ツン、と何かの匂いが鼻をかすめた。
何の匂いだろう。周りを見渡してみるが、白ばっかりで何もない。
おかしいな。嗅覚にはわりと自信あったのに。
ふと、己の膝の上で寝ていたはずのアオイが呟く。
あそこから、けむりがでてる。
アオイがそう言って指さしたのは、何も無い壁だった。
壁から、煙が?
さっき鼻をかすめたあの匂い。
化学の実験ですら嗅いだことの無い刺激臭。
ならば、毒性が高い可能性がある。
アオイに膝から降りてもらい、急いで煙が出るという壁に近づく。
ちょうど目の高さくらいのところに排気口らしき切れ込みと穴を見つけた。
主催者、私たちを中毒死させる気だ···!
結構な時間を消費してしまっている。
これは、あと何分持つか···
そりゃあ、アオイ共々ここで死ぬかもしれないのだ。
1人で死ぬのならまだしも、この子供を巻き込むのは本望でない。
···何を根拠に、そう言うのか。
まかせて!と自信に満ちた笑顔で私を見つめるアオイ。
私より小さな子供。
けれど───確かに、アオイは現実を真っ直ぐに見つめている。
アオイは敬礼のポーズをしてから、すたすたと排気口の前へ出る。
そして、排気口の小さな穴に腕を突っ込んで───カチリ、と音がした。
さっきの音は鍵が開く音だったのだろうか。
排気口の蓋が、いとも容易く外れてしまった。
ふふ、と不敵に笑うその子供と、あの日の姉が重なる。
怖い所へ飛び込む。
あぁ、そうか。たしかに君は、アオイだね。
また敬礼ポーズをするアオイの頭を数回、優しく撫でてから排気口の縁に手をかける。
私でギリギリ入るくらいの空間に顔を入れれば、さっきよりも濃くなる臭いと煙の密度。
咳をしそうになるが、すれば大きく息を吸ってしまうことになるので悪循環。我慢する。
おもいきって縁に足をかけ、体を前に進める。
少し奥に進めば、ちらりと影が差す場所が見えた。
───あった。出口。
カタン、とアオイが動く音が聞こえる。
その音が遠くならないように注意しながら慎重に前へ進む。
煙が一番濃い所に着けば、ふわり、と風が吹いた気がした。
狭い場所から出て立ち上がる。
目の前には、白ではなく、黒が広がってた。
やっと出会えた、他の色。
少し先を見てみればひとつの扉が見える。
急にどしりと疲れがのしかかる。
水を得た魚のように呼吸がしやすくなった。
はぁ、と息をついて、それからアオイの手を拾って握る。
アオイがそう言って歩き出す。私もそれに続いて扉まで歩いていった。
そして、そこに着いてドアノブを握る。
くるりと手首を回してその扉を押せば、ふわり、と風が吹いて、そして。
────ぱちり、と目を開ける。
体を起こせば、ふと、そこに影が重なった。
上を向くと、そこには私の顔をのぞき込むシシビがいた。
────そういえば、なぜ私は寝て···
ばっ、と勢いよく顔を四方八方へ向ける。
私が寝ていた場所は、何十にもなる扉が並んで輪になっている部屋だった。
そうだ、私はゲームクリアのために扉を開けて····あれ?でも、何で寝ていたんだろう。
そうだろう。アオイが素早く突破口を見つけてくれたから────アオイ?
この部屋には私とシシビの2人しかいない。
アオイと手を繋いで扉を開けたはずなのに、どうして···
アオイを探そうと立ち上がった私の腕を掴んで、シシビはそう言った。
────私たちの、記憶。
シシビはそう言い終えると私の腕を離し、私が瞬きをしたうちに消えてしまった。
···大丈夫、か。
今のシシビの言葉はきっと、信じて良いのだろう。
なぜかそう思える。
無事、だろうか。
あの毒ガスに気づくのが遅ければ何も出来なくなってしまう。
誰であっても気づくのを遅らせるような形になっていたからとても怖い。
どうか、みんなが無事でその扉を開けますように。
扉だらけの異様な空間で一人きり、手を組んでそう祈った。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。