第8話

第八話
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2026/06/09 09:00 更新
柏木 陽太
柏木 陽太
ごめん、ばあちゃん。こんな時間ギリギリに
祖母
いいのよぉ。
むしろ来てくれて嬉しいわ
夕焼けの赤が窓から差し込む病室で、ばあちゃんは柔らかく微笑む。
俺は空の話を最後まで聞くことが出来ず、面会時間ギリギリの病院に滑り込んだ。
脳の処理が追い付かなくて、逃げるようにしてきたのがここだった。
祖母
ご飯は食べてる?
柏木 陽太
柏木 陽太
うん、食べてるよ
祖母
そう。陽ちゃんは好き嫌いが激しいからねぇ。
そんな陽ちゃんがご飯を食べてくれた日はね、
とっても嬉しかったのよ
柏木 陽太
柏木 陽太
いつもありがとね
祖母
あ、そうだ。
今日はから揚げを作らなくちゃね。
まだ片栗粉はあったかしら
祖母
陽ちゃんに聞かなくちゃ
柏木 陽太
柏木 陽太
ばあちゃん?
ばあちゃんが同じ話を何度も繰り返すのは、いつものことだ。
だけど今日は、少し様子がおかしかった。まるで入院していることを忘れているかのような口ぶり。
そして、ここに俺がいるのにまるでいないみたいに話す。
祖母
ねぇ、ちょっと聞いてくれる?
柏木 陽太
柏木 陽太
……うん、どうしたの?
祖母
うちの孫たちのこと
柏木 陽太
柏木 陽太
え?
祖母
孫がね、二人いるの。
とても年が離れているんだけど、可愛い二人
祖母
娘夫婦が事故で亡くなって、
弟の陽ちゃんはうちに来てくれることになったのよ
柏木 陽太
柏木 陽太
……そうだね
祖母
でもね、お兄ちゃんの空ちゃんは、
迷惑かけられないって、来てくれなかったの
柏木 陽太
柏木 陽太
(迷惑かけられない?)
祖母
そりゃね、孫二人育てるってなったらお金もかかるわ。
でもね、そんなの子供が気にすることないじゃない。
何回も言ったのに、自分は働くから弟を、って
聞いてくれなくて
祖母
弟にたくさん食べさせてあげて欲しい、の一点張りで、
住み込みで働ける場所を決めて行っちゃったの
柏木 陽太
柏木 陽太
(……知らなかった)
祖母
“娘たちが残した家に住んだらどう?”って
私が言ったこともあったの
祖母
家賃もかからないし、あの子一人で暮らすなら
十分くらい広いし。でもね、
住み込みで働けるところを見つけたって言って……
祖母
それから少しして、
“いつか弟と暮らせるようにしたい”って言い出して……
コツコツ貯めたお金でお家をリフォームして、
シェアハウスにするって
祖母
そしてね、自分のことは弟に言わないでって。
気を遣わせちゃうから、って連絡取ってることも
内緒にしてほしいって言うのよ
祖母
弟想いなお兄ちゃんでしょう?
両親を亡くしたときにはもう、18歳だったからかしら。
しっかりした子だけど、でもあの子だってまだ子供だったのよ。
弟のために早く大人にならなきゃって思ったのかしらね
祖母
でも、寂しくて仕方ないみたいで、
何度も弟のことを聞いてくるのよ。
だからね、写真を送ってあげたの。
そしたら本当に嬉しかったみたいで
祖母
早く一緒に住みたいから頑張るって、
電話でそう言ってたわ
祖母
だからね、二人とも幸せになってもらいたいの


柏木 空
柏木 空
『僕は陽太と一緒にいたいから』


ばあちゃんの言葉で、空の言っていたことを思い出す。
あれは、空が密かに抱いていた思い。
あの人は、そのために十年の間、ずっと一人で。
祖母
二人が一緒に暮らせるようになったら、
またかわいらしい笑顔が見れるかもしれないわぁ
祖母
弟の陽ちゃんもね、
寂しいって顔をしなくなるかもしれないわね
そっと自分の顔を撫でる。
べつに、自覚していない訳じゃなかった。だけど、そうか。
柏木 陽太
柏木 陽太
(寂しかったんだ、俺は)
両親がいなくなって、兄もいなくて。捨てられたと思っていた。薄情者だって、恨んできた。それは、寂しかったから。





夕日も沈み、街灯の明かりが足もとを照らしている。
車が通るたび、影が揺れて伸びる。そのたびに、ばあちゃんの言葉が頭の中で繰り返された。
柏木 陽太
柏木 陽太
(……早乙女さんの話も、ばあちゃんの話も、
空の話も、聞いたのにわかんないや)
空が本当は俺のことを思っていたことは分かった。
なんで、空が一緒にばあちゃんちに引き取られなかったかも分かった。
でも、じゃあなんで。なんで、俺があの家に行ってから一度も──……。


柏木 陽太
柏木 陽太
(目を合わせてくれないんだろう)


柏木 空
柏木 空
陽太!!


名前を呼ばれて顔を上げる。
夕闇の中、こちらへ向かって走ってくる空の姿があった。
息を切らし、額には汗がにじんでいる。
柏木 空
柏木 空
よかった、本当に、
大丈夫? 怪我とかない?
柏木 空
柏木 空
飛び出していったって、結月から聞いて
柏木 陽太
柏木 陽太
(あれ……?)
柏木 空
柏木 空
全然帰ってこないから、心配で
柏木 陽太
柏木 陽太
(……違う)
柏木 空
柏木 空
何かあった?
柏木 陽太
柏木 陽太
(一回だけ、目が合った)
ばあちゃんの様子がおかしかった日。
何度も同じ話を繰り返すようになったあの日。
柏木 空
柏木 空
『……なんかあった?』
病院から帰って来た俺を、空はまっすぐ見つめていた。
柏木 陽太
柏木 陽太
……ははっ、なんだぁ
湧き出てくる笑いを、止めることができなかった。
だって、そうじゃないか。空の気持ちなんて分かるはずがない。
何を思っているのか、なんで目を合わせてくれないのか、今どう感じているのか。
分かるわけがない。
柏木 陽太
柏木 陽太
(……空と向き合おうとしなかったのは、俺の方だ)
顔を上げると、不思議そうに首を傾げながらも、心配そうにこちらを見つめる空と目が合った。
こんなにも分かりやすく俺を気にかけてくれているのに、逃げていたのは他でもない俺だった。
柏木 空
柏木 空
陽太?
柏木 陽太
柏木 陽太
ばあちゃん、認知症なの?
空の表情が一瞬歪む。だけど、すぐにいつもの表情へと戻った。
柏木 空
柏木 空
……うん、そうみたい
柏木 陽太
柏木 陽太
そっか。そうだよね。じゃなきゃ、
あんな風に同じ話繰り返したりしないよね
柏木 陽太
柏木 陽太
……隠してたことまで話すなんて、しないよね
柏木 空
柏木 空
隠してたこと?
柏木 陽太
柏木 陽太
うん。空がアホだってこと
柏木 空
柏木 空
…………へっ?
気の抜けた空の声が背中に届く。
そのまま返事をせず、家へと続く道を歩き出した。
後ろから「ちょ、待って!」「どういう意味!?」「なにを聞いたの!?」と慌てた声が飛んでくるけれど、もちろん無視だ。
それでも、不思議と足取りは軽かった。
家に近付いた頃、後ろとは別の賑やかな声が俺の耳に届いた。
早乙女 結月
早乙女 結月
あっ! あーーッ!! 帰って来た!!
宗助さん、ふたりとも帰ってきたよ!!
草場 宗助
草場 宗助
うるさい、聞こえてる。近所迷惑だろ
家の前で待っていた早乙女さんが、こちらを指差し玄関を振り返る。
遅れて出てきた宗助さんは、軽く早乙女さんの頭を小突いた。
柏木 空
柏木 空
中で待っててくれてよかったのに
早乙女 結月
早乙女 結月
そんなこと出来るわけないでしょ!?
あたしたちのせいなのに!
柏木 陽太
柏木 陽太
早乙女さんたちのせい?
柏木 空
柏木 空
……僕と宗助さんの話、聞いたんでしょ?
あれ、結月たちが仕組んだことだったんだって
空の説明に早乙女さんを見ると、落ち込んだ様子で自分の服の裾を掴んでいた。
早乙女 結月
早乙女 結月
だって、そうでもしないと二人が
すれ違ったままだと思ったんだもん
草場 宗助
草場 宗助
悪かったな
早乙女さんの頭に手を乗せた宗助さんも、こちらに謝罪してくる。
俺たちのことを思って、早乙女さんが作戦を立て、宗助さんが協力してくれたらしい。
柏木 陽太
柏木 陽太
……いえ、ありがとうございました
頭を下げられるとは思わなかったみたいで、早乙女さんは目を丸くしている。
柏木 空
柏木 空
ね。ご飯にしようか
その場を締めくくるように、空が手を叩いた。
早乙女さんは泣きそうな顔のまま、背中に手を添えてぐいぐいと家の中に押し込んでくる。
そんなことをしなくても、もう飛び出したりしないのに。

そう言おうとしたその時、リュックの中でスナック菓子が軽い音を立てた。
柏木 陽太
柏木 陽太
あ。そうだ
前を歩いていた空がこちらを振り向く。
リビングからは、美味しそうな匂いが漂っていた。
今日は、筑前煮だったっけ。
柏木 陽太
柏木 陽太
ねぇ空。今度、弁当作ってくれない?
柏木 空
柏木 空
え……?
目を見開いた空は、たっぷりと数秒驚いた後何かをかみしめるように笑って、何度も頷いた。
柏木 空
柏木 空
もちろん……もちろん。
たくさん作るよ
柏木 陽太
柏木 陽太
たくさんはいいや。
俺、早乙女さんほど食べられないし
そう言うと、空がまた嬉しそうに笑った。
その笑みを見て、俺は胸の奥の重たさが、少しだけ軽くなった気がした。

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