美代の首がすわった頃、あかねは、わたしと美代を連れて街一番の学者先生を訪ねました。
学者先生は糸のような細い目に長く髭をのばし、いまにも死にそうな見目の老爺でしたが、知識欲に溢れたあかねの質問に次々答える聡い方でした。
わたしは、あかねと学者先生の数ヶ月に渡る問答のお陰で、ただのローレライには有り得ないほど多くの知識と教養を得ました。
「先生、ローレライについて教えてください」
哲学や生命倫理に関する幾つかの問答の後、あかねはこう尋ねました。
学者先生は鼻を鳴らし、傾いた書棚から古い本を取り出すと、重々しい口振りでノルウェイの民話を語り始めました。
ローレライの伝説を収録した、ノルウェイの民話。
それはわたしにとって、衝撃的なものでした。
正真正銘ローレライであるというわたしのプライド、なけなしの自尊心、胸に秘めていた誇り、それらすべてが吹き飛んでしまうような。
ほんとうのローレライは、歌をうたうのだそうです。
それで漁師の舟を転覆させる、人間の敵、おそろしい怪異なのだそうです。
……わたしは、歌もうたえず声も出せないわたしは、ほんとうにローレライなのでしょうか。
これまで、どんなことでも教えられる前にできていました。卵の殻の破りかた、呼吸のしかた、泳ぎ方、食べ方、何もかも。
でも、歌のうたいかたは知り得ませんでした。
それを知る前に捕まってしまって、だからうたえないのです。
ひとの真似をして喉を震わせても、気泡がこぽりと浮かび上がるだけ。そもそも自分が鰓と肺、どちらで呼吸しているのかさえ知らないことを知りました。
わたしは、何も知らなかったことを知りました。
学者先生のように言えば、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの「無知の知」でした。
わたしはたぶん、所属が曖昧なまま生まれました。
曖昧なまま、同じ卵の一団として産まれた姉妹たちの輪から、弾かれてしまったのでしょう。
そうして極東のへんな島国で、恋をして、窮屈な金魚鉢に押し込められ、おおきく育つことも出来ず、人間にもローレライにもなれず、また不毛な恋をして、次代に遺伝子を残すことすら叶わぬ密室--。
できそこないの、ローレライ。
衝撃は疎外感になり、次にぶつけようのない苛立ちの形をとりました。
本に飽きたあかねが美代と遊んでいるのが、光の加減で屈折して見えました。
わたしの絶望と裏腹に、腹が立つほど楽しそうでした。
同じ種族同士で争う、おろかな下等生物、人間。一瞬かれらをひどく憎く思いました。
「自死を選択できるのは人間だけである」と聞いたことがあります。
それなら、死のうと思ったわたしは、人間と言えましょうか?
--死ぬのをやめたのは、二人が、にんげんが、怪異であるわたしを認めてくれたから。
ね、貴方もそうでしょ、シュウト。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!