唇に感じる柔らかい感触。
重なり合った唇と唇。
口の中に甘美な熱が注ぎ込まれて、舌が焼けるような気がした。
そう言った上嶋くんは、自分の血を口に含んでーー私に口移しをした。
口の中に広がる甘さに脳みそがとろける。
頭の奥がぱちぱちと弾けて、理性を繋ぎ止める糸がぷつぷつと切れていくような気がした。
舌に染み込むほどの甘さを感じる血液が喉奥に落ちていく。
ドクドクと鼓動が早まって、心臓から体中に熱が送られていく。
体の奥から力が込み上げてきて、ぎゅっと拳を握ると爪がくい込んで血が出る。
そのほんの一時の口付けは、私にはひどく長く感じられた。
上嶋くんが離れると、唇から赤い血液が滴った。
私にとってはこの世のどんなものよりも美しい色に見える。
一滴も逃したくない、いやーー君から全てを奪いたい。
喰べたい。
喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい
君の全部がほしい。
抑え込んでいた欲望が、止まらない。
さらなる血を求めて、歯がむき出しになるほど口を大きく開く。
目の前がチカチカと光り、呼吸は犬のように荒くなる。
私がそんな状態になっても、上嶋くんは私の手を握っていた――
君を、喰べたくて仕方ない食人鬼だ。
ガブリ。
肉に歯が食い込んで、血が滴る。
皮膚を食いちぎって、鮮血で上嶋くんを濡らした。
私は自分の腕に噛み付いていた。
腕から流れる血が、私の手を握っている彼の手のひらに流れていく。
溢れ出して止まらない衝動を、私は自らを傷つけることで制御しようとした。
痛みが、必要な理性を引き戻し興奮を冷ます。
そしてなにより、上嶋くんの目が――
真っ直ぐ、私だけを映すほど透き通っていたから。
パチンと指が鳴って、黒い影が私達に落ちて濃くなっていく。
上嶋くんが私を庇おうと、身を乗り出した――
ドシャッッ
私は庇おうとした上嶋くんをすり抜けて、空中に軽く飛び、襲いかかってきた黒コートを円を描くように一瞬で薙ぎ払った。
黒コートは突き飛ばされ、地面に叩きつけられて倒れ伏す。
普通の人間だったら、この一撃で動けなくなるだろう。
皐月ねえに手ほどきされた、足技を難なく使うことができたのも久しぶりに力がみなぎってきたからだ。
飢餓感で喉が干からびそうなほど渇く。
欲望を制御するために、また自分の腕を噛んだ。
ギリギリと、骨まで砕きそうな痛みが本能を押しのけて何とか自分を保つ。
血の赤。
身を挺して私を庇ってくれた三好先輩。
自らを危険にさらしても私を信じてくれた上嶋くん。
先生はさらに指を鳴らして、黒コートをけしかける。
私は佐那城先生の元に向かって、黒いコート達を突き抜けるように走った。
進路を邪魔する者は振り上げた足で倒し、払った腕で突き飛ばす。
襲いかかってくるものを次々と蹴散らして、道を作り出す。
ついに、佐那城先生の前まで迫る。
佐那城先生は懐から銃を取り出し、私に銃口を向ける。
銃――三好先輩の命を奪った。
脳裏に、血溜まりの中で微笑む先輩が見えて――
一瞬、動きが止まった私を先生は見逃さない。
にいっと彼の口角が上がる。
私の動揺の隙をついて、彼は引き金を引いた。
バアンッ!!!!!!
至近距離で銃声が響いた。
キィィンと、耳鳴りが頭まで響く。
見慣れた血液の赤が、ぼたぼたと床に染みを作る。
私の血も、人と同じ赤色なんだと今更のように思った。
銃を構えた彼の腕を、銃弾が放たれる前に自分から反らした。
私の爪が彼の白衣を突き破って肉を裂き、白衣に血の染みができていく。
彼は恐れていいた。
それは食人鬼に対する恐れではなく、なぜ私がここまでできるのかという問いかけのように聞こえた。
私は彼の肩を押さえて、逃げられないように固定する。
私は大きく頭を振りかぶり、傷のある額めがけて思いっきり頭突きをかました。
ガアァァン!
硬い頭蓋骨同士がぶつかり合う音が、頭の中で衝撃とともに響いた気がした。
弓なりに背中を曲げて、白目を向いた佐那城先生は後ろに倒れた。
銃が彼の手を離れて、無機質な音を立ててから床を滑っていく。
先生は頭を抱えてうずくまり、立ち上がることはもう出来ないようだった。
私も体の力が抜けて、崩れ落ちそうになる。
体が床に吸い込まれるような感覚の中、遠くで上嶋くんの声が聞こえた。
この距離じゃ、上嶋くんは走っても間に合わない――
その刹那、ガキン! と金属がぶつかり合う音が頭上で聞こえた。
冷たい床に倒れると思われた私の体はそっと受け止められる。
腕の中で薄目を開けると、皐月ねえが私を抱きとめてくれた。
換気口の蓋が足元でひしゃげていて、皐月ねえのヒールは折れていた。
うずくまっていた佐那城先生が顔を上げた。
その顔には、先程のような敵意はなく憂いが表れていた。
佐那城先生は額の傷に触れて、消え入りそうに微笑んだ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。