※第5話の続きです
夢を見ていた。
ひどく、懐かしい夢だった。
俺は小さい頃から「神童」と持て囃されていた。そんな事ないのに。少しピアノが弾けるだけなのに。でも周りの事など心底どうでも良かった。姉さんが、蔦子姉さんが俺のピアノを褒めてくれる。鈴を転がしたような声で、愛しいものを見るような目を細め、笑ってくれる。俺はそれだけで充分だった。
「義勇は凄いわね。音がとても綺麗。感情ものっている。凄く上手だわ。義勇。貴方は姉さんの自慢の弟よ。」
「えへへ。嬉しいなぁ。でも姉さんのピアノの音の方が綺麗だよ!姉さんも俺の自慢の姉だよ!」
「うふふ。そう?ありがとう。」
こう言って笑っていた。何時でも出来るような他愛もない話をずっとしていたかった。
俺の家族を亡ったのは俺が中学受験に無事合格した後だった。
「義勇。合格お祝い、何が良い?」
「鮭大根が良いな!」
こんな事、言わなければ良かった。
その日、少し遠出して高速道路で鮭大根が売りの老舗に行った帰りだった。
右側、追い越し車線に停止した車があった。父さんはちゃんと分かっていた。ウィンカーを出し、左車線に入ろうとした時、停止した車から人が降りてきた。父さんは咄嗟にハンドルを切り、俺達は、猛スピードで壁に突っ込んだ。
運転席にいた父さんは即死。
助手席にいた母さんも即死。
姉さんは俺を守るように、覆い被さるように、亡くなっていた。
姉さんは最期に、涙ながら
「愛してるわ。義勇。」
笑っていた。口角を上げただけのぎこちない笑顔。
俺は奇跡的に打撲だけで済んだ。姉さんが俺にかかる衝撃の緩衝材となってくれていた事を俺は後から知った。
そんなこと、して欲しくなかった。
俺が死ねば良かった。
俺が悪いんだ。
俺が、「鮭大根が良い」と言ったから。
俺が、「家の鮭大根が良い」と言わなかったから。
俺が、姉さんを守れなかったから。
後悔なんてしてもし足りない。亡くなった人は帰ってこない。
病院から抜け出した俺は、家に帰った。家族との想い出が詰まった家に。でも静かで、寒かった。食欲も、睡眠欲も、走って来て痛くなった脚も、切れた息も、乾いた喉も、全て、どうでも良かった。
ふと、姉さんと一緒に練習したグランドピアノの部屋の前に来ていた。吸い込まれるように扉を開け、ピアノ椅子に座った。そこからずっとピアノを弾いていた。感情をぶつけるように、ぶつけ過ぎてしまったのだろうか。
俺のピアノの音は感情がのらなくなった。
心を亡くした。そう考えた。でもピアノを弾くのは止めなかった。姉さんとの、家族との想い出が鮮やかに蘇るから。
「凄いね」と褒めてくれた姉さん。
静かに聴いてくれていた母さん。
優しく頭を撫でてくれた父さん。
その時からだったのだろうか。何時の間にか倒れるまでピアノを弾いてしまうのは。
こんなに家族に執着して、ピアノをずっと弾いている俺を拾ってくれた人がいた。
鱗滝左近次さん。名をそう言った。俺と鱗滝さんは遠い親戚らしい。
鱗滝さんは剣道場を経営していて、孫が2人いた。鱗滝錆兎。俺と同い年。鱗滝真菰。俺より一つ年上。兄妹かと思ったが、違うらしい。従兄弟らしい。
真菰と錆兎は鱗滝さんの家で暮していて、こんな俺でも仲良くしてくれた。俺は時間はかかったが、2人と仲良くなることが出来た。鱗滝さんには本当に感謝している。
俺の家には遺産があった。けれど俺は未成年だったから、遺産分割に参加出来なかったが、鱗滝さんが手伝ってくれて、家を買い直し、物はほぼ無くなっている状態だが、家が戻ってきた。家が無くなるのは、1番嫌だった。
鱗滝さんの家には、ピアノが無い。俺の誕生日に鱗滝さんがアップライトピアノを買ってくれた。鱗滝さんには、頭が上がらない。本当に。
錆兎と真菰は俺の心を生き返らせてくれた。苦しいも、楽しいも、悲しいも、嬉しいもわからなくなっていた俺だったが、2人のおかげで、感情を生き返らせてくれた。
けれど、俺のピアノの音はやっぱり感情がのっていなかった。
そのまま鱗滝さんの家で高校まで暮らし、音大に行くことを決めて、一人暮らしをしたいと、鱗滝さんに、錆兎に、真菰に言ったが全力で反対されてしまった。
「義勇。まだ良いだろう。まだここに居てもいいんだぞ。」
「義勇?ちょっと待ってくれ。今なんて言った?一人暮らし、、?だっっ駄目だ!!義勇じゃ駄目だ!まだ!まだ駄目だ!」
「わぁ〜錆兎過保護ぉ。私は別に良いと思うよ?義勇もそんなに子供じゃないよぉ〜。」
真菰は良いとして、錆兎、鱗滝さん。俺はそんなに子供じゃない。心外!
否定した鱗滝さんと錆兎を説得して、俺は音大へ無事合格し、一人暮らしを始めた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!