第189話

and more... ⑤
1,521
2021/07/22 11:00

午後8時。


着替えもせず床に座り込んでいたあなた。


あれから。

散々探したのに見つからなかったリング。



見つからなかった…


壱馬の…

くれたリング…



浮かべてしまう涙。



私から…

離れていく…


壱馬が…

いなくなってしまう…



頭をもたげて小さな肩を震わせた。



プルルル…



鳴り出した携帯。

ハッとして顔を上げると、涙を払って立ち上がる。

寝室に駆け寄って枕の下に手を突っ込んだ。
(なまえ)
あなた
はい…もしもし。
臣
俺。

穏やかな声。
(なまえ)
あなた
臣………。

それとは真逆。

やたらと落ちたあなたの声。


それでも。
臣
支度済んだか?
(なまえ)
あなた
えっ……。
臣
もしかしてまだなの?

呆れた顔が想像出来た。
(なまえ)
あなた
支度って……なんの話…?
臣
え?
見てないの?封筒。

リビングを振り返る。

淡いピンクのワンピースとその上の封筒。


リングのことで頭がいっぱいだった。
(なまえ)
あなた
忘れてた…。
臣
は?
(なまえ)
あなた
ごめん…あれ臣が置いたの…?
他のことで忙しかったから…。
臣
冗談だろ…。
(なまえ)
あなた
ごめんなさい…。
すぐ…支度するから…。
臣
壱馬は?
(なまえ)
あなた
………いないわ。
臣
連絡は?

あなたが黙った事が答えだった。



ったく…

あいつ…

忙しくても電話くらい出来んだろ…


危うく俺の努力が台無しになるとこだ…
臣
とにかく、急げよ。
(なまえ)
あなた
わ、分かった…。
臣
あ、あなた。
(なまえ)
あなた
ん…?

下ろしかけた携帯を耳に戻す。
臣
今、お前がどんな事を思っていても心に素直に受け入れろ。
(なまえ)
あなた
………え?
臣
迷いも、悩みも、寂しいとか悲しいとか、辛いとか、そんなもの全部捨てて、ただ心に従え。
(なまえ)
あなた
ど…どういう意味…?
臣
来れば分かる。

それだけを言うとブツッと切れた電話。

意味深な言葉。

でもそれを悩む時間はない。


ワンピースを取り上げるあなた。



クリスマスなのに…

傍にいることも出来ない…


でもきっと…

これからもっとそうなる…

壱馬は大きくなって…

今よりもっと上に行って…


私の元から…

いなくなってく…


見つからないリングのように…



軽く鼻をすすって着替える。

あの頃より少し緩くなった気がするワンピース。


身にまとって薄い化粧を施すと、髪を上手に纏めてあげた。


臣と想いを通わせたあの日と同じ装い。

扉に鍵をかけて大通りから乗ったタクシー。


店の住所を告げた。
(なまえ)
あなた
急いでください。

走り出すタクシー。

窓の外に視線を投げれば、いつもよりずっと街は賑やか。


時折信号で止まると見える。


腕を組んだカップル。

幸せそうに顔を寄せ合って微笑み合って。




私が望んだこと…


壱馬を大きくする…


壱馬はそれに応えて…

大きくなろうとしてる…


分かっていたことよ…


こんな日が来る事は…


しっかりして…

あなた…


一人の女である前に…

あなたは…

作曲家…


アーティストが期待に応えたの…


だから…

寂しくなんかない…

悲しくなんかない…


私に出来ることは…

川村壱馬を…

輝かせる曲を作ることだけ…



自分を落ち着かせるように何度も繰り返す。

無意識に。

どうしても触ってしまう首元に無くなったリングは、あなたに壱馬の存在の大きさを教えるのに。

あなたはただ呪文のように呟き続けた。




私は作曲家…


ただの…

作曲家…

プリ小説オーディオドラマ