第16話

明けない夜の明星
1,567
2019/07/16 09:10
さっきまでの暖かなオレンジ色が嘘みたいに飲み込まれて、群青色の波が押し寄せる。



波の音しか聞こえない静寂の中、私は三好先輩の肩に寄りかかってしばらく涙を流していた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(ダメだ、私)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(三好先輩に甘えてばっかりで)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(自分一人で、上嶋くんと向き合わなくちゃいけないのに)
自分で自分が情けなくて、唇を噛む。涙か塩水か分からない、しょっぱい味がした。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
すみません、三好先輩
九井原 夕莉
九井原 夕莉
どうしたらいいのか分からなくなっちゃって……
私は三好先輩から身を引こうとする。
だが、先輩は私の肩に手を回して再び体を引き寄せた。
三好修吾
三好修吾
夕莉……もう、いいんじゃないか
三好修吾
三好修吾
お前がこれ以上無理する必要なんてないだろ
私の肩を掴んでいる手の力がぐっと強くなった。
三好修吾
三好修吾
このまま、逃げたっていいんだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
逃げる……?
鮮明に思い出される、上嶋くんの絶望した表情。

その時にはっきりと生まれた深い溝。
三好修吾
三好修吾
そう、全部忘れて食人鬼として暮らす。きっと君のお姉さんも望んでいるはずだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
皐月ねえも……


そうだ、このまま逃げてしまえば。もう上嶋くんを傷つけることもない。



私はもう自分の責任は果たした。

お互いに傷ついて終わってしまうことになるけど、それは避けられないことで。



これ以上の悲劇を、上嶋くんに与えることになるならいっそのこと。







辺りが徐々に暗くなって、青みががった空が黒に近づく。夜の帳が私達の影を濃くしていった。
三好修吾
三好修吾
俺はお前と同じ食人鬼だ



先輩は私の顎を指先で持ち上げて目線を合わせる。



薄い暗闇の中でも彼の白い肌は目立っていて、瞳の中の光が夜空に一つ輝く星のように見えた。




三好修吾
三好修吾
だから、ずっとお前の味方でいられる


三好先輩の顔が少しずつ近づいてくる、よく通った鼻筋とシャープな頬。


夜闇の中でも、彼はこんなに綺麗な顔をしていてずるいなあと思った。




三好修吾
三好修吾
俺は、君の全てを受け止められる


ほんのりと色づいた唇が近づいてくる。


長いまつ毛が伏せられて、瞬きが蝶みたい。
私はぼうっと見惚れてしまった。









ーーこの苦しみを、このまま全部受け止めてくれたら。










先輩の息が止まって、互いの鼻先が交差する。

ふわりと、甘い花のような香りがした。














『夕焼けを浴びて咲くジャスミンの花、いい名前だ』














大好きな彼の笑顔が、脳裏に浮かんだ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……上嶋くん
その呟きで、先輩は止まった。



震える瞼を開いて、黙ったまま身を引く。

堪えるように、先輩は一瞬だけ唇をぐっと結んだ。




私は肩に置かれた三好先輩の手にそっと触れる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ごめんなさい、先輩




私と違って、先輩の手には体温があった。



彼と同じ温かい血が通っている。





九井原 夕莉
九井原 夕莉
私は、上嶋くんのことが好きだから



海岸沿いの街灯が白い光を灯す。

ポツポツと順番に点いていく光が、浜辺を照らし出した。








フッと、息を抜くように三好先輩は眉をひそめて笑う。
三好修吾
三好修吾
……分かってる




冗談を言うような軽い口調で、三好先輩は言う。




三好修吾
三好修吾
これはちょっとした僕からの慰め。ほんと、夕莉ちゃんは馬鹿だな。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……そうですね
三好先輩の一人称が「僕」になっているけど、本人は気づいているのだろうか。






どんなに辛くても苦しくても、上嶋くんが好きだって気持ちだけは変わらない。








本当に馬鹿だ——でも、それが恋なんだろう。








だからこそ、まだ私が上嶋くんのことが好きなんだと少し安心してしまう。
三好修吾
三好修吾
はあ、あんなヤツのどこがいいんだか


三好先輩は私に触れていた手を離して、伸びをする。


ドキッとした私は、つい反射的に答えてしまった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
えっと……………顔
三好修吾
三好修吾
…………面食いめ
先輩の呆れた視線がじとっと張り付いてきて、私は慌てて弁解する。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
そ、それだけじゃないですよ!? 上嶋くんはとても優しい人で
九井原 夕莉
九井原 夕莉
優しさがどれだけ人を救うのか知ってるから


ある日突然大切な人を奪われた苦しみ、無念、後悔。


その中で失われた妹の優しさを何度思い出したんだろう。自分が妹を慈しんだ気持ちも。





不器用だけど、優しさを惜しまないから。




銃を手にかけた時、彼には強い憎しみや恐怖があったはずだ。


でも、その場の感情に任せて銃を抜かなかった。



それは、私のことを気遣ってくれる心がないと出来ない行為だ。





だから今でも信じたい、彼の優しさを。







三好修吾
三好修吾
……ま、お前に銃を向けなかったのは偉いと思うよ
三好先輩は照れくささを誤魔化すように咳払いをした。
真面目な表情に切り替わって、先輩は慎重に話しだす。
三好修吾
三好修吾
実はお前のお姉さん、皐月さんと少し話をしたんだ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
皐月ねえと?
三好修吾
三好修吾
お前が寝込んでる間にな。俺は半分食人鬼だが——実は人を喰べなくても生きていける
九井原 夕莉
九井原 夕莉
えっ!?
初耳だった。先輩の身体能力からして食人鬼に近い方だと思ってたけど。
三好修吾
三好修吾
もちろん、人を食べれば食人鬼側に体が近づく。でも俺は人間の食事を取ることもできるし体温もある
三好修吾
三好修吾
だから、皐月さんと相談したんだ。俺の血を元に抗体を作れないかって
九井原 夕莉
九井原 夕莉
それがあれば……上嶋くんを襲うこともなくなる?
三好修吾
三好修吾
食人衝動はだいぶ抑えられると思う。ただ、できるのに時間がかかるって……



それがあったら、上嶋くんと一緒にいられる——?


でも、彼が受け入れてくれるかは分からない。







九井原 夕莉
九井原 夕莉
……私、待ちます


私は自分のことを全部告白した。


それからどうするかは上嶋くんが決めることだ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
それから、今自分にできることをする
私は三好先輩の手を握って、彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
本当にありがとう。三好先輩

先が見えない闇に包まれた、明けないように見える夜でもいつかは朝が来る。





夜が明ける前に輝く明星のような希望があれば、きっとこの夜を凌ぐことができるはずだ。











三好先輩は最初肩を強張らせて固まってたけど、すぐに余裕のある微笑みに切り替えた。

私が掴んでいる手をそのまま自分の方に引き寄せて、私の腰を抱く。


三好修吾
三好修吾
じゃあ、お礼してもらおうかな。報酬は君自身で



端整な顔が私を覗き込んで艶やかに笑う。







私の輪郭を指先で撫で上げて、そのまま唇をなぞった——けど。

九井原 夕莉
九井原 夕莉
嫌です。がぶっ
三好修吾
三好修吾
痛ーーーーーー!!
甘噛のつもりだったが、少し強すぎただろうか?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(まあいいか……ちょっと調子乗り過ぎだし。先輩私に触りすぎな気がするし)
三好修吾
三好修吾
冗談にマジで返すなって言ってるだろ!?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
冗談って分かってますよ
三好修吾
三好修吾
なおさらタチ悪いわ!
ぷんぷんと怒る先輩に、私はやっと気が抜けて緊張していた頬が緩んだのだった。









































◆◆◆◆
佐那城 悟
佐那城 悟
そうか、君も辛かっただろう……
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
…………………はい
佐那城 悟
佐那城 悟
別のことで気を紛らわして、忘れてしまうのが良い方法だよ。
佐那城 悟
佐那城 悟
苦しみと向き合えば向き合うほど、苦しくなるだけだからね
佐那城 悟
佐那城 悟
君の本来の目的に戻るいいチャンスだと思えばいいさ
上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
……そういえば、本当に見つかったんですか?
佐那城 悟
佐那城 悟
うん、調査の結果がこの前上がってきたんだ
佐那城 悟
佐那城 悟
——君の、妹を殺した犯人が分かった

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