずれに思う。
長海 翔
――ごめんな。
息をしない彼女に、俺は謝った。

聞こえない、なんてことは分かっている。
だけど、彼女を忘れてしまったことが、酷い罪のように思えたから。


今までの記憶を忘れたこと――それは俺だけの苦しみではない。

俺に忘れられた人たち。

母をはじめ、俺を大切に思っていたであろう人たちが、それまで自分がしてきたことを忘れられたと聞いて、悲しむ人がいるだろう。



きっと、月花だって。
長海 翔
――ちゃんと、思い出したいな。
彼らの悲しみを拭うのは、俺が失った記憶を取り戻し、月花の死を悲しんで、

――それから、以前と変わらずに、笑うことだ。
長海 綾子(翔の母)
―――翔。
病室のドアを開いて、母が帰ってきた。

その表情が晴れないのは、説明された俺の病状が芳しくなかったからだろうか。
長海 綾子(翔の母)
さっき、先生から翔の症状のこと、聞いてきたの。
長海 綾子(翔の母)
…やっぱり、記憶は自然に戻ることはないみたい。
長海 翔
そう、なんだ……。
「一晩寝れば治る」みたいな、易しい状態でないのは分かっていた。

でも、何かの拍子に記憶の枷が外れ、全てを思い出せる――そんな奇跡に、淡い期待を抱いた自分がいたのは否めない。
長海 綾子(翔の母)
これから、どうすればいいのかしら……
長海 翔
…………。
眉を寄せ、手で頭を抱える母。

何も知らない俺には、どう声をかけていいかも分からなかった。
ただ母を見つめることしか出来ない。



自分なりに、記憶を辿る方法を思案していた。
そして、ある程度の答えは出ている。

だけど、それはあまりにも曖昧で、成功するかどうかも不確かなもの。

何かのために1歩を踏み出す。そんなことでさえ、白紙の世界では恐ろしいことに思いえるのだ。


思考を彷徨って、迷って、躊躇って――





――そんな視界の向こうに、眠る月花が見えた。


物言わぬ彼女の横顔を見つめた。その表情は、いつまでも変わらない。


彼女の笑った顔が見たい。

彼女の怒った顔が見たい。

彼女の泣いた顔が見てみたいと、思った。


エゴ、なのかもしれない。

だけど、そんな感情に、欲しかった背中を押す感覚を得た。


まだ見ぬ月花に、1歩を踏み出す勇気をもらったから。
長海 翔
――あの、
長海 翔
紙とペンを、貰えますか?
視線を上げた母に、俺はそう言った。

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