桜の花びらが風に舞う中、俺は手元のスマホを見つめながら、重たい足取りで歩いていた。
スマホの地図に示された水色の道が、歩くたびに短くなっていく。
やがて目的地を示す丸印が、俺の現在地と重なる。
顔を上げると、そこには一軒の古民家があった。
築年数を感じさせる木造の家だった。
“古い”というよりは“趣のある”という言葉が似合う。
二階建ての家は、想像していたよりずっと大きかった。
木の外壁は日に焼けて少し色あせているけど、どこか落ち着いた雰囲気がある。
古いのに、ちゃんと手入れされているのが分かった。
両親が死んでから、十年間俺を育ててくれた祖父母の家を出て、ここで暮らす。
別に、一人でこの広い家に住む訳じゃない。
ここには、もうほかの住人がいる。いわゆるシェアハウスというやつだ。
ばあちゃんが入院することになって、もちろん真っ先に出た案は寮だった。けれど、結果的に決まったのはこのシェアハウスへの引っ越し。
入居者は俺で四人目になるらしい。
安心なのは、全員男だってこと。
別に女の人が嫌なわけじゃないけど、家でまで気を遣いたくない。
……まぁ、それはムリな話だけど。
玄関のドアが開き、一人の男が出てくる。
小さな声で俺の名前を呼んだのは──……。
俺の兄、柏木空だった。
___
家の中は、リフォームでもされているのか、見た目よりもずっと綺麗だった。
フローリングの廊下を進んで、リビングへ案内される。
振り返った空と一瞬だけ目が合ったけど、すぐに逸らされた。
その視線は宙を泳いで、最終的に俺の足元に落ちる。
気まずい。
これ以上ぴったりくる言葉は、他にないかもしれない。
ぎこちない声だった。
空は慣れた手つきで湯呑にお茶を注ぎ、俺の前へ差し出した。
そのあと、言葉が続かない。
湯気だけがゆらゆら立ちのぼって、しばらく沈黙が続いた。
やがて、空が小さく息を吸って、「あー……」と声を漏らす。
そして、覚悟を決めたように口を開いた。
空が、作り笑いみたいな顔をした。
その笑いが妙に癪にさわって、腹の奥から苛立ちがこみ上げる。
思わず強い口調で言葉を遮った。
この兄を、俺は兄だと思ってない。
だって。
両親が亡くなってから、俺だけが祖父母に引き取られた。
当時俺は7歳で、空は18歳。
空の年齢なら、ひとり立ちするにはもう十分だったのはわかる。
でも、まさか一度も会いに来ないなんて思わなかった。
突然両親がいなくなって、寂しくて悲しくてどうにかなってしまいそうだった。
そんな時に兄までいなくなった俺の気持ちなんて、この男はきっと一生わからない。
これまで何もしてこなかったくせに、今さら“兄らしいこと”をしようとする。
それがたまらなく嫌だった。
空は何かを思い出したように立ち上がり、おぼんを持ってくる。
そこに乗っていたのは、きれいに盛り付けられた和食だった。
だけど。
食べる気になんてならない。
それよりも早く、この場から抜け出したい。
これ以上、この気まずい空気に耐えられなかった。
俺に用意された部屋は、広すぎず、狭すぎもしない一人部屋だった。
すでにベッドは組み立てられていて、前もって送っていた段ボールが数個置いてある。
当時、まだ小さかった俺は、両親がいなくなってしまったこと、そして兄が一緒に住まないことを受け入れられなかった。
いつかきっと、また家族四人で過ごせると思っていた。
だけど、待てども待てども、俺の前に両親はもちろん、兄も姿を見せることはなかった。
──捨てられたんだ。
いつしか、そう理解するようになった。
兄は、俺のことがいらなかった。邪魔だったんだ。
思い出すたびに、胸がジリ、と焼かれたように痛くなる。
それを誤魔化すように、俺は荷解きを始めた。
荷物は多くない。数時間もすれば、最後の段ボールをたたみ終える。
そして、最後にリュックからタオルにくるまれた写真立てを取り出した。
俺とばあちゃん、そしてまだ存命だったじいちゃんが写った写真。
じいちゃんが生きていた、最後の俺の誕生日の写真だ。
俺は小さくため息をついた。
その直後、ノックの音と同時に扉が開き、元気な声が飛び込んできた。
ふわりと甘い匂いを携えて入ってきたのは──。
このシェアハウスには男性しか住んでいなかったはず。
なのに、どうして。
ますます空への不信感が募る。
十年も放っておいたくせに、今さら何をしようっていうんだ。
俺の気持ちなんて知るはずもない早乙女さんに、腕を引かれた。
俺の言葉を無視した早乙女さんに引きずられ、再びリビングへと向かうことになる。
ふわりと、醤油の香りが鼻をかすめた。ばあちゃんちでもよく嗅いだ香りだ。
テーブルには、筑前煮や焼き魚といった和食が並んでいた。
早乙女さんの声で、リビングにもう一人いることに気が付く。
すらりとした長身の男性。空よりも少し年上に見える。
宗助さんと呼ばれたその人は、早乙女さんに一言、
とだけ返した。
そして、俺に視線を向けると、テーブルの椅子を引いてくれる。
座れ、という事だろうか。
とさらには助言までくれる。
どこか安心を覚えていると、キッチンからエプロンをつけた空が出てくる。
俺に気が付いたのか、空は言葉を止める。
空間に、わずかなぎこちなさが漂う。
だがそれもほんの一瞬で、ご飯をよそっていた早乙女さんがキッチンから出てくると、リビングはすぐに賑やかさを取り戻した。
そんな、楽しそうな会話が目の前で繰り広げられる。
部屋に戻ろう。
賑やかな空間から背を向けたその時、空に名前を呼ばれた。
二人に向けるときとは違う、おどおどした目。
そんな顔で何を言ってるんだか。
俺は無言で部屋に戻った。
戻った部屋で一人、スナック菓子の袋を開ける。
ぱり、と軽い音が響いた。
これから先、俺がここにいることで、きっと面倒が増えるだけだ。
なのになぜ、空は俺を迎え入れたんだろう?
考えても答えは分からない。
噛みしめても、口の中に広がるのは味気ない空気だけだった。


















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。