第23話

紅いくちびる
1,378
2019/08/28 10:55
ぼたぼたと、床に流れ落ちる赤。
ひどく鮮やかなその色は、たしかに私達を生かしているのだと感じさせるもので。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好……せん、ぱ
目の前に、私を庇って血を流した三好先輩が立っていた。
三好修吾
三好修吾
言っただろ? 今度は守るって……
振り向いて、何でもないような笑顔を見せた彼は糸が切れた人形のように倒れる。
床に倒れ込む彼の体から、血の海が広がっていく。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……んぱい、三好先輩!
私は咄嗟に駆け出して、制服が血で汚れるのも構わず先輩の体を抱き上げた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
血が……血が止まらない
三好修吾
三好修吾
夕莉が、無事で良かった……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
何言ってるんですか。先輩が無事じゃなきゃ意味ないです……!
先輩の腹部から血が抜けていく。私の腕に生温かい感触が伝わってーー


熱くなった瞳からはすでに涙が零れ、雨粒のように先輩の顔を濡らした。
三好修吾
三好修吾
食人鬼は丈夫なんだ……きっと少ししたら、血も止まるし体も治せる
三好修吾
三好修吾
俺は、ちょっとだけ休む……

嘘だ。


さっきから血の勢いは衰えない。私の制服に染みが広がって床を赤くするほど、明らかに出血多量なのだ。


三好先輩はわずかに表情筋を緩ませて、私に笑いかけようとする。

震える手がゆっくりと持ち上がって、私の頬を撫でた。
三好修吾
三好修吾
ひどい顔だな……
先輩の指先が私の涙をすくう。
三好修吾
三好修吾
お前は
三好修吾
三好修吾
笑っている顔の方が……俺は――







好きだよ。












薄く開いていた目が閉じて、かすかに動いた唇は最後に声を紡がなかった。


涙をすくった指先が、私の頬の横に流れ落ちて。




ずしりと、腕に先輩の重みがあるのに温かい血液はすぐに熱を失って乾いていく。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好、せんぱい……
握った手から体温を感じなくて、胸に穴が空いたような気がして、虚脱感に包まれる。
最初に手のひらに触れて私に流れ込んだあの熱が遠くに。

もう手を握ってもかえってこない。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(なんで……)
目の前の現実を受け入れられない、無意味な問いかけ。





絶望。





そのあまりにも突然で残酷な出来事に胸が張り裂けて、喪失に縛りつけられた体はその場から動けなかった。
佐那城 悟
佐那城 悟
……さて、全部終わらせようか
パチン、と指を鳴らす音。


むくりと、黒い影が視界の隅で立ち上がったのが見えた。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
なっ、さっき倒したはずじゃ……!
佐那城 悟
佐那城 悟
残念、全部ウソだよ。
やられたフリ……ああ、上嶋くんには言ってなかったかな? 僕は詐欺師だって
もう一度、指を弾く乾いた音が響く。


すると一斉に黒い人影が私の方に向かってきた。


何人かの黒いコートが私に襲いかかってきたが、呆然とした私は先輩の前から動けない。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉っ!!
上嶋くんが横から飛び込むように私の体を抱き、黒コートたちの攻撃を避ける。
床に体を叩きつけながらも、上嶋くんは私をしっかりと抱きしめていた。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉っ……くっ。大丈夫だ
涙と血に塗れた私を、 上嶋くんは強くその確かな体温を持って包み込んでくれる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
三好、先輩が。上嶋く、ん……
引きつった喉からはひゅうひゅうという掠れた音が出て、うまく喋れない。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
大丈夫、ここに来る前にちゃんと助けも呼んでる
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
皐月さんが来れば、三好の治療だって間に合うかもしれない
落ち着かせるように、上嶋くんは私の背中を撫で続ける。

また出てきそうな涙をこらえて、私は顔を上げた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……! 上嶋くん、肩がっ
白いワイシャツは切り裂かれ、肩には赤い切り傷があった。血液が白い布地を汚して、大きな染みができている。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
かすり傷だ。大したことない
平静さを装ってはいるけど、上嶋くんの顔には汗が浮かんでいて、痛みを耐えているのが分かった。

じりじりと距離を詰めてくる黒い影が、赤い雫の垂れたナイフを持っていた。

武器を隠し持っていたのだ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
そん、な……
頭がくらくらして、お腹の底がぐっと重くなる。


血の赤が、目に焼き付いて離れない。
血、血、血――私の手には三好先輩の赤黒くなった血がこびりついている。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
嫌、上嶋くんまでっ……
いなく、なったら
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
大丈夫だっ。だから、落ち着くんだ。
錯乱した私を上嶋くんは胸に引き寄せて、腕でしっかり抱きしめる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺はいなくなったりしない……ちゃんと、心臓の音が聞こえるだろ



トクン、トクン





上嶋くんの心臓の音が聞こえる。

確かに、ここにいるという鼓動。

好きな人の、優しい胸の響き。



九井原 夕莉
九井原 夕莉
上嶋くん……



上嶋くんの体を抱きしめ返す。


背中、頭、腕、触って彼を確かめる。私自身を取り戻すために。



佐那城 悟
佐那城 悟
最後の逢瀬は終わった?
佐那城先生が私たちを見下ろして笑う。
濃い影の落ちた顔には慈悲など一つも感じなかった。



いつの間にか、武器を持った黒コートたちに取り囲まれている。逃げ道は完全に塞がれていた。
佐那城 悟
佐那城 悟
絶体絶命、助けも希望もないね
佐那城先生は愉快そうに手元のナイフをくるくる回す。
佐那城 悟
佐那城 悟
でも……もし夕莉さんが大人しく降参するなら、上嶋くんだけは助けてあげてもいいよ?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……!
三好先輩のことが何度も脳裏に浮かぶ。

彼だけじゃなく上嶋くんまでーー奪われたら。






大切なものが、

全部なくなってしまったら。







私は上嶋くんから離れて、立ち上がろうとした。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉っ! 行くな!
上嶋くんが私の手を掴み、声を上げる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
だって、このままじゃ上嶋くんも……!
三好先輩のことを引きずって、冷静でいられなかった。




これ以上、大切な人を傷つけたくない。


私一人で、今度こそ大切な人を助けられるならーー



上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
確かに……
助けは間に合わないかもしれない
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
でも、まだ方法はある






上嶋くんは私の手を離し、懐からナイフを取り出す。






上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
ーー俺を、喰べるんだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ーーえ
その言葉の意味を飲み込めないうちに、上嶋くんは自らの手のひらにナイフを刺し込んだ。



じゅわり、と湧き水のように鮮血が吹き出す。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
何、をーー


上嶋くんが血の溜まった手のひらを私の眼前に差し出した。


上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
三好からちゃんと聞いた。ずっとまともに喰べてなかったんだろ
久しぶりの血の匂いに、胃がひっくり返そうになる。


そう、私にとってあまりにも甘すぎて。


ずっと焦がれて、抑えていた欲望が渦巻く。


上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
お前が、少しでも回復したら今の状況を切り抜けられるかもしれない。
誰も犠牲にならないかもしれない
九井原 夕莉
九井原 夕莉
だ、ダメだよ……だって私は
上嶋くんのことが、好きだから。

好きな人の血なんてーー
九井原 夕莉
九井原 夕莉
我慢できなくて、君のことを
ごくりと、唾を飲んだ喉が大きく鳴った。


そうだ、食人鬼の私が「ほんのちょっと」の血で済むはずがない。


飢えた獣同然の私は我を失って上嶋くんを襲い、跡形も残さず彼を喰い尽くすだろう。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉、俺は……
私を真っ直ぐと見据える瞳に揺らぎはなく、墨色をした瞳はどこにも淀みはない。




だけど、彼の手は震えていた。

恐怖か、痛みか、指の間から血が垂れても私に差し出した手を引かなかった。


上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
"食人鬼"のお前を、
"夕莉自身"を信じてる
上嶋くんは手のひらに溜まった血液を口に含み、私の体を引き寄せた。



そして顎を軽く押さえて、そのままーー
















私と、血塗れたキスをした。




















口の中に熱い血が流れ込んできて、舌が火傷しそうなほど痺れた。

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