“…てよ!”
“…なしてっ”
少し先の廊下から口喧嘩のような声が聞こえてきて私と大ちゃんはふと歩く足を止める。
するとその声はだんだん近づいてきて、
「なんでアンタはいつも俺の言うこと聞いてくんねぇんだよ!
「仕方ないじゃない、私にだって理由があるの」
「だからあんな男やめて俺にしろって言ってんだろ」
「…涼介みたいな子供には分かんない」
「また子供扱いしやがって…っ、ざけんな」
「っや、めて」
「…っあんな奴やめて俺にしろよ頼むから」
「っ」
ああ、いま私の目の前で起きている出来事は夢なのでしょうか。
私達の数メートル先に見えたのは口論したあとに
泣く女性へキスをして抱きしめる涼介だった。
「おい、なんだよあれ…」
あの光景を私と一緒に見ていた大ちゃんは戸惑いを隠しきれない様子だ。
そんな彼に言葉を返す分けでもなく私はただその場に立ちすくむ事しか出来ない。
涼介には私より大事に思っている人が居ることぐらい分かってた、
自分が2番目だって事ぐらい分かっていた筈なのに。
まさか実際その光景をこんな形で目の当たりにするなんて思ってもみなかったのだ。
堪らなく辛い。
辛い筈なのに涙が全く出なかったのはきっとこの光景を
受け止める事が出来なかったからかも知れない。
ねえ、誰か嘘だと言ってお願いだから。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!