第36話

参拾陸
355
2020/10/09 12:55
私は、その窓を優しく叩いた。
中島 春
ハルちゃん、ハルちゃん
七月七日。七夕。

慣れない人には怖いであろう夜の病院の敷地内に足を踏み入れた私は、病院の裏に回って、一階にあるハルちゃんの病室の窓に顔を覗かせた。


すると、消灯時間を過ぎてもこっそりと本を読むハルちゃんはこちらを見て目を見開く。

そして、声は聞こえないが口をパクパクさせながら慌てて病室の窓を開けるハルちゃん。

まぁ、そりゃ驚くよね。
来るなんて言ってないし、そもそも消灯時間過ぎてるし。
峯 遥香
えっ!?は、春ちゃん!どうしたの!?!?
ガラガラと勢いよく窓を開けた途端、ハルちゃんは小さくて、でも焦りを含んだ、そんな声で私にそう言った。

小声なのは他の人に聞こえないようにするためだろうな。
私が怒られちゃうから。
中島 春
ハルちゃん!海!海見に行こ!
峯 遥香
えぇ!?う、海····?
中島 春
そう!星の海!
私がそう言って笑うと、ハルちゃんは困惑の顔を向ける。
峯 遥香
星の海、って·····天の川のこと?それならほんのちょっとだけ見えたし、それに私、外に出たら····
中島 春
天の川だけど、川じゃなくてもっと広くキラキラしたやつ!だから海!ねっ?ハルちゃん、病気だけど少しなら平気····でしょ?
それでも、「でも····」と渋るような声で迷うハルちゃんを見て、私はその手を窓越しに握った。
中島 春
いい場所があるの。誰にも内緒の場所。ハルちゃんには教えてあげる!
そうやって人差し指を唇の前に立てて笑うと、ハルちゃんはようやく、嬉しそうに笑って私の手を握り返す。
峯 遥香
うん、行こう!













平気?そんな馬鹿な。

ハルちゃんの病気は私のより重いのだから、平気なんて確証があるはずもないのに。




私は、勘違いをしてしまっていた。

ハルちゃんの病気を、忘れていた。





なんて愚かな子供。

駄目だって分かっているはずでしょう?




















峯 遥香
ね、ねぇ!あれ本当にお星様?
中島 春
うん!そうだよ!
峯 遥香
すごいっ!すごいよ!あんなにキラキラしていたなんて初めて知った!
病院の裏山を少し登った所に、ひっそりとある丘の上。
私が見つけたこの場所は、今日初めてひとりの秘密じゃなくなった。

ハルちゃんと二人の秘密。
そらの海を見上げた、思い出になる場所。
峯 遥香
本当に、海みたい····
そうやって目を輝かせるハルちゃんを見て、私もなんだか心が踊り出す。

あぁ、早くハルちゃん元気にならないかな。
また来年もここへ来たいな。
でもまず海だよね。

私は、そんなことを考えながら空を見上げていた。
峯 遥香
はぁ···はぁ··っ
─────すると突然。

隣から、苦しそうな息遣いが聞こえてくる。
中島 春
····?ハルちゃん?
峯 遥香
はぁ··はぁっ··はっ···っ!
どんどん荒くなる呼吸。

瞬間。私の目が捉えたのは、真っ青になったハルちゃんの顔だった。
中島 春
ハルちゃんっ!!
咄嗟に、行先を失ったハルちゃんの手を握ってその震える背中を摩る。
····何だろう?過呼吸?
中島 春
ハルちゃん。大丈夫、しっかり!息、吸って、吐いて、吐いて、吸って、吐いて、吐いて···
峯 遥香
ち··が、っ···かはっ··!
すると今度は、ハルちゃんの口から赤いような、黒いような、ソレ・・が吐き出される。

──────吐血?
中島 春
な、に···?過呼吸じゃないの····?じゃあいったい···!!
荒かった呼吸が、徐々に薄いものへと変わってゆく。

····このまま行けば、呼吸が止まる。
中島 春
え···?ね、ねぇちょっと!ハルちゃん!!しっかりして!ハルちゃん!!!


ふと、ハルちゃんが笑ったような気がした。


中島 春
····ハルちゃん?

















そして、次の瞬間には、ハルちゃんが脱力する。





呼吸はおろか、心臓が止まっていた。





























何かが崩れ落ちるような、音がした。


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