第2話

氷のように浮かぶ不安
3,109
2019/04/08 01:52
シャツが汗ばむ気温の中、一人通学路を歩く。
食人鬼は体温が低いけど、暑いものは暑い。
条件付きにして皐月ねえにはなんとか学校に行く許可をもらった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(……なるべく上嶋くんとの接触を避けないと)
きゅっと、胸が締め付けられる。

でも、皐月ねえと約束したことだ。
一つは食人衝動を抑える薬を毎日欠かさないこと。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(みんなを守りたいって思っても、危険なのは私の方なんじゃ)
強い日差しで向こうのアスファルトがゆらゆらと歪んで見えた。熱膨張みたいに不安が広がっていく。
ぶるると、ポケットの携帯が振動した。画面を見ると美空からのメッセージが映る。
杉本 美空
杉本 美空
「夕莉がいないの寂しいな(><) 昼休みはそっちに行っていい?」
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(美空……)
ほっと、息が抜けてぐらぐらしてた気持ちが少し落ち着く。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(……私がみんなを守るんだ。それから、三好先輩のことも)
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……よしっ
パンパンと、頬を軽く叩いて気合いを入れる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(私が頑張らなきゃ――)







その時、後ろの方から僅かな気配を感じた。
一定の距離を保ったまま、ついてくるようなーーーー
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(……誰?)
とっさにばっと振り返る。


しかし、後ろには通学路の町並みが続いているだけで何も怪しいものはなかった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(…………気のせい、かな)
僅かだけど見られてる気がしたのに――
疑念を抱きつつも、私は学校に向かって歩き出した。

















???
………………


















◆◆◆◆
周りを気にしながら下駄箱でローファーをそそくさと脱ぐ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(時間はずらしたから、上嶋くんには会わないはず……)
それらしき影がなくて、安心すると同時に少し寂しい気持ちになる。


スクールバックをそっと撫でて、息を吐く。この中には上嶋くんからもらったぬいぐるみが入っている。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(大丈夫……一人でも)
女子生徒A
能美川先輩!
女子生徒B
もうお体は大丈夫なんですか?
何人もの女子生徒が集まって、廊下の一隅に人だかりができていた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あれは……生徒会長の能美川明梨?
特待生で、眉目秀麗の生徒会長――能美川明梨。
能美川 明梨
能美川 明梨
皆さん、ご心配かけてすみません
長い艷やかな黒髪は編み込むようにまとめあげられており、優しげな目元が白い貝殻みたいになめらかな弧を描いていた。
特に女子生徒から人望の厚い彼女は、学校の女神のような存在だ。
女子生徒A
能美川先輩! 最近イケメンの転校生が来たんです。ご存知ですか?
女子生徒B
先輩がそんな話題で盛り上がると思う? そんなことより……
女子生徒C
ちょっと! 同時に喋ったら能美川さんも困りますよ!
能美川 明梨
能美川 明梨
ふふ、皆さんありがとう。同時に喋られても一人ひとりちゃんと聞いていますよ
能美川さんは聖母のような微笑みを浮かべると、女子生徒たちはうっとりとした表情になる。
女子生徒たち
「「「「能美川さん……」」」」
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(すごいなあ……)
人望が厚くて、美人で、何でもできて。


私とは別世界の人間だ――

私は、人間でさえないけど。
女子生徒
能美川さんっ!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
きゃっ!
駆けてきた女子生徒に押されて、転倒した――
受け身を取れないまま、地面が近づいてきて――
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(ーーやば)
ぽすっと、誰かに受け止められてその胸板に顔が埋まる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
え……
大きくてがっしりした手のひらが私を抱えていた。












九井原 夕莉
九井原 夕莉
上嶋、くん――?
背が高くて、かたい、大きな体に包まれてる――










???
大丈夫?
私はゆっくりと顔をあげた――
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(――上嶋くん、じゃない)
私を受け止めてくれたのは――
顔をマスクとサングラスで覆った不審者(?)だった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
だ、誰!?
???
ごめん! 俺ちょっと急ぐからそれじゃ!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あの、ちょっと!
心優しい不審者(?)の人は颯爽と去っていく。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(うちの生徒だろうけど、なんであんな執拗に顔を隠して……?)
キーンコーンカーンコーン。






チャイムが鳴り響いて、生徒たちが慌てて教室に向かっていく。

私はその逆方向、保健室に向かって急ぐのだった。




















◆◆◆
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……失礼します
こんこんと、ドアをノックしてから保健室に入った。
清潔に整えられている白いベッドやカーテンが眩しい。


だけど保健医の先生はいなかった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(留守……なのかな?)
奥にはカーテンが取り付けられていないベッドがあり、私はそこに座って先生を待つことにした。

上履きを脱いで、ぶらぶらと足を放り出す。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(もう一つの条件は、保健室登校)
なるべく上嶋くんに接触しないようにと、皐月ねえが出した条件だ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(わかってるはずなのに……)
そのまま後ろに倒れて、白いベッドにぼふりと体を預ける。

静かすぎて、外の蝉が鳴いてる声が聞こえる。私一人だけ時間の流れが止まったみたいだ。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(ん……なんかある)
広げた腕の先に、プラスチックのフックのようなものが転がっていた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
きゃっ!?
突然、足首を掴まれて私は悲鳴を上げた。

ベッドの下から這い出た腕が、私の足を引っ張っていた。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
やっ……いやっ!

ずず、ず、とゆっくりとベッド下から白い塊のようなものが出てくるのが見える。


一体、何なの――?
???
つ、つかまえた
九井原 夕莉
九井原 夕莉
いやぁっ!!
私は恐怖のあまり、力いっぱい白い物体を蹴り飛ばした。
???
ふぐっ、ふごっ!?
何回か蹴ると、すぐに手を離しもだえるようにぷるぷると震えて動かなくなった。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
あ、あれ? 意外と弱い……?
よく見ると白いカーテンに人がくるまっており、私は布をそっとめくってみた。
佐那城 悟
佐那城 悟
うう~……た、助けて……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
佐那城先生!?
おばけのような白い塊の正体は、保健医の佐那城先生だった。

















カーテンを解くのを手伝ってあげて、ようやく先生とまともに対面した。


だぼっとした白衣に、くるりと寝癖がついた髪の毛。子犬のようなタレ目だがシャープな黒縁のメガネをかけているおかげでかろうじて大人の男性に見える。


どうやら、カーテンをつける作業中ベッドから転落して巻き込まれてしまったらしい。
転がって解こうとしたら、さらにぐるぐると簀巻きのようになったようで……。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(ある意味奇跡的なドジ……)
佐那城 悟
佐那城 悟
いやあ……驚かせちゃってごめんね
九井原 夕莉
九井原 夕莉
いえ、こっちも姉秘伝の蹴りをお見舞いしてしまったので……
佐那城先生は助けてくれたお礼にと、レモン牛乳を買ってくれた。

それをプラスチックのコップに注いで、いくつか氷を入れてくれる。
佐那城 悟
佐那城 悟
牛乳には心が安らぐ効果があるんだ。それから美肌にもいいんだよ
九井原 夕莉
九井原 夕莉
へえ……
一口飲むと、乾いていた喉が潤う。上唇に氷があたって冷たい。
佐那城 悟
佐那城 悟
話は聞いてるから、心配しないで。ここではゆっくりしてくれて構わないから
佐那城先生は麦茶のパックをコップに沈めて、柔和に微笑む。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……何も聞かないんですか?
佐那城 悟
佐那城 悟
ん?  どうして?
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……夏休み前にいきなり保健室登校って、結構問題児なんじゃないかって
佐那城 悟
佐那城 悟
まさか、誰だって色んなことにくじけちゃうことはあるよ
佐那城 悟
佐那城 悟
一人で抱え込みすぎたり、頑張り過ぎたり……そういうことって他人からは見えないから、甘えてるなんて心許ないことを言われるかもしれない
佐那城 悟
佐那城 悟
でも、休んでいいんだよ。君はそれだけ頑張ったってことなんだからね
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……先生
先生の言葉に、胸がじわりと温かくなる。


皐月ねえとの約束だからここに来たけど、実際一人で辛い気持ちだった。

嫌な緊張がほぐれてくのを感じる。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
……ありがとうございます
佐那城 悟
佐那城 悟
ね、だから最初は本でも読んでゆっくり過ごしなよ。授業中ならほとんど人も来ないし
と言って先生は窓際の小さな本棚を指さした。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
そうですね……って、この本は
本棚に並べられているのは黒い背表紙のホラー文庫。


「☆夏はやっぱりホラーで刺激的読書☆」とポップが飾られていた。
佐那城 悟
佐那城 悟
夏といえば、やっぱりホラーが読みたいよね!
佐那城先生は麦茶に袋から氷を入れながらのんきに言う。
九井原 夕莉
九井原 夕莉
だからって一面ホラーにしなくても!?
佐那城 悟
佐那城 悟
みんなに楽しんでもらいたいからね! ほらこのポップとか可愛いでしょ?  頑張って血痕とか再現したんだ〜!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
え、えっと……
九井原 夕莉
九井原 夕莉
ていうか先生、麦茶こぼれてますよ!
佐那城 悟
佐那城 悟
ってうわわわ!!
九井原 夕莉
九井原 夕莉
(はあ……休まる気がしないかも)
袋から氷を出しすぎて麦茶を溢れ返らせている先生を横目に、私は静かにため息をついた。




ガラッ







ノックもなく、保健室の扉がいきなり開かれる。
ばっと目を移した視線の先には――






上嶋 幸寛
上嶋 幸寛
急患です。佐那城先生
能美川 明梨
能美川 明梨
う……
能美川さんを抱き寄せるように支えて、上嶋くんが立っていた。

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