屋上で話しかけられた日から、
佐久間くんは移動教室に昼休み、
下校さえも一緒についてくるようになった。
そして今は美術の時間。
私は佐久間くんと彼の幼なじみである
神谷 鉱くんと一緒に、
外で花のスケッチをしている。
私のキャンバスを佐久間くんが
覗き込むや否や、興奮したように声をあげる。
神谷くんは軽い口調でそう言うと、
前髪を掻き上げる。
その仕草に、どこからか「はあ~っ」と
女子の悩ましいため息が聞こえてきた。
神谷くんは女子から人気で、
彼女を途切れさせたことがないのだとか。
神谷くんは、私をちらりと見る。
初耳だったので驚いていると、
神谷くんはにこっと笑う。
神谷くんはどこか含みのある言い方をすると、
佐久間くんの背中をぽんっと軽く叩く。
そんなふたりのやりとりを聞きながら、
私は無意識に呟く。
(佐久間くんの家、八百屋だったんだ)
軽口を叩き合っているふたりを
眺めながらそう言うと、
佐久間くんは一瞬だけ切なそうな顔をした。
(覚えてないけど、下の名前で呼び合う仲だった?)
意味深な物言いに、胸がざわつく。
(私、本当になにを忘れちゃってるんだろう)
不安に思っていると、
ふいに頭に手が載った。
顔を上げると、
佐久間くんの柔らかな笑みに迎えられる。
それを聞いて、胸に込み上げたのは──。
(どうしたら、佐久間くんの優しさに
応えられるんだろう)
家族は記憶のない私に
腫物を扱うような態度をとる。
だから余計に、失くしたものを早く取り戻さなきゃ
いけないような気がして焦った。
(記憶があってもなくてもいい、か……)
そのままの私でいいと言われているみたいで、
心が軽くなった。
(返したい、私も……)
彼の海のように広く深い気持ちに
返せるものがあるとしたら、これだと私は口を開く。
ただ名前を呼んだだけなのに、
悠貴くんは泣きそうな顔でうれしそうに笑う。
その表情がやけに脳裏にこびりついて、
私はしばらく目が離せなかった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。