佐那城先生が言った言葉が信じられなくて、私は動揺する。
上嶋くんが裏山で食人鬼と戦おうとしている?
脳裏に食人鬼の死体がフラッシュバックして、夢で見た血まみれの上嶋くんと重なる。
絶対に、上嶋くんを殺させたりなんかしない。
ーー私は急いで学校を飛び出した。
◆◆◆◆
薄暗い森の中を私はがむしゃらに走っていた。
カラスが上空を煩く飛び回って木々があざ笑うようにざわめいている。
すこしでも早く上に着くために舗装された山道ではなく、木々のむき出した斜面を上っていく。
汗ばんだシャツに土埃が纏わりつき、小枝にひっかかって制服は所々切れてしまった。
地面が崩れて足を取られて転んでしまう。
もう何度か転んで体に傷を作っていたが構わずに私は立ち上がった。
きつい斜面を木を伝わりながら上っていくとガラクタ山の一端が見えてきた。
一気に駆け上がって頂上にたどり着く。
上嶋くんが食人鬼と戦っているはずなのに
――辺りは異常なほど静まり返っていた。
廃棄物の山は幾つか崩れていて、前よりも散乱している。誰かが争った形跡があった。
まるで進路を阻むように倒れた家財や散らかったゴミをどかしながら私は前に進む。
最悪の想像が頭をよぎった。
ドクドクと心臓の嫌な音が聞こえて、首筋に生ぬるい汗が滴る。
急いでいるせいで飛び出ていた鉄の塊やガラスで足や腕を傷つけた。
でもそんなことより上嶋くんが心配だった。
鼻のえぐれるような腐臭の中人間の血の匂いがした。
進むなと警鐘を鳴らすようにキィィンと耳鳴りが響く。
鼓動はますます速まって、廃棄物をかき分ける手が震えていた。
それでも進まなきゃと、傷だらけの手で廃棄物の山を登りきるとーー
ーー息が止まった。
見下ろした先には大量の血痕があった。
古びた家財やゴミの飛び出た黒いビニール袋に弾けたように血が付着している。
そして、
血溜まりの中に私が彼にあげた小瓶が浮かんでいた。
瓶に入った水色とピンクの鮮やかな玉の色が、赤黒い色に覆われている。
最後のデートをした縁日が蘇る。
「上嶋くんぽい色で綺麗だなあって」
そう言ったら、彼は照れくさそうに受け取ってくれた。
夢の中で見た上嶋くんを思い出す。
赤い血が滴って、どろりと白い肌に黒くこびりついてーー
ふらつきながら血溜まりに降りて、小瓶を拾う。
目の前の赤黒い光景が瞳に焼き付いた。
私は
上嶋くんを守れなかった。
底なしの絶望に私は膝を付いて、血のついた小瓶を虚ろに見つめる。
ほのかに小瓶から香るはずの桃の香りは、さびた鉄の臭いに変わってしまっていたーー
殺気を感じ、身構えて咄嗟に後ろを振り返る。
黒い鉄の銃口が、私に真っ直ぐと向けられていた。
しかし、その銃を向けていたのはーー
――紛れもない上嶋くんだった。
彼は銃を下ろして、戸惑いの表情を浮かべる。
目の前に、上嶋くんがいる。
ふらふらと、私は上嶋くんに手を伸ばして彼を確かめようとした。
彼の頬に触れて熱を感じ
ーー私は思い切り彼に抱きついた。
久しぶりの温もりをもう離したくなくて、
潰してしまいそうなほど抱きしめる。
もう離したくない。
ずっとここにいてほしい。
上嶋くんが切なそうに呟く。
壊れ物に触るように、そっと背中に触れられた。
彼の優しさが温もりを伝って感じられる。
確かめ合うように、愛おしむように、手のひらでそっと撫でられる。
それから、ゆっくりと大きな両腕に私は包み込まれていった。
また涙が出そうなほどの温もり。
どうして、君はこんなに温かいのかな。
冷たい体にはまるで炎のように熱すぎる。
このまま君の熱で溶けて消えてしまえたらどんなに幸せなんだろうか。
はっとした私は上嶋くんの体を押しのけた。
体温が遠ざかると、体は元通り冷えていく。
上嶋くんに触れると、自分の体温が人間のように少し温かくなる気がした。
私は君に触れる資格なんてないのに。
つい甘えてしまった。
私は後ずさり、背を向けてその場から去ろうとした。
いくら謝っても足りない。
そんなものに意味なんてない。
だから、なるべく君から遠くにーー
と思ったのに
腕をつかまれて、走り出すことが出来なかった。
ぎゅっと込められた力は、尋常じゃないほど強くて。
もう二度と離してくれないんじゃないかと思った。
そのまま背中が彼の胸に吸い寄せられて、後ろから抱きしめられる。
容赦なく、苦しいくらいに抱きしめられる。
両腕が私を逃すまい、と固く閉じ込めて。
怒りとも悲しみとも取れるような声で上嶋くんは私を熱く抱擁した。
ずくん、と胸の奥をつつかれた。
私はずっと、彼に隠してばかりいる。
自分の思いも、食人鬼だってことも。
カチャンと、金属音が鳴る。
私の手首には手錠がはめられていた。
ドキリ、と心臓が止まる。
まさか、食人鬼ってバレた?
白々しい言葉が口から出てしまう。
ぐるりと体の向きを変えられて、訝しげな上嶋くんの顔が近づく。
透き通った真っ黒な瞳に、一人の食人鬼が映っていた。
むにっと、上嶋くんは私の両頬をつまんで横に広げた。
両頬を上にぐいーっとひっぱられて痛い。
ぶすっとした表情で彼はぐにぐにと頬を弄ぶ。
子供みたいな彼の意地悪な笑みを久しぶりに見た。
そう言った私の口角はきっと自然に上がっていたのだろう。
上嶋くんは安心したようにフッと笑った。
神妙な面立ちに戻って彼は言う。
上嶋くんは私がつけている手錠の片方を自分の腕にはめる。
彼ははにかんで、眉をひそめる。
柄じゃない照れくささを隠すみたいに。
ふふ、とつい笑みが溢れて、手錠でつながった手と手を重ねた。
上嶋くんから話を聞くと、彼は食人鬼と交戦したらしい。
手負いの食人鬼を特製銃で追い詰めたが逃げられてしまったという。
沢山のことを、大切なことも。
ごめんなさい、皐月ねえ。
もう隠してはいけないと思う。
実際はすごく不安だ。
彼は妹を殺した食人鬼を憎んでいるのだから。
告白したら、彼は一体どんな顔をするんだろう。
私のことを憎むかもしれないーーそれでも。
だから、私も彼に正直に応えたい。
憎まれても、嫌われても、これ以上隠し続けることの方が彼への裏切りのような気がした。
当たり前のように上嶋くんが言う。
糸だったら切れるだろって。
手錠なんて全然ロマンチックじゃない。
重くて冷たい鉄の塊だ。
でもなんでだろう。
運命の糸は赤色じゃなくてもいいかと思ってしまったのは。
こうして、私達はしばらく手錠でつながれることになってしまったのだったーー。
その時感じた視線を、野生動物か何かと思って私は気にもとめなかった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。