第9話

死神猫 ―2―
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2018/05/14 14:39
ギリギリ終業時間に間に合いそうだ。
今までと仕事量は変わらないのに、残業をすると怒られるようになったのは如何なものかと女は凝り固まった肩を回しながら考えていた。

まとめあげた書類を揃えて、ファイルに綴じる。
あとは事務へと持っていき、次の部署へ回す用のボックスへと入れるだけだ。
ついでに明日のために新規プロジェクトの資料を帰りがけに保管庫から持っていこうと仕事のことを考えながら廊下を歩く。

女が今いるのは7階、事務室は4階。
手元には厚めのファイル4冊。
これはエレベーターを使うが吉だとエレベーターホールへ向かう。
まだ仕事をしているのか、それとも既に帰ってしまったのか、ほかの社員はおらずエレベーターホールはひっそりと静かだった。

下向きのボタンを押し、エレベーターの到着を待つ。
すぐに、エレベーターの到着を知らせる音がなった。
人がいないからか、やけに大きく聞こえた気がして不気味だ。

エレベーターの扉があくと、空だと思っていたボックスには、そこに本来いるはずのないものが乗っていた。

金と銀のオッドアイ。
艶やかな黒い毛の猫だった。

「ひっ!」
昼に聞いた不吉な話を思い出し、思わず女は後ずさる。
街中で見たならスルーできただろうに、普通の猫ならいるはずでない場所で堂々としている猫はこの世の理に縛られないものであるような気がして不気味だった。

黒猫はそんな女をチラリと見ながら、エレベーターから降りていってしまった。

うるさい心臓を宥めながら、女は事務での用事を済ませた。
事務員に、「どうかしましたか?顔色が悪いですが」と言われたが、自分がオカルトに踊らされていることが許せなかった女は、「大丈夫です。なんでもないです」と平成を装って、事務室を出た。

資料のある保管庫は3階、変に疲れてしまったため、女はまたエレベーターを利用しようかと考えたが、先程の猫の姿が頭をよぎり、階段を目指す。

1階分くらいなら平気だ。
資料の場所は把握している。
取ったらすぐに出ていけばいい。
帰ったらゆっくり風呂にでも浸かろう。

自分に暗示をかけるように何度も心の中で繰り返す。

猫が、いた。

階段に抜けるための通路の真ん中に。

猫はにゃーおとなんとも間の抜けた鳴き声をあげる。
女は我を忘れてエレベーターホールへ走り戻っていた。
(なんで、なんで私の前に!?
もしかして、私、死ぬの?)

エレベーターに半ば半狂乱で乗り込んだ女は、猫ではない先客がいることに気づかなかった。

「うわっ。びっくりしました」

部下の青年だった。
安心したのか、女はボロボロ泣いていた。

3階に用事があると女が言うと、青年は心配だからついて行くと言った。
2人で3階に降りると、青年は何があったのかを聞いた。
女はエレベーターに猫が乗っていたこと、その猫が昼の話で出てきた死神猫と同じだったこと、自分の前に再び現れたことを話した。

青年は、茶化すことも無く、真剣に聞いていた。

「これは、考え方の問題だと思うんですけど」

青年が混乱する女に落ち着いた声で話しかける。

「猫が現れても死んでない人もいますよね。大怪我だけど。そういう人は、もしかしたら猫が現れたことによって死に敏感になったからギリギリ死ななかったんじゃないですかね?冷静に考えて行動するべきだと思います」

「なるほど。あの猫が現れたからには、私の身の回りに危険なことが起こるから、落ち着いて、それで死なないようにすりゃいいって事ね」

鼻を啜りながら、女は若干いつもの調子を取り戻す。

「早く資料取って帰るわよ。今日は食事に付き合いなさい。奢ってあげるから」

「はいはい。あー食費が浮いて助かるなぁ」

青年の皮肉により、場に笑みが生まれた。


資料の保管庫は階段の近くだった。
こんなことなら、猫を無視して気をつけて階段を降りればよかったと強気を取り戻した女は悪態をつく。

扉を開け、目当ての資料の棚を探す。
しかし、その棚の資料は順番がぐちゃぐちゃになっていた。
少しでも早く帰ろうと、女は青年とともに目当ての資料を探す。

目当ての資料を探し当て、扉を閉めた時、ベルの音が鳴り響いた。

「え!なんすか?これ」

「火災報知器のベルよ!どこかで火が出たみたいね」

自分の死因は火事による焼死か一酸化炭素中毒か。
どちらにせよ、まだここで死ぬ気は無いと女は少し焦げ臭い空気を短く吸った。

幸い階段は近くにある。
このまま素早く駆け下りれば、外に出れる。
あくまで、冷静に。

階段を見据えたその時、上の階から猫が下りてきた。
オッドアイの、黒猫。

女の心臓が、ドクンと跳ねる。
猫はそのまま女の足元を通り過ぎ、階段とは真逆の窓辺に座ってこちらをじっと見据えている。

青年が、何かを察して女を呼んだが、その声はパニックになっている彼女の耳には入っていなかった。

(私を死に導きたいんでしょう?そうはさせないから)

女は猫が自分を死へ誘おうとしていると考え、猫とは反対の方向へ走った。
階下へ向かうために、階段へ。

女が階段を下りようとした時、1つ上の踊り場にある扉が爆音と共に吹き飛んだ。
爆音に驚いた女は足を踏み外す。
ヒールが引っかかり、足をひねった上、階段の最上部から次の踊り場まで宙を舞う。

にゃーお

やけに近くに思える猫の声を聞きながら、女は思う。
(ああ、もしかしてあなたは……)

頭から地面へ叩きつけりた女は動かず、そのまま炎にのまれていった。

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