第16話

第14章「恋をするということは」
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2021/03/15 10:49
水柱はそれから任務があって来れない日を除いて、ほぼ毎日俺の病室にやってきた。そんな日が1ヶ月近くも続けば、自然と俺たち二人の間は縮まった。今ではお互いを「義勇さん」「灯理」と呼び合う仲だ。いつの間にか義勇さんと話す時間が俺の一日の最大の楽しみとなっていた。


英田灯理(あいだとうり)
義勇さん。
冨岡義勇
なんだ。
英田灯理(あいだとうり)
年が変わりましたね。1942年です。ってもうお正月は過ぎましたけど。
冨岡義勇
そうだな。毎日鬼を狩っていては、ろくに正月も祝えないが。



少し動けるようになった俺は、布団から起き上がる。深い青色が見つめる先を追いかけて窓の外の遠くを見る。


英田灯理(あいだとうり)
義勇さんはどうして髪を伸ばしてるんです?
冨岡義勇
切るのが面倒くさい。
英田灯理(あいだとうり)
はは、義勇さんらしいや。
冨岡義勇
灯理は伸ばしているのか?



ふと胡蝶さんと交わした言葉がよみがえる。彼女は俺の力になりたいと言った。なんでも言ってくれ、と。だから過去に区切りをつけるために髪を切ってもらうことにした。


英田灯理(あいだとうり)
俺のは…



その時、部屋の戸が勢いよく開いて、声が響いた。


神崎アオイ
灯理さん、しのぶ様が帰ってこられました!診察をするそうなので準備してください。水柱様はどうぞお帰りくださいとしのぶ様が。
英田灯理(あいだとうり)
アオイちゃん。



ここ、蝶屋敷で働く、1つ年下の女の子。キビキビとよく働く子だ。


冨岡義勇
分かった。今日はこれで帰ろう。
英田灯理(あいだとうり)
え、帰っちゃうんですか?



また胸が鈍く痛む。不意に涙が出そうになってくる。と言っても俺の涙腺は働くことをやめたらしいので涙は出ないが。まだおしゃべりしていたい、と口から出そうになるのをなんとかこらえる。


冨岡義勇
ああ。胡蝶を怒らせると面倒だからな。また来る。



そう言って義勇さんは部屋を出ていってしまった。俺はなんとも言えない悲しみと胸の痛みを抱えたまま、胡蝶さんが来るまでその場で呆然とすることしか出来なかった。


胡蝶しのぶ
…くん。…だくん。英田くん?
英田灯理(あいだとうり)
わぁ!あ、ごめん。考え事してた。任務お疲れ様、胡蝶さん。



まるで蝶が舞うかのようにふわりと俺の隣にやってきた胡蝶さん。手には、ハサミが握られている。


胡蝶しのぶ
お待たせしてすみませんでした。さて、さっそく髪を切りますが、どこまで切ります?バッサリいっちゃいます?
英田灯理(あいだとうり)
俺、やっぱり切るのやめようかなって思ってる、んだけど…。せっかく切ってって頼んだのに…。



区切りをつけるだなんて言っているけれど、髪を切るのはただのきっかけでしかない。髪を切ったからと言って、過去は過去と割り切って、家族や親友の死を過ぎた事として扱うことなど多分出来ないだろう。

それに、思ってしまったのだ。義勇さんの長い黒髪を見た時に。俺も義勇さんのように髪を伸ばしたい、と。


胡蝶しのぶ
それは全然いいんですけど、どうして急に?
英田灯理(あいだとうり)
俺は髪を切ったところで、ちゃんと区切りをつけることができるのだろうかって思って。
胡蝶しのぶ
そうですか。英田くんがそう考えたのなら、それがいいと思いますよ。



その返事を聞いて、俺は笑顔になった。だから、と言っていいのかは分からないが、このタイミングで相談しようと思った。


英田灯理(あいだとうり)
胡蝶さん、時間ある?
胡蝶しのぶ
ええ。どうしました?



時々感じるこの胸の痛み。知らない感情が心を渦巻く。この気持ちがなんだかは確信が持てない。けど、これが俺の思っている通りなのであれば、胡蝶さんならこれに名付けることができると思うのだ。


英田灯理(あいだとうり)
胡蝶さん。
胡蝶しのぶ
はい。
英田灯理(あいだとうり)
人に恋心を抱くって、どういう気持ちになることなんだろう。
胡蝶しのぶ
英田くん、好きな人でもできたんですか?
英田灯理(あいだとうり)
俺、今まで生きてきた中で好きな人とかできたことないんだ。恋愛とかしたことがない。学校には行ってたけど、俺の全ては家族だったから。だから俺には恋とかよく分からない。でも、胡蝶さんなら知ってるかなって。
胡蝶しのぶ
私が、ですか?そんな私を恋愛上級者みたいに思わないでくださいよ。私だって恋愛はしたことないですし…。
英田灯理(あいだとうり)
ごめん。俺、義勇さんから聞いたんだ。胡蝶さんが俺のことを好いてくれてるって。



その瞬間、胡蝶さんの目が大きく見開かれた。みるみるうちに顔が赤くなっていく。こんなに動揺した胡蝶さんを見たのは久しぶりだ。


胡蝶しのぶ
え!?あ……、っと……。……。
あの人、やっぱり聞こえてたんじゃないですか。そうです。私は英田くんのことが好きですよ。



初めて向けられた他人からの好意。だけど、胡蝶さんはやっぱり友達なわけで。どうもこの好意を素直に受け取ることは出来ない。


英田灯理(あいだとうり)
…。ありがとう。胡蝶さんにそう思ってもらえて、言ってもらえて、すごく嬉しい。でも…
胡蝶しのぶ
私は英田くんの、そして英田くんは私の数少ない友達、ですからね。
英田灯理(あいだとうり)
え…?
胡蝶しのぶ
分かってますよ。英田くんが私のことそう思ってるって。だから私のことなんて気にせずに好きな人作っちゃってください。



やはり胡蝶さんが友達でいてくれて良かったと思う。彼女は俺の気持ちを知りながらも、なお自分の気持ちを押し込めて俺の支えになってくれようとしている。


英田灯理(あいだとうり)
うん。ありがとう。
あのさ、好きってどういう気持ちになることだと思う?
胡蝶しのぶ
そうですね…。人を好きになるということは、幸せで、胸が押しつぶされそうなほど苦しくて、でもその苦しさは全然嫌じゃなくて…。そんな複雑な感情に自分で気づいて名前をつけてあげる事だと思います。
英田灯理(あいだとうり)
名前?
胡蝶しのぶ
はい。恋は自覚するまでが長いんです。自分で自分の気持ちの変化に気づくのは難しいことです。ただ、それに気付きさえすれば、自分はこの人が好きなんだ、って気持ちに整理ができて恋という名前がつきます。
英田灯理(あいだとうり)
でも、難しいのだったらみんながみんな自覚できないじゃないか。
胡蝶しのぶ
ヒントは至る所にありますよ。例えば、その人のことを考えると自然に笑顔になれたり、その人が傷つくと自分が傷ついた時よりも怖く、辛かったり。



義勇さんとのおしゃべりの時間は俺の一日の中でとても大切なものとなっていた。怪我で何もすることができない俺の唯一の楽しみと言っていい。義勇さんと話していると、心の冷たい部分が温められている気がする。暗い思考に陥りがちな俺を、上から救ってくれる。その義勇さんが大怪我を負ったところを想像してみる。考えただけで血の気が引き、今にも倒れそうになる。大切な人が、また俺の手から離れていく…。それは俺にとって自分が死ぬことよりも辛いことだった。


英田灯理(あいだとうり)
俺は…



やはり俺の思った通りだった。確かに俺はこの感情を知らなかった。だけど、人間の本能としてきっとどこかで薄々気づいていたんだ。これは恋だ。愛だ。俺が両親から受け、家族に注いだものとはまた違う、甘くて、ドロドロしていて、どこか危険で、人の運命を左右するもの。


英田灯理(あいだとうり)
俺は、義勇さんのことが好き…なのかな。
胡蝶しのぶ
やっぱり冨岡さんなんですね。



胡蝶さんはどこか満足気な、納得したような顔で頷いている。


英田灯理(あいだとうり)
やっぱりって?
胡蝶しのぶ
私がここを留守にしている間、アオイがよく教えてくれたんです。冨岡さんと話している時の英田くんは自然な笑顔で笑うようになったんだって。まるで私たちが出会った時のような笑顔です。1か月前はとても見られるような笑顔じゃなかったのに。
英田灯理(あいだとうり)
あ…。



言われて初めて気がついた。義勇さんと話している時の俺の顔は自然な笑顔なのだと言う。そうかもしれない。1か月前は辛いから笑っていた。でも今は、楽しいから笑っている。決して家族の死や親友の死を忘れたわけではないが、義勇さんが俺の曇った心を晴らしてくれる存在であることは確かだった。


胡蝶しのぶ
それで、英田くんは冨岡さんとどうなりたいんですか?私にできることならなんでもさせてください。
英田灯理(あいだとうり)
胡蝶さんは何もしなくていいよ。
胡蝶しのぶ
え…?あ、すみません。首を突っ込みすぎましたね。ごめんなさい、私、英田くんの気持ちも考えずに…。
英田灯理(あいだとうり)
違うんだ。違うよ、胡蝶さん。俺は義勇さんとどうかなりたいとは思ってない。
胡蝶しのぶ
で、でも…
英田灯理(あいだとうり)
義勇さんのことは好きだ。俺が人生で初めて好きになった人だ。でも、だからこそ、今の関係のままでいたい。この関係がちょっとでも進めば義勇さんは俺にとって大切な人となる。そして俺の大切な人は……
皆死んだ。
胡蝶しのぶ
…ッ。
英田灯理(あいだとうり)
もう…、そんな悲しみは味わいたくないんだよ…。



大切な人が死んでもなお、俺は死ねない。悲しみを背負って生きてゆけと言わんばかりに俺は生を捨てることを許されない。それが俺の人生なのだとしたら、もう……


英田灯理(あいだとうり)
大切な人を作らない方がいいんだ、俺は。



それきり俺も胡蝶さんも黙ってしまう。すると部屋の中ですすり泣く声が聞こえた。もちろん俺ではない。


英田灯理(あいだとうり)
胡蝶さん…?
胡蝶しのぶ
どうして英田くんは我慢ばかりしなくちゃいけないんでしょうか。どうして英田くんはこんなにも悲しまなくちゃいけないんでしょうか…。
英田灯理(あいだとうり)
俺だけじゃないよ、胡蝶さん。胡蝶さんだってカナエさんを亡くしてる。他の隊士たちの中にも家族や大切な人を鬼に殺された人がたくさんいる。
胡蝶しのぶ
でも、英田くんは…っ
英田灯理(あいだとうり)
胡蝶さん、俺、1か月前にも胡蝶さんに「大切な人を作らない方がいい」って言ったんだ。そしたら胡蝶さんは「そんな状態で笑うな」って言った。どうだろう、今もまた胡蝶さんにそう言われなきゃいけないくらい酷い笑顔になっているか?
胡蝶しのぶ
いえ…。
英田灯理(あいだとうり)
ほらな。俺は大丈夫だよ。俺は義勇さんとこれからも仲良くしていく。もちろん胡蝶さんとも。それで、いつか俺はこの世から鬼を滅殺する。そしたら俺は死んだ家族や佑作に言ってやるんだ。「見たか、俺の成し遂げたことを」ってな。



泣いても笑っても一度きりの人生。それなら俺は前を向いて生きてゆきたい。

|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]|・ω・)ノ[終]
今回少し長かったですねぇ。疲れました‪w

ここで少し追記を。しのぶさんの言った、「あの人、やっぱり聞こえてたんじゃないですか」ってセリフ。何が聞こえてたかって言いますとしのぶさんが義勇さんに灯理くんを紹介した時の「どうせ、私じゃ英田くんを振り向かせることは出来ないんです。彼は私のこと、友達だとしか思っていませんから。冨岡さんになら彼をとられてもいいのになぁ。」というセリフです。義勇さんは聞こえないフリをしていましたが、実はちゃんと聞こえていたようです。


そしてついに灯理くんが義勇さんへの恋心を自覚しました!!しのぶさんがキーパーソンだって言った理由が分かったでしょうか…?しのぶさんは灯理くんが恋心を自覚するためのきっかけを与えた人物だったのです。
しのぶさんの言った「人を好きになるということ」、あれはたまごぼーろの体験談だったり、そうじゃなかったり…。



義勇さんが好きだと気づいた灯理くん。ここから2人はどうなっていくのか。本当に灯理くんは義勇さんに気持ちを伝えないままなのか。

次回から急展開始まります。お見逃し無く。


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