シャツが汗ばむ気温の中、一人通学路を歩く。
食人鬼は体温が低いけど、暑いものは暑い。
条件付きにして皐月ねえにはなんとか学校に行く許可をもらった。
きゅっと、胸が締め付けられる。
でも、皐月ねえと約束したことだ。
一つは食人衝動を抑える薬を毎日欠かさないこと。
強い日差しで向こうのアスファルトがゆらゆらと歪んで見えた。熱膨張みたいに不安が広がっていく。
ぶるると、ポケットの携帯が振動した。画面を見ると美空からのメッセージが映る。
ほっと、息が抜けてぐらぐらしてた気持ちが少し落ち着く。
パンパンと、頬を軽く叩いて気合いを入れる。
その時、後ろの方から僅かな気配を感じた。
一定の距離を保ったまま、ついてくるようなーーーー
とっさにばっと振り返る。
しかし、後ろには通学路の町並みが続いているだけで何も怪しいものはなかった。
僅かだけど見られてる気がしたのに――
疑念を抱きつつも、私は学校に向かって歩き出した。
◆◆◆◆
周りを気にしながら下駄箱でローファーをそそくさと脱ぐ。
それらしき影がなくて、安心すると同時に少し寂しい気持ちになる。
スクールバックをそっと撫でて、息を吐く。この中には上嶋くんからもらったぬいぐるみが入っている。
何人もの女子生徒が集まって、廊下の一隅に人だかりができていた。
特待生で、眉目秀麗の生徒会長――能美川明梨。
長い艷やかな黒髪は編み込むようにまとめあげられており、優しげな目元が白い貝殻みたいになめらかな弧を描いていた。
特に女子生徒から人望の厚い彼女は、学校の女神のような存在だ。
能美川さんは聖母のような微笑みを浮かべると、女子生徒たちはうっとりとした表情になる。
人望が厚くて、美人で、何でもできて。
私とは別世界の人間だ――
私は、人間でさえないけど。
駆けてきた女子生徒に押されて、転倒した――
受け身を取れないまま、地面が近づいてきて――
ぽすっと、誰かに受け止められてその胸板に顔が埋まる。
大きくてがっしりした手のひらが私を抱えていた。
背が高くて、かたい、大きな体に包まれてる――
私はゆっくりと顔をあげた――
私を受け止めてくれたのは――
顔をマスクとサングラスで覆った不審者(?)だった。
心優しい不審者(?)の人は颯爽と去っていく。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴り響いて、生徒たちが慌てて教室に向かっていく。
私はその逆方向、保健室に向かって急ぐのだった。
◆◆◆
こんこんと、ドアをノックしてから保健室に入った。
清潔に整えられている白いベッドやカーテンが眩しい。
だけど保健医の先生はいなかった。
奥にはカーテンが取り付けられていないベッドがあり、私はそこに座って先生を待つことにした。
上履きを脱いで、ぶらぶらと足を放り出す。
なるべく上嶋くんに接触しないようにと、皐月ねえが出した条件だ。
そのまま後ろに倒れて、白いベッドにぼふりと体を預ける。
静かすぎて、外の蝉が鳴いてる声が聞こえる。私一人だけ時間の流れが止まったみたいだ。
広げた腕の先に、プラスチックのフックのようなものが転がっていた。
突然、足首を掴まれて私は悲鳴を上げた。
ベッドの下から這い出た腕が、私の足を引っ張っていた。
ずず、ず、とゆっくりとベッド下から白い塊のようなものが出てくるのが見える。
一体、何なの――?
私は恐怖のあまり、力いっぱい白い物体を蹴り飛ばした。
何回か蹴ると、すぐに手を離しもだえるようにぷるぷると震えて動かなくなった。
よく見ると白いカーテンに人がくるまっており、私は布をそっとめくってみた。
おばけのような白い塊の正体は、保健医の佐那城先生だった。
カーテンを解くのを手伝ってあげて、ようやく先生とまともに対面した。
だぼっとした白衣に、くるりと寝癖がついた髪の毛。子犬のようなタレ目だがシャープな黒縁のメガネをかけているおかげでかろうじて大人の男性に見える。
どうやら、カーテンをつける作業中ベッドから転落して巻き込まれてしまったらしい。
転がって解こうとしたら、さらにぐるぐると簀巻きのようになったようで……。
佐那城先生は助けてくれたお礼にと、レモン牛乳を買ってくれた。
それをプラスチックのコップに注いで、いくつか氷を入れてくれる。
一口飲むと、乾いていた喉が潤う。上唇に氷があたって冷たい。
佐那城先生は麦茶のパックをコップに沈めて、柔和に微笑む。
先生の言葉に、胸がじわりと温かくなる。
皐月ねえとの約束だからここに来たけど、実際一人で辛い気持ちだった。
嫌な緊張がほぐれてくのを感じる。
と言って先生は窓際の小さな本棚を指さした。
本棚に並べられているのは黒い背表紙のホラー文庫。
「☆夏はやっぱりホラーで刺激的読書☆」とポップが飾られていた。
佐那城先生は麦茶に袋から氷を入れながらのんきに言う。
袋から氷を出しすぎて麦茶を溢れ返らせている先生を横目に、私は静かにため息をついた。
ガラッ
ノックもなく、保健室の扉がいきなり開かれる。
ばっと目を移した視線の先には――
能美川さんを抱き寄せるように支えて、上嶋くんが立っていた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。