遠のく意識の中で、私はそう呟いた。
大好きな人が呼ぶ声。
戻ってきてくれたの……?
生温かい人の体温。
上嶋くんに抱かれているんだ。
私は瞼を開けて、彼の優しい顔を見ようとした。
上嶋くんは私に優しく微笑みかけていて。
だけど、その顔には
真っ赤な血がべっとりと滴っていた。
上嶋くんは血に濡れた手で私の顔に触る。
その綺麗な微笑みは憎悪に歪んでいき、口元がゆっくりとうごいた。
ぐにゃり、と視界が赤黒く歪んだ。
叫び声を上げて飛び起きると、私はベッドの上にいた。肩で息をしながら白い布団をぎゅっと掴む。
見覚えのある清潔なベッド。ここは保健室で、私はそこで眠っていたようだった。
夢で良かったと思って気が抜ける。
だけど不安は自分の中でわだかまっていた。
もしも、上嶋くんに食人鬼だってバレたら、
私は……
佐那城先生は死んだ虫のように床に倒れていて、顔に洗面器をかぶっていた。
◆◆◆◆
佐那城先生が温かいタオルを渡してくれた。
倒れた直後の私はまるで氷のように冷たかったらしく先生が温かいタオルで顔を拭いてくれようとしたみたいだった。
彼の真意がますます分からない。敵なのか味方なのかさえも。陽翔くんの正体を暴いて、はやく三好先輩を捜さなきゃいけないのに。
体も心も、もうぼろぼろで気を抜いたら今にでも泣き出しそうだった。
上嶋くんがいてくれなきゃ、結局私は何もできない――
ぽろぽろと涙が溢れ出した。
それを見た佐那城先生は戸惑う。
自分で一生懸命目をこすってもとめどなく溢れてくる。どうしよう止まらない。こんなのじゃダメなのに。
佐那城先生が泣いている私の手を取って、ぴたっと額をくっつけた。
お互いの額が触れ合って、陽だまりのように温かい。
私は彼のいきなりの行動に戸惑ったけど、先生はぎゅっと目を瞑ってそのままにしている。
メガネの向こうのまつげが思ったより長くて、艷やかなウエーブを描いていた。
しばらくそうしていると、先生はぱっと私から離れた。
額に残る人の温もり。
上嶋くんを思い出す。
あの体温がいつだって私の傍にあって、
私はそれを――何に替えても守りたいんだ。
上嶋くんのことはまだトゲのように胸にひっかかっているけど、はにかんでお礼を言う余裕ができた。
先生はごほんと咳き込むと目を逸らす。
勝手にあわあわと慌てふためく佐那城先生。
何か隠し事をしてる?
思わぬ名前が飛び出て私はくいついた。
あとで上嶋くんにどやされる、と先生は慌てていた。
あんなに傷つけても、彼はずっと傍で見守ってくれていたんだ。
なのに、私は弱音を吐いて泣いてばっかりだった。
ぷるるると振動音が響き、佐那城先生は白衣のポケットを探る。
先生は私を気にかけてから焦った様子で保健室を出ていった。
私はベッドを抜け出して、ベランダから脱出を計る。
一応薬を打ってから、そっとベランダに出る。
時刻はもう夕暮れで生徒がまばらに下校し始めていた。
どうしても彼に会う必要がある。三好先輩のことを何か知ってるかもしれない。
門に向かっている途中、体育館の傍を通ると聞き覚えのある声が耳に入った。
佐那城先生の声が体育館裏の方から聞こえて耳を澄ます。誰かと電話しているようだった。
私は陰で様子を伺うことにした。
そして、先生の口からは彼の名前が飛び出してきたのだった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。