第28話

母の弱さ
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2026/03/30 09:00 更新
 母の泣き声が、震えていた。
楓の母
楓の母
あの子を返して……
あの子を返してよぉ……!
 途切れ途切れの懇願。

すがるように声を絞り出す母の姿には、かつての身勝手さも冷たさもなかった。
ただ触れれば砕けてしまいそうな――薄いガラスのように脆く見えた。

鮫島
鮫島
うるせぇ!!
生きてた頃は疎ましがってたくせに
よく言うよなぁ!
怒鳴り声が部屋に響いた次の瞬間、男の足が母の腹に叩き込まれた。

ドスッ──という重たい音。

母は小さく悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
縮こまり、震えながら泣いていた。

楓の母
楓の母
ごめんなさい……ごめんなさい……
助けて……あなた……楓……
手を伸ばした先には、小さな仏壇──そこには私と父の遺影が飾られていた。
写真立ての中の私は、ただ黙って微笑んでいた。

鮫島
鮫島
こんなもの……!
怒りにまかせて鮫島が遺影を掴み取り、勢いよく床に叩きつける。

ガシャアッ、と音を立てて写真立てが砕け、
割れたガラスが四方に飛び散った。


焔羅
焔羅
……
焔羅様は、何も言わずに手を開く。
二匹の蜘蛛が現れ、光輝く糸が、母と男に伸びていく。
焔羅
焔羅
……そなたの思うようにすればいい
選ぶのはそなただ、楓
私はハサミを胸の前でそっと握る。
血のように深紅の刃が、静かに光を帯びていた。

そのとき──ドアがコンコン、とノックされた。

警察
警察です。
娘さんが亡くなられた件について、
もう一度話をお伺いできますでしょうか?
 なぜ警察が?と思ったが、おそらく先日の愛梨彩の件が影響しているのだろう。

学校ぐるみでのいじめの隠蔽が明らかになったことで、私の死も事故ではなく自殺の可能性があるとして、警察が動いている、そんな気がした。

 これが、この2人にとって最後のチャンスだ。
今、真実を語ることができるなら。

すべてを悔い改める覚悟があるなら、
私は微かな希望を胸に、そっと2人に視線を向けた。

楓の母
楓の母
……私が全部、話すわ!
私の犯した罪も、あんたの罪も
……全部、話してやる……!
楓
お母さん……
母は、ふらふらと立ち上がり、よろよろと玄関へと向かおうとした。
私は思わず目を見開く。

それは、確かに救いの糸を掴もうとする姿だった。

私はハサミを持つ手を静かに下ろす。
 
けれど──

鮫島
鮫島
やめろ!今さら何言ってんだ!
ここまで隠し通してきたじゃねぇか!
鮫島が吠えるように怒鳴り、母の腕を乱暴に引き戻す。
鮫島
鮫島
このまま黙ってりゃいいんだ!
全部なかったことにできるのに、
てめぇのせいで人生壊されてたまるか!
怒声とともに、母を殴り飛ばす。

ドサッと崩れ落ちる母の姿に、私は思わずもう片方の糸へ視線を向けた。
私が今度こそ、男の糸にハサミの刃を添えた──そのときだった。

 母が、床に散ったガラス片を、そっと掴み取っていた。
楓の母
楓の母
……もう、やめて……!
絞り出すような声のあと、母はそのまま、男の背中にガラスを突き立てた。
鮫島
鮫島
ぐあっ!!
な、にを……
呻き声とともに男が崩れる。
出血がひどく、男はしばらくもがいたあと、力尽きたように動かなくなった。

楓の母
楓の母
……ごめんね……楓……
もっと早くこうしていれば
ごめんね……ごめんなさい……!
崩れ落ちる母の姿を、私はただ茫然と見つめていた。
ハサミを握ったまま、その場から一歩も動けなかった。

復讐とはこんなにも静かで、重い。
私は、ただそこに立ち尽くしていた。

血の匂いと遠くで鳴るサイレンの音が、静かに混ざり合っていた。



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