第17話

疑念と踊る、ワルツのように
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2019/07/16 09:58
夏休みが始まり、校舎内は賑やかさを失って閑散としていた。
廊下に自分の足音だけが響いて、落ち着かない。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(この教室かな……)
表記札のない空き教室の扉の前で私は立ち止まる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(陽翔くんから、話があるって呼び出されたけど)
一体、私にどんな用事があるんだろう。
ECOの関係者でもない私に……


私は上嶋くんに、食人鬼であると告白した。


だから上嶋くんが所属してる食人鬼対策室ECOに狙われる危険が増したし、この扉の向こうで捕らえられてもおかしくない。

上嶋くんとは浜辺の告白以来二週間以上会っていなかった。

でも。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(上嶋くんを、信じたい)
きっとまた上嶋くんに会える。

前みたいにはいかないかもしれないけど——



息を飲んで扉に手をかけようとすると、がらりと扉が開いた。
杉本 美空
杉本 美空
あれっ、夕莉?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
美空!?
思わぬ所で美空が飛び出てきて、私は面食らってしまった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
どうしてここに……
杉本 美空
杉本 美空
えっと……ちょっとね
ほんのりと赤くなった頬を掻いて美空は照れ隠しをした。
杉本 美空
杉本 美空
私、これから部活あるから……! 三好先輩に無理しないようにって!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
えっ?
美空は急いで廊下を走り抜けていった。


開かれたままのドアに視線を戻すと、教室の中には三好先輩がいた。
三好修吾
三好修吾
はあ……なんなんだアイツは
机の上に座っている三好先輩はため息を吐く。
私はドアを後ろ手で閉めて教室の中に入った。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好先輩、どうして美空がここに?
三好修吾
三好修吾
ああ、この教室に入る前にアイツが通りかかってさ。怪我してるじゃないですか! って治療されて
三好先輩は右腕に巻かれた包帯を私に見せる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
それって……
三好修吾
三好修吾
ECOでの任務は、危険な役回りをさせられることが多いからな。俺は半分食人鬼で人間より丈夫だし、余計にね。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
だ、大丈夫なんですか!?
三好修吾
三好修吾
ただの擦り傷だって。アイツにも言ったんだけど聞かなくて……
呆れながら言うものの、三好先輩に嫌がる素振りはない。私はそれに少し安心した。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好先輩、私以外の友達作った方がいいですよ? 美空はいい子だし
三好修吾
三好修吾
……あの子ね。何かと気にかけてくるけど、おせっかいな子だよね。俺にかまうなんて
冷たい言葉の割にはトゲがなく、先輩が照れているのだとすぐに分かった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(美空……頑張ってるんだな)
微笑ましい気持ちになったのもつかの間、窓の方から明るい声がした。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
遅れてごめん! 皆いるね
九井原 夕莉
九井原 夕莉
陽翔くん……って窓から!? ここ二階なのに
汗一つかいていない顔で陽翔くんは白い歯を見せてさわやかに笑う。

彼は軽々と教室に降り立った。
開いた窓から蝉の声も入ってきて、夏を感じさせた。
三好修吾
三好修吾
呼び出した本人が遅れるとはね
陸下 陽翔
陸下 陽翔
ごめんごめん……目立たないようにするの大変なんだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(余計目立つのでは…!?  というか三好先輩は慣れてるし!)
未だに私は、陽翔くんって本当に人間なのかなあと思ってしまうくらいだ。
三好修吾
三好修吾
それで……話っていうのは? 夕莉まで呼び出して……
陸下 陽翔
陸下 陽翔
うん、それは……
陽翔くんは一瞬だけ逡巡すると、真面目な顔で私に視線を向けた。







陸下 陽翔
陸下 陽翔
上嶋が…………
戻ってこなくなるかもしれない
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……え?
鳴いていた蝉の声がじりっと途切れる。


真夏の静寂に目眩がしそうだった。
三好修吾
三好修吾
どういうことだよ? 戻ってこないって……最初から説明してくれ
真っ先に三好先輩は疑問をぶつける。疑り深そうに眉を寄せた。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
ずっと調べていた上嶋の妹を殺した犯人——が拠点にしている場所が見つかったんだ。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
上嶋はその隠れ家に潜入する作戦に参加するらしくて……
三好修吾
三好修吾
……命の保証はないってことか
三好先輩は包帯で巻かれた右腕を緊張した吐息を吐いて触った。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
そんな……どうして!? 佐那城先生だって反対したはず
陸下 陽翔
陸下 陽翔
……正式なメンバーから外したら上嶋は単独でも行くってことを佐那城さんは分かってるからだと思う。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
それよりは……もう少し可能性のある方にかけたんだろうけど
陸下 陽翔
陸下 陽翔
それでも……集団の食人鬼を人間が相手にするのは多大な犠牲を払うんだ。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
生き残って帰ってこれるのなんてせいぜい……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
嘘……
上嶋くんに自分の正体を打ち明けたのは、私自身という脅威から彼を一時的に遠ざけるためでもあったけど。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(どうしよう、上嶋くんが……)



ガラッ
その時、突然に教室の扉が開かれた。
能美川 明梨
能美川 明梨
……この教室で、自習をしていると聞いたのですが
生徒会長の能美川明梨が柔らかに微笑みながらドアを開け放った。

その微笑みとは裏腹に口調は厳しい。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
ええっと……これからする所です! ごめん明……能美川さん
陽翔くんが名前を呼びかけたとき、能美川さんの目が鋭くなった気がした。
能美川 明梨
能美川 明梨
……いいでしょう。これからは気をつけて下さい
能美川さんが体を翻すと、透き通るような長い髪が舞った。



彼女が戻っていく廊下の先に。







能美川 明梨
能美川 明梨
行きましょう。上嶋くん





仮面を貼り付けたように無表情な上嶋くんがそこにいた。








私と焦点の合わない瞳はどこまでも暗くて虚ろで——


だけど、拳は爪が食い込むほど強く握られていた。







その拳を細くて白い彼女の指が包み込んで、連れ去って行く。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あ……




ただでさえ断絶の谷に阻まれている私と上嶋くんの距離が、もっと開いていくような気がする。




私からはもう手を伸ばせない。


伸ばしても届かない。






運命の鎖でつながっているはずの、あの温かい手のひらはどんどん遠くなっていって——
三好修吾
三好修吾
夕莉!
ぽこっと、後頭部を軽く小突かれて私は我に帰る。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
いたっ
向きをくるりと反転させられる。三好先輩は私の額を指で弾いた。
三好修吾
三好修吾
デコピンあと百発くらいしようか?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
いたたたたたたたっ、もう結構です!
私は額を擦りながら三好先輩を睨む。
流石にいじわるし過ぎじゃない?
先輩はにぃっと満足げに笑って私の頭を撫でた。
三好修吾
三好修吾
一人で考え込むな。お前はもう一人じゃないんだ
上嶋くんとは違って乱暴な手付きだけど、優しさに満ちた手のひらだった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(もしかして、落ち込みかけた私を引っ張り上げてくれた……?)
三好先輩は最後にぽんぽんと私の頭を軽く叩く。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(そっか……今まで一人だと思ってたけど)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(今は三好先輩がいるんだ。それから皐月ねえだって私のために……)


ずっと、一人で苦しまなくちゃいけないと思っていた。




一人で何でもしないといけないと思ってた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(一人で、悩まなくてもいいんだ)


手を伸ばしてくれる人が、本当は傍にいたんだ。
それだけで、胸を締め付けていたものが少し緩んだような気がした。
三好修吾
三好修吾
さて……話を戻すけど、その前に確認することがある
三好先輩は私の数歩前に出て、陽翔くんと向き合った。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
確認って……?
不思議そうに陽翔くんは首を傾げる。
三好修吾
三好修吾
前は、上嶋が来たからうやむやになったけど……
じり、じり、と夏の虫たちが短く、ばらばらに鳴き始めるのが聞こえた。
三好修吾
三好修吾
俺がECOに入った後、夕莉に手紙を書いたって言ったよな
手紙、というのはあの逆さのハートが刻印された封筒のことだろうか。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あの、中身が空っぽだった……
三好修吾
三好修吾
そう、その封筒に俺がECOに所属することになったことを書いた、夕莉宛の手紙が入ってたんだ
三好修吾
三好修吾
その手紙を届けるように、俺は誰に頼んだと思う?
三好先輩は真っ直ぐと陽翔くんを見据えた。


陽翔くんは表情を変えなかった。何の意図も見えず、眉一つ動かさない。


ただじっと、大人しく三好先輩の話に耳を傾けていた。
三好修吾
三好修吾
お前はずっと、何を隠してるんだ?




一斉に蝉たちが鳴きだして、静寂はかき乱される。






そのざわめきの中心で、窓に寄りかかった陽翔くんは私達から視線を外すことはなかった。


















◆◆◆◆
能美川 明梨
能美川 明梨
……いいんですよ。上嶋……いえ、幸寛くん
能美川 明梨
能美川 明梨
楽になりましょう……私があなたを支えます
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
楽……に?
能美川 明梨
能美川 明梨
そうです。私に身を委ねて……
能美川 明梨
能美川 明梨
ここには、貴方を責める人も怖いものもないのだから

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