随分部屋のベッドに寝転んでいたのだろうか。明るかった空はすっかり闇で包まれていて、電気がなければ薄暗いくらい。夕方だろう。何やらまだ何か言いたそうな萩花さんを置いて走って帰ってきてから、数時間はたっているのにまだ胸が苦しかった。
――――――見たくなかった。
あんなに優しい壱馬を。抱きしめる姿から、感じる深い愛を――――――。
たしかに壱馬は大切な存在だった。
だけどいつの間にか、こんなにも好きになっているなんて。
やめて、起こさないで。
まだ眠いの。
だってあたし、悲しいの。
悲しいから起きたくな…
パッチリ目が開いた。確実に壱馬の声。驚きの割に起き上がるのはスローでしか無理で、起き上がっても壱馬の姿はない。
あたしが見た玄関の方向とは反対の窓にもたれかかって壱馬はいた。ベッドから遠い壁に近づいて。
まるであたしから離れたいみたいに。
呆れたようにため息をついた壱馬は灰色じゃなかった。ズボンはいつも通りの灰色だけど、上着を着てなかった。
聞こうと体制を変えたら、なにか足元にかかっているのに気づく。
思わず見つめたらうざそうに返された。
壱馬の灰色の上着が綺麗にあたしにかけられていた。途端にキュンって胸が苦しくなる。
だけど
からかうように笑う壱馬を、これ以上好きになりたくない。
あたしがそう言うと壱馬はすぐに立ち上がった。驚いて見上げていると、何やってんだって顔をする。
腕を掴んで立たされて、壱馬はズカズカとマンションを出て行く。
あたしはちょっと迷ったけど、お母様とレイちゃんに会いたかったから行った。
豪華な和食が並ぶ食卓を囲みながら、レイちゃんと話す。
壱馬は黙々とご飯を頬張っている。
分かった、と笑うとレイちゃんは早く遊びたいのかご飯を食べるスピードを早くした。
壱馬はそう言って、レイちゃんの口元に手を伸ばす。どうやらご飯粒がついていたらしい。
しばらくしてみんなご飯を食べ終えてレイちゃんと塗り絵をしている頃、ガチャッと玄関のドアが開く。
壱馬が帰ってきた時は嬉しそうに出迎えたレイちゃんだったのに、ユウくんの時は違うようだった。
ただいまも言わず壱馬のことだったのでお母様が呆れたように言う。
ソファに寝転がってあたしたちの塗り絵を見ていた壱馬は起き上がることなく言う。
────────…今日
今日は、乃々華さんが退院した日。
壱馬は答えたくなさそうだった。と言うよりあたしに聞かれたくなさそうだった。
急にあたしに話をふったので驚いた。
ユウくんの方を向いてコクリと頷く。
ふぅんとつぶやいてから、意味深にあたしをジロジロと見る。
あ、もしかしてユウくんも付き合ってるの本当だと思ってる?
それを確認するために首を傾げて壱馬を見たら、壱馬は小さく頷いた。
……やっぱり。すると、急にレイちゃんが立ち上がった。
レイちゃんとユウくんの兄妹喧嘩にハラハラしてたら、黙っていた壱馬が一言冷たく言い放つ。やめろ、という訳でもなく、怒鳴ったわけでもないのに、泣き出すレイちゃんを前に、ユウくんはなにもいわなくなった。
泣きじゃくるレイちゃんの頭にポンと壱馬が手を置いた。途端、ますます泣き出したレイちゃんは、壱馬に抱きついた。
泣いてるのか、文句を言ってるのかまぜこぜになったレイちゃんの主張を、壱馬は時々相づちを打ちながら聞いてあげていた。
レイちゃんは、やっと泣き止んだと思ったら、壱馬の膝の上で眠ってしまった。
あたしは、あたしのために怒ってくれたのが嬉しくて眠ったレイちゃんにありがとうと言った。
――――――ドキッ
壱馬はさらっとかわしてあたしに行くぞって合図をする。
お母様にお礼を言って、ついて行くあたしだけど、例えるなら心ここに在らず。バイクも怖くなかった、というか覚えていない。どう言って別れたか、よく覚えていない。とりあえず、気がついたらもうベッドに転がっていた。
あたしにはあんなダメだって言ったのに。
雪さんは良かったんだ? あたしは駄目なの?
救われたと思ってた。ずっと壱馬はそばに居てくれるって言った。
だけどそれは乃々華さんの代わり────────。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。