新学期は、どの学年でも慌ただしい。
新しいクラスメイト、学力検査、身体測定。
慣れない環境に、知らないうちに神経をすり減らしていたんだと思う。
それでも、少し時間が経つと穏やかな日常が戻ってくる。
新学期が始まったばかりのころは、購買がとにかく混んでいた。
買いに行くだけで一苦労で、結局何も買えずにバッグの中に入れておいたお菓子だけで昼を済ませたこともある。
でも最近は、あの行列もだいぶ落ち着いてきた。
とはいえ、まだ総菜パンが買えない日もあって、そんなときはお菓子で済ませることもある。
そろそろ手持ちも尽きてきたし、ストックを増やしておこうかな──
なんて考えながら帰宅すると、珍しく家の中は静かだった。
どうやら、まだ早乙女さんは帰っていないらしい。
水でも飲もうとリビングに行くと、宗助さんの姿があった。
テーブルの上にスケッチブックを広げ、黙々とペンを動かしている。
同じ家に暮らしているのに、宗助さんを見かけることはほとんどない。
早乙女さんの話では、ほとんど外に出ないうえに、部屋から出てくるのも食事のときくらいらしい。
何の仕事をしているのかは、早乙女さんも知らないらしい。
音を立てないようにキッチンへ入り、コップに注いだ水を一息に飲み干す。
少し考えて、棚からペットボトルを数本抜き取り、静かに部屋へ戻ろうとしたその時──。
不意に声をかけられて、思わず変な声が出そうになった。
バクバク音を立てる心臓を宥めながら振り返ると、さっきまでスケッチブックに向かっていた宗助さんと目が合った。
俺を見た宗助さんは、ふ、と小さく笑った。
そんなに面白い顔をしていただろうか……?
反射的に、鼻にしわが寄ったのを自覚する。
似てるだなんて、言われたくない。
そもそも、兄弟として見られるのも嫌だ。
俺は空のことを、もう兄だと思ってないんだから。
直球でそう聞かれる。
顔に出ていたのかもしれない。
両親が死んだとき、あいつは何を思ってたんだろう。
最後に会ったのは、両親の葬式のときだった。
小さかったから、正直あまり覚えていない。
あいつがどんな顔をしてたのかも、何を言ったのかも。
それから十年間、一度も会いに来てくれなかったし、連絡も寄こさなかった。
どこにいるかもわからない状態だったのに、今さら現れて兄面してくる奴を、認めるなんてできない。
聞いてきたくせに、宗助さんはそれ以上興味を示す様子もなかった。
立ち上がったかと思うと、キッチンに来て冷蔵庫を開ける。
取り出したのは、ラップのかかった皿。
生姜焼きの乗った皿と、サラダが盛られた皿。宗助さんと皿を見比べて、なんとなく察する。
口ではそう言いながらも、心のどこかで嬉しかった。
少し迷って、生姜焼きの皿だけを受け取った。
宗助さんはサラダを冷蔵庫にしまい、一仕事終えたとでも言うようにまたテーブルへと戻っていく。
そして、何事もなかったかのようにスケッチブックを開いた。
「サラダ食べろ」と言われないことが、こんなに気楽だなんて。
ほんの少しだけ、仲間意識のようなものが芽生えた気がした。
生姜焼きは驚くほど美味しかった。
レンジで温め直したのに、べしゃっとならず、タレがしっかり染みこんだ肉の旨みが口いっぱいに広がる。
空腹だったせいもあって、箸が止まらなかった。
気付けば皿の上はきれいに空っぽ。
少しだけ名残惜しく見つめても、生姜焼きが戻ってくるわけもない。
でも、そんなこと言ったら確実に“大盛り”で出されるだろう。
あんなに細いのに、早乙女さんの食べっぷりは本当に侮れない。
皿を洗おうとリビングに戻ろうとしたとき、まだ明かりがついていた。
宗助さん、まだいるのかな……。
そんなこと思いながら、そっと足を進めた。
いたのは宗助さんだけじゃなかった。
いつの間にか空が帰ってきていたらしい。
思った以上に、宗助さんの野菜嫌いは筋金入りらしい。
「わかる」と心の中で同意しながら、扉越しに中をのぞく。
二人の言い合いはすぐに終わった。
……というより、空が別の話題を出した。
突然名前を呼ばれ、息が止まる。
やましいことはないのに、先ほどよりも息を殺してしまう。
その時、空の声が、妙にクリアに聞こえた。
扉が開いたのだ。
隠れるも間もなく顔を上げた俺と視線がぶつかり、空は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を逸らす。
さっきまで宗助さんと普通に話していた人間とは思えないほど、声が小さい。
まるで俺が邪魔者みたいだ。
こんなに気まずそうにされると、こっちが悪いみたいに感じる。
ほんと、なんなんだよ。
わざわざ自分が住みづらくなる相手を引き取るとか、どMか?
空を無視して、皿を洗いにキッチンへ向かった。
満たされていたはずの腹の奥が、いつの間にか重く、ぐるぐると気持ち悪くなっていた。















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。