第5話

ハナとナッちゃん
47
2019/02/13 13:40
 こんなにも落ち着かない一日は、人生ではじめてのような気がする。


「五時間目の体育の前に、男子が着替えて先に教室を出たあと、颯人の制服に忍ばせておこう」


 用意した手紙をどうやって届けるかを、ナッちゃんは考えてくれていた。横倉くんはいつ手紙に気づくだろうか、放課後? それとも家に着いてから? 体育の授業中、考えながら走っていたせいで、三回もバレーボールのネットに激突した。運動神経バツグンなはずのナッちゃんも、一回ネットににからまっているのを目撃したから、ナッちゃんも緊張しているんだって分かって、ちょっと安心した。
 帰りの集会の時には、私のドキドキはマックスに達していた。いつもと変わらないにぎやかな教室。手紙を手にしたかもしれない横倉くんの様子をチェックしたかったけれど、怖くて顔があげられず、ずっと下を向いてやり過ごし、鐘が鳴ったと同時に私は教室を飛び出して部室へと向かった。


「この手紙、おまえからだろ?」
「そうだよ。わかった?」
「わかるに決まってんだろ? だって、俺もおまえのこと前から……」


 横倉くんとナッちゃんの、そんな会話を想像していた。今ごろ、二人残った教室で、それとも体育館裏のバスケ部の部室の前で、きっとこんな言葉を交わしているのではないのだろうか。まるで少女漫画のワンシーンみたいに。もし、そうなったら──
 忘れた方がいいのかな、忘れられるのかな、横倉くんのこと、私は。
 そんな風に考えていると、鼻の奥がツンと痛んできた。─ 失恋の涙。こんなのも初めての経験だ。いや、前向きに考えなきゃダメだ。この経験を創作に生かすのだ。書きたいと思っていたミステリの短編に、恋愛要素を入れてみるのはどうだろう。よし、書こう。
 意を決してパソコンの前に座ると、真正面の窓の向こうに屋上コートの景色が飛び込んできた。ダメだ。このままじゃ、失恋の傷口に自分で塩を塗ってしまうだけだ。机の位置を替えよう。横倉くんが視界に入らないように。いっそ背中を向けてしまおう。
 お昼すぎくらいまではもっていた天気も、午後からはなんだかグズつきだして、今はぽつりぽつりと小雨が降り出している。落ちつかない空模様は、まるで今日の私の心の中みたいだ。
 窓際に置かれた長机を移動するため持ち上げてみると、意外なほどに重くてビクともしない。それじゃあ押して動かそうかと、ウンウンうなっていると


「花澤さ──ん!!」


 私を呼ぶ声がどこか遠くから聞こえてきた。


(……え? だ、だれ?)


 これは確実に男子の声だ。私はあわてて声の出どころを探した。


「花澤さぁぁ─────ん!!」


 さっきよりも大音量で呼ばれる。聞こえてくるのは窓の向こうからだ。背を向けていた窓へと振り返ると


「花澤さぁぁぁ───────んっ!!」


 屋上コートに、横倉くんがいた。
 雨に濡れるのも構わず、声を限りに私の名前を呼んで、こちらに向かって大きく両手を振っている横倉くんがいた。


「……え? な、なんで? なんで?」


 忘れよう、忘れなきゃと思っていた横倉くんが、私に手を振っている。頭が混乱してくる。


「──俺もぉー、同じ気持ちだったからぁ ───」


 混乱して、この場から逃げ出したいと思っていた私に、横倉くんが屋上から叫んでくる。


(……おなじ、気持ち?)


「花澤さんと──、ずっと同じ気持ちだったからぁ ─────」


 横倉くんの叫んだセリフを理解しようと頭を働かせるけれど、追いつかなくてその場に立ちすくんでいた私に


「あぁぁーっ、もうっ、今っ! すぐにそっちに行くから、待ってて!!」


と、こちらを指さした横倉くんは、あっという間に屋上から姿を消してしまった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 誰もいなくなった屋上コートを見つめながら「今見た光景はまぼろしだ。聞こえたのはきっと幻聴だ」なんて思い始め、納得しかけた時、


「失礼します!!」


 ガラガラと大きな音を立てて、学習室の扉が開かれた。


「……よ、横倉くん?」


 まぼろしが、リアルになって間近に現れた。お気に入りの青いTシャツの肩と、猫っ毛な前髪をうっすらと濡らした横倉くんがそこにいた。


「……て、手紙……、手紙、くれたの、花澤さんだよね?」


 屋上から走ってここまで来たのだろうか。肩で大きく息をして、呼吸を乱して横倉くんは言う。


「花澤さんだよね!?」
「……えっ、……あ、うん」


 勢いに圧倒されてうなずくと、


「良かったぁー、ちがってたら、俺、超はずかしかったぁー」


 横倉くんはへなへなと、床に座り込んだ。


「……で、でも、どうして?」


 どうして私からだと思ったの? 私の名前、知ってくれていたの? 『同じ気持ち』ってどんな?
 脳内に浮かんだたくさんのクエスチョンマークを、どうやって消していけばいいのかとまどっていると、起き上がった横倉くんは姿勢を正して私の方へ向き合った。


「わかった、と言うか、俺が『この手紙は花澤さんからだ』って信じたかったからだと思う。俺、ずっと俺の片思いだと思ってたから」


 ── 俺の片思い? 横倉くん、今、俺の、って言った?


「俺も、花澤さんのこと、ずっと前から好きでした」
「──── え?」


 それが、横倉くんの『同じ気持ち』?


「俺、ずっとあそこから、花澤さんのこと見てて、だから同じクラスになれたのもすっげー嬉しくて」


 横倉くんが、指さした先には屋上コート。私が横倉くんを見ていたあの場所から、彼も私を見ていただなんて。


「ちゃんと言いたい、気持ちを伝えたいって、ずっと思ってたのに、俺がモタモタしてたから先に言われちゃったのが、すっげーアレなんだけど」


 想像もしていなかった展開に、すべての思考がフリーズしそうになったけれど、


「手紙もらって、俺、めっちゃ嬉しかった!!」


 顔をくちゃくちゃにした横倉くんの笑顔に、少しずつ固まった身体と思考がほぐされていった。


(嬉しい。私もすっごく嬉しい)


 口を開いたら、心臓が飛び出しちゃいそうなくらいドキドキしていた。でも、私もこの気持ちをちゃんと伝えなきゃと思っていると


 ── キーンコーンカーンコーン


 部活の始まりを告げる、鐘が鳴った。


「やべ! ごめん、俺もう行かなきゃ。今日、これから紅白戦なんだ」
「あ、う、うん、横倉くん、ちょっと待って」


 私は大慌てで、鞄からハンカチを出すと横倉くんに差し出した。


「こ、これ、使って。風邪ひいちゃうと大変だから」


 差し出してから気づいた。またしても、ブタちゃん柄のハンカチを持ってきてしまった自分に。


「あ、ありがとう」


 あぁ、なんてこと。ハンカチを受け取った横倉くんが、ブタちゃんと見つめあっている。


「これ、洗って返すね」
「え!? いいよ!」


 取り返す間もなく、横倉くんは駆け出して行ってしまった。お持ち帰りされたブタちゃん。ちょっとうらやましい。


「あ、あのさ!」
「は、はい!」


 いったん学習室を出ていった横倉くんが、舞い戻って来た。


「今日、一緒に帰ろう! 部活終わったら、迎えに来るから。話したいこと、いっぱいあるから」
「う、うん」
「じゃあ、またあとで!」


 パタパタと再び駆けていく横倉くんの足音が遠ざかっていくと、


(うわぁぁぁぁ───)


 今度は私が、床に座り込んでしまう番だった。
 私の好きな横倉くんが、私のことを好きって言ってくれた。『両思い』、これは『両思い』ってやつだ。自分の身に、こんなサプライズが起きるなんて、誰が想像できただろう。そう、今朝横倉くんに手紙を書いた時は、振られる気満々だったのに……。


(……あ)


 思い出した。自分のことばかり考えていたけれど、あの手紙は私だけの気持ちが込められていたんじゃなかったって事を。


「メチャクチャはしゃいで、走っていったね」


 声がした方に顔を向けると


「ホント単純なヤツ」


 ナッちゃんが教室の入口に立っていた。部活の途中だろうか、運動着姿で。


「突き指《ゆび》したってウソついて、抜け出して来ちゃった」


 湿布が撒かれた人差し指を見せて、ナッちゃんはいたずらっぽく笑う。


「痛いのは、ココの方だけどね」


 そう言ってナッちゃんは、左胸を抑えた。知ってるんだ、ナッちゃんは。横倉くんが出した答えを。


「……ナッちゃん」


 こんなとき、なんて言えばいいんだろうか。


「あ!『ごめんね』とか言ったら怒るからね!そんなのミジメになるだけなんだから」
「……うん」


 ナッちゃんも、私のとなりに腰を下ろし


「やったね、ハナ」


 グーの手で、肩を軽くパンチしてきた。


「……ナッちゃん、私」
「あー、イイってイイって。あたしのことは気にせずに、素直に喜んじゃないなよ」
「……そんな」


 そんなことできるワケがない。もし自分がナッちゃんの立場だったらって考えたら。


「それに、こうなるってことは、ほぼ100%想像してたし」
「……え?」
「ごめん! ハナ」


 両手を合わせて、ナッちゃんがいきなり謝ってきた。


「え? なに? なんで?」


 自分は『ごめんね』って言ったら怒るって、言ってたのにどうして?


「……あたし、知ってたの。ハナの気持ちに気づく前から、颯人がハナのことを好きだってこと」


 私を見つめる、ナッちゃんの大きな瞳から目が離せなかった。ナッちゃんは、小さく深呼吸すると、ゆっくりとひとつひとつを思い出すようにして、語り始めた。


「去年のゴールデンウィークが終わった辺りかな? 体験入部の期間も終わって、本格的に部活が始まったころ。そのころまだバスケ部の新入部員は、男女一緒に基礎練をやらされていてね、あそこでもよく颯人と一緒に練習してたんだ」


 屋上コートを指さすナッちゃん。


「あそこから、この教室の窓はよく見えてね。そこにハナがいたんだ。一生懸命な顔してパソコンに向かっているハナが」


 ああ、確かあのころは、パソコンにもまだ慣れていなくって、早く操作を覚えたくて毎日必死に練習していたっけ。


「颯人がこの窓を、やけにチラチラ気にしているなぁって思っていたら、ある日あたしに聞いてきたんだよね。『あの教室は何部が使っているんだ』って。その頃かな、颯人がハナのことを気になっているんだなぁって感づいちゃったのは。あ、その頃はあたしも『ハナ』の名前も知らなかったんだけどね」


 一年以上前の話。私の知らなかった話。


「確かにハナはキレイだったんだよなぁ。暑い日も寒い日も、背筋を伸ばしてここで何かを綴っていたハナは、あたしや颯人みたいな体力バカからしたら、すっごく知的で尊い存在に見えたの」
「……そ、そんな」


 私の方が憧れていた。太陽の下、汗を光らせながら空に向かって跳ぶ横倉くんに、そしてナッちゃんに。


「図書室に貼られてる、図書新聞があるじゃない? アレの『おすすめ図書』に載ってた本は、颯人全部読んでいるんだよ。笑っちゃうよね、夏休みにゴロゴロコミックの感想文書いて怒られていたようなヤツなのに」


 文芸部が編集している図書新聞、そしてその特集コーナーは


「それって、ハナが書いておすすめしてるって、どこからか聞いてきたからなんだよね」


そう、入部時から私の担当しているコーナーだった。


「極めつけは今年の春。大会で遠征に行ったとき、会場の体育館の前の広場に、満開の菜の花が咲いていたのね。それを見て、颯人が嬉しそうに言ったの。『あぁ、これが菜の花かぁ。可愛いなぁ』って」


  菜の花。黄色い菜の花。私の名前。


「その頃はもう同じクラスだったから、ハナの名前を『菜摘』って書くことも知ってたしね。ああもうコレは疑いようがないなって。……だってね」


  ナッちゃんの声が、少し震えた。


「夏の合宿で海を見た時は、颯人言わなかったんだよ、『これが夏の海か』って。『キレイだな』とか『気持ちイイな』とか、言わなかったんだよ。だから……」
 ポロポロと涙を落としはじめたナッちゃんの姿が、なぜか揺らいでいく。


「……ナッちゃん」


 気がつけば、私の目からも大粒の涙がとめどなくあふれだしていた。


「ごめんね、ハナごめんね、気づいていたのに、あたし、99.99%そうだろうって気づいていたのに、でもどうしても後の0.01%があきらめきれなくて……、あんな手紙書かせちゃったりして、ゴメンね……」
「……いいの、いいんだよ、ナッちゃん」


 ナッちゃんの気持ちはすごくすごくわかった。誰かを好きになるって気持ちは、消しゴムや Delete key や Backspaceで、簡単に消せたりできるもんじゃないって、私も横倉くんを好きになってようやく気づけたんだから。


「ハナ ─────」
「ナッちゃん ──────」


 文芸部の部員達が、幽霊部員ばかりでホントに良かった。
 私とナッちゃんは床に座って抱き合ったまま二人、思う存分に声を上げて泣いた。

プリ小説オーディオドラマ