その日、お姉ちゃんは朝からとてもそわそわしていた。
前にあった彼氏との初デートの時もそわそわしていたけれど、今回はそれ以上にも見える。
また何か、いい事があるのかな?
仕事で忙しい両親は朝早く家を出たので、お姉ちゃんと二人での昼食中。
そう私が質問すると、お姉ちゃんは恥ずかしそうに頭を搔いた。
私がそう言って笑うと、お姉ちゃんは更に顔を赤くする。
私がニヤニヤした顔を隠さずからかってみると、お姉ちゃんは更に更に顔を赤くして机に伏せってしまった。
恋する乙女ってこんなにも可愛いのだな、と最近よく思う。
そう言ってふわりと笑えば、恋する人はきょとんとして、それからいつもみたいにふわりと笑った。
今思えば。
この日、この時、何か違えば、何かを変えられたのなら。
彼女の結末は、私が望むままになったのだろうか。
* * * * *
ガチャ。
·····ガチャン。
夕日が姿を消し、相変わらず星のない空に街の灯りが浮かんできた頃、玄関が開閉する音が聞こえた。
親からは先程「お母さんたち遅くなるから、夕飯はお姉ちゃんと食べてね」と連絡が来たので、きっと帰ってきたのはお姉ちゃんだ。
夕方頃から雨が降っていためお姉ちゃんが雨に濡れていないか少し心配だったので、私はタオルを持ってから部屋を出る。
楽しかったかな。どんなことしたのかな。色んなこと聞きたいな。話したいな。
そうウキウキと軽い足を運んで玄関まで行くと、お姉ちゃんがずぶ濡れで立ち尽くしていた。
肌に張り付いた髪を整えようともせず、ダウンが弾いた雨粒を払おうともせず、タオルを求めて私を呼ぶこともせず、下だけをただ見つめて立っている。
よく見れば鞄までもびしょ濡れだ。
咄嗟にずぶ濡れの姉に駆け寄り、柔らかいタオルで風呂上がりより酷い髪を頭ごと包み込む。
なるべく優しく、丁寧に、その濡れた髪を拭きながらお姉ちゃんの返答を待つ。
けれど、数秒たってもお姉ちゃんは黙ったままだった。
ふと、本当に偶然に視界に入ったお姉ちゃんの右手首。
───────痣。
手型の、痣。
お姉ちゃん。
そう、何度も口にしても、眼前の姉は口を開かなかった。
ほたる。
そう、息の音がした。まだ声音になりきれていないそれは、普段なら聴き逃してしまうような空気の音。
そして次の瞬間、ふわり、といつものお姉ちゃんの優しい香りと、いつものお姉ちゃんからはするはずがない煙草の匂いがした。
私の肩に、ポツ、と雫が零れる。
私の部屋着に、じわじわと、冷たい何かが染み込んでゆく。
冷たい。
ああ、今、私はお姉ちゃんにハグをされている。
すこしだけ、げんきをちょうだい。
すこし。すこしだけでいいの。
掠れた声で、お姉ちゃんは呟いた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。