第10話

逆さの心臓
1,757
2019/06/03 23:00
???
逃げられない。ーーからは
私と上嶋くんの前に立ち塞がったのは、逆さのハートの仮面を付けた黒コートだった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(三好先輩を拐ってーー食人鬼を殺して人たち……)
私が上嶋くんの前に出ようとすると、彼の腕が遮った。
???
ずっと、見てる
九井原 夕莉
九井原 夕莉
待って!
そう言い残して、黒コートの人物は夕闇に溶けるように消えた。初めから何もいなかったように、存在ごと見失う。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(私のことに気がついてる?)
ぞくりと、蒸し暑い山中で悪寒が走る。


バレたら殺される。


あの死体みたいにーー
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
本当は事務所に着いてから話すつもりだったけど……
上嶋くんはポケットから黒い手帳を取り出した。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……え?
その手帳にはさっき目にしたばかりのーー





逆さハートの紋章が記されていた。

















◆◆◆◆
佐那城 悟
佐那城 悟
上嶋くん、君はどんなことをしたか分かってる?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
ええ……分かってますよ
佐那城 悟
佐那城 悟
いや、事の重要性をちゃんと理解してないよ。一歩間違えたら殺されてたかもしれないんだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……あの
九井原 夕莉
九井原 夕莉
佐那城先生、下敷きのままで大丈夫ですか?
探偵事務所に着いてすぐに、上嶋くんは佐那城先生に怒られてしまった。



崩れた本と倒れた本棚に潰されている先生に。
佐那城 悟
佐那城 悟
…………あ。た、助けて〜!
佐那城先生はいつものふにゃっとした声でぱたぱたと手足を動かした。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
なんで人んちでドジ踏んでるんだこの人……
私たちの手錠は事務所で無事に外せた。

半ば呆れた上嶋くんが佐那城先生を引っ張り出すのを私も手伝う。先生からさっきまでの威厳はすっかりなくなっていた。
佐那城 悟
佐那城 悟
いやあ~助かったよ……一時間くらいこの状態だったから
佐那城 悟
佐那城 悟
コホン……上嶋くんはまた後で注意するとして、夕莉ちゃんはどこまで話を聞いてるのかな?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
えっと……少しだけ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺達はECO。対食人鬼の組織だ
いつの間にか黒いソファに座って足を組んでいる上嶋くんが言った。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……それしか聞いてないです
佐那城 悟
佐那城 悟
……彼、あんな顔してるけど最近入ったばっかりだからね
佐那城先生は苦笑いをしながらも、私に逆さハートの組織について説明してくれた。
佐那城 悟
佐那城 悟
ECO、正式名称は警視庁警備局公安課特別対策室だよ。especial case office の頭文字ってことにしてる
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
実際は especial office of counter ogre の略称でしょう
佐那城 悟
佐那城 悟
まあそうだけど……今僕が説明してるからね
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(……まさか、上嶋くんが対食人鬼組織に入ってたなんて)
さっき説明を受けた時は流石に驚いた。
三好先輩が連れ去られた後、逆さのハートに見覚えがあると上嶋くんが話していたのを覚えている。
彼がECOに入ったのはその後だろうか。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
ECOに加入できる条件は食人鬼との接触だ
佐那城 悟
佐那城 悟
と言ってもあくまで協力要員としてなんだから、調子に乗らないよーに
佐那城先生に釘を刺されて上嶋くんはむっと唇を尖らせる。拗ねてるなあ。
佐那城 悟
佐那城 悟
僕はECOの幹部で、この区域の食人鬼捕獲や討伐の指揮をしてるんだ。つまり上嶋くんの上司でもある
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……妹を殺した犯人を追うために、ECOに入ることを決めたんだ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉、黙っててごめん
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……ううん、びっくりはしたけど
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(逆さハートの組織が、上嶋くんも所属してる対食人鬼組織だったなんて……)


どきどきと、緊張感で鼓動が早くなる。




もし、食人鬼だってこの人達にバレたら。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(じゃあ、三好先輩は……?)
ごくりと唾を飲んで、私は上嶋くんに問う。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ねえ、三好先輩は……
陸下 陽翔
陸下 陽翔
ただいま~っ! 先生、コーヒー買ってきましたよ
明るい声とともに扉が開き、陽翔くんが大量のコーヒーを抱えて入ってきた。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
あれ……夕莉さん?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
陽翔くん……
陽翔くんは顔をぎこちなく歪める。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
なんでここに……
陽翔くんもあの逆さのハートが刻印された手帳を持っていた。


つまり、彼もECOの一員だったのだ。
上嶋くんが戸惑う陽翔くんに事情を説明した。
ECOの事情に私を巻き込みたくなかったが、私も食人鬼に遭遇している以上隠しておけないと。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
……そうなんだ
陽翔くんの様子はあまり芳しいものでなく、彼の瞳に陰りが見えた気がした。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉には、もう危険な目に遭ってほしくない
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
打ち明ければ食人鬼の奴らから堂々とこいつを守れる
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(でも、私は……)
さっきからずっと居心地が悪くて胸の奥に不安がぐるぐると渦巻く。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(上嶋くんに、告白しようと思ったのに)

上嶋くんが私の肩に触れて、私を見つめる。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
残虐な食人鬼なんかに、指一本も触れさせない





誠実な決意の宿る瞳。



その真っ直ぐ視線が、



隠している胸の内を貫くようで、苦しかった。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
俺が、お前を守るから
九井原 夕莉
九井原 夕莉
…………うん、ありがとう






嬉しいはずの言葉が心苦しくもあって――







陸下 陽翔
陸下 陽翔
……守る?
その時、陽翔くんが怪訝そうに呟いた。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
……君に夕莉さんを守れるの?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……何?
いつもの朗らかな陽翔くんとは違う、厳しい口調だった。顔つきも険しくてまるで何か癇に障ったような。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
君、命令を無視したんだってね
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……一人でも多くの食人鬼を捕まえないといけない
陸下 陽翔
陸下 陽翔
甘いよ、君はまだECOに入ったばかりだ。力のない君が誰を守れるの?
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
なんだと……!
きっ、と眉間に皺を寄せた上嶋くんが陽翔くんに詰め寄った。
佐那城 悟
佐那城 悟
ちょ、ちょっと。上嶋くんには言って聞かせるから……
陸下 陽翔
陸下 陽翔
彼は大した戦力になりません
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
っ……俺は!
上嶋くんが胸ぐらを掴もうとした手を、陽翔くんはいとも簡単に止める。
陸下 陽翔
陸下 陽翔
君は弱い、弱いってことは何もできないってことだ
陸下 陽翔
陸下 陽翔
俺たちは、所詮ただの人間なんだ
陽翔くん耐えるように唇を噛む。
そう言って眉間に皺を寄せる彼の顔はどこか辛そうな気がした。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
二人とも、もう止め…………












九井原 夕莉
九井原 夕莉
ーーーーあ
二人の仲裁をしようと、制止の声を上げた瞬間。







体を突き破るような本能に襲われた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(そんな)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(こんな、タイミングで)







ブ     ワ
               リ








一気に衝動が広がって、血液が沸き立つ。









私は咄嗟に口元を押さえて、事務所を飛び出した。
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
夕莉!?
彼の叫ぶ声が聞こえた。





急いで階段を駆け下りる。


その間にもドクドクと音を立てて衝動が襲ってくる。


口の中が唾液で溢れて、全身の肌が逆立つ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(早く、早く早く上嶋くんから離れなきゃ)
彼の体温、白くてなめらかな肌、甘い匂いが何度も思い返される。

早送りの紙芝居みたいに目まぐるしく彼の姿が脳内で再生された。
喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい
喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(だめ、ダメダメダメダメダメ)
事務所の外に出て、暗い路地裏に走り込む。



本能に従いたくなって、意識が朦朧とする。
喰べたい喰べたいダメダメダメダメ喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい食べたいダメ食べたいダメダメダメダメダメ食べたい食べたいダメダメダメ食べたいダメダメダメーー

上嶋くんの顔がぐるぐると頭の中を巡る。
どうしてここにいないの?
誰もいない暗い夜道、私はひとりぼっち。

喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べた喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べ喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたいたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい喰べたい





























九井原 夕莉
九井原 夕莉
路地裏の影から、
九井原 夕莉
九井原 夕莉
うえ、しまく
月光の下、誰か歩いてる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
月光の下、誰か歩いてる。
きっときっと、上嶋くん違いない。














喰べたい。










そう思ったら、体が軽くなって

ブォンっと風を切って、彼に手を伸ばしたーー












九井原 夕莉
九井原 夕莉
……っ!?
伸ばした手を、誰かに掴まれる。

黒い影。

そのままぐるんと、世界が反転する。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
うぐっ……!?
後頭部をそのままコンクリートに強打して、黒い影に抑え込まれる。

ぱちんと、脳がはじけるような感じがして頭に冷静さを取り戻す。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(黒いコート、逆さのハートーーーー)

私は、対食人鬼組織の黒コートに取り押さえられていたーー

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