さっきまでの暖かなオレンジ色が嘘みたいに飲み込まれて、群青色の波が押し寄せる。
波の音しか聞こえない静寂の中、私は三好先輩の肩に寄りかかってしばらく涙を流していた。
自分で自分が情けなくて、唇を噛む。涙か塩水か分からない、しょっぱい味がした。
私は三好先輩から身を引こうとする。
だが、先輩は私の肩に手を回して再び体を引き寄せた。
私の肩を掴んでいる手の力がぐっと強くなった。
鮮明に思い出される、上嶋くんの絶望した表情。
その時にはっきりと生まれた深い溝。
そうだ、このまま逃げてしまえば。もう上嶋くんを傷つけることもない。
私はもう自分の責任は果たした。
お互いに傷ついて終わってしまうことになるけど、それは避けられないことで。
これ以上の悲劇を、上嶋くんに与えることになるならいっそのこと。
辺りが徐々に暗くなって、青みががった空が黒に近づく。夜の帳が私達の影を濃くしていった。
先輩は私の顎を指先で持ち上げて目線を合わせる。
薄い暗闇の中でも彼の白い肌は目立っていて、瞳の中の光が夜空に一つ輝く星のように見えた。
三好先輩の顔が少しずつ近づいてくる、よく通った鼻筋とシャープな頬。
夜闇の中でも、彼はこんなに綺麗な顔をしていてずるいなあと思った。
ほんのりと色づいた唇が近づいてくる。
長いまつ毛が伏せられて、瞬きが蝶みたい。
私はぼうっと見惚れてしまった。
ーーこの苦しみを、このまま全部受け止めてくれたら。
先輩の息が止まって、互いの鼻先が交差する。
ふわりと、甘い花のような香りがした。
『夕焼けを浴びて咲くジャスミンの花、いい名前だ』
大好きな彼の笑顔が、脳裏に浮かんだ。
その呟きで、先輩は止まった。
震える瞼を開いて、黙ったまま身を引く。
堪えるように、先輩は一瞬だけ唇をぐっと結んだ。
私は肩に置かれた三好先輩の手にそっと触れる。
私と違って、先輩の手には体温があった。
彼と同じ温かい血が通っている。
海岸沿いの街灯が白い光を灯す。
ポツポツと順番に点いていく光が、浜辺を照らし出した。
フッと、息を抜くように三好先輩は眉をひそめて笑う。
冗談を言うような軽い口調で、三好先輩は言う。
三好先輩の一人称が「僕」になっているけど、本人は気づいているのだろうか。
どんなに辛くても苦しくても、上嶋くんが好きだって気持ちだけは変わらない。
本当に馬鹿だ——でも、それが恋なんだろう。
だからこそ、まだ私が上嶋くんのことが好きなんだと少し安心してしまう。
三好先輩は私に触れていた手を離して、伸びをする。
ドキッとした私は、つい反射的に答えてしまった。
先輩の呆れた視線がじとっと張り付いてきて、私は慌てて弁解する。
ある日突然大切な人を奪われた苦しみ、無念、後悔。
その中で失われた妹の優しさを何度思い出したんだろう。自分が妹を慈しんだ気持ちも。
不器用だけど、優しさを惜しまないから。
銃を手にかけた時、彼には強い憎しみや恐怖があったはずだ。
でも、その場の感情に任せて銃を抜かなかった。
それは、私のことを気遣ってくれる心がないと出来ない行為だ。
だから今でも信じたい、彼の優しさを。
三好先輩は照れくささを誤魔化すように咳払いをした。
真面目な表情に切り替わって、先輩は慎重に話しだす。
初耳だった。先輩の身体能力からして食人鬼に近い方だと思ってたけど。
それがあったら、上嶋くんと一緒にいられる——?
でも、彼が受け入れてくれるかは分からない。
私は自分のことを全部告白した。
それからどうするかは上嶋くんが決めることだ。
私は三好先輩の手を握って、彼の瞳を真っ直ぐ見つめた。
先が見えない闇に包まれた、明けないように見える夜でもいつかは朝が来る。
夜が明ける前に輝く明星のような希望があれば、きっとこの夜を凌ぐことができるはずだ。
三好先輩は最初肩を強張らせて固まってたけど、すぐに余裕のある微笑みに切り替えた。
私が掴んでいる手をそのまま自分の方に引き寄せて、私の腰を抱く。
端整な顔が私を覗き込んで艶やかに笑う。
私の輪郭を指先で撫で上げて、そのまま唇をなぞった——けど。
甘噛のつもりだったが、少し強すぎただろうか?
ぷんぷんと怒る先輩に、私はやっと気が抜けて緊張していた頬が緩んだのだった。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!